第三話『剣豪一家と働かないアリ』
簡易テーブルがバタバタと撤去され、中央のでたらめな噴水が活動を止めた。
水の打つ音も静まり、同時に群衆も会話を止めた。
もやっとしたランタンのような、いくつかの強い光が、広場の空にゆらゆらと昇っていく。
なんだあれ。どうやって動いてんだろう。
その光は強さを増し、広場は昼間のように明るく照らされた。
俺の名前を付けたがっている物好き達だけが、噴水付近に残された。
ざっと見積もって、八十人くらいだろうか。
みんな、各々の装備を終えたようだ。
いくら無礼講とはいえ、参加者にはメイドや家来も混じっているのが気になる。
なんとなくそいつらを見ていて、嫌な言葉が浮かんだ。
弾除け、か……
どうかしてる。毎回死人が出る祭りと何の違いもねえ。本当に別世界に来たんだなと、これだけで実感する。
金、暴力、感動。
人を動かすには、この三つの要素のうち、いずれかを選ぶ必要がある。揺すりたかりの常套手段だ。
権力ってのもあるが、俺の場合、それは暴力に含まれる。悲しいかな、それ以外の方法を、俺は知らねえし、その論理が正しいかどうかなんて、知ったこっちゃねえ。
だからこそ、この祭りには一番目に言った要素が絡んでいる気がしてならねえんだ。
見ろよ、あの目……まるで宝くじを大量に買い漁る人間の目だ。一等商品が一個しかねえのに、よくやるよ。
俺の名前を付ける権利……そんなもんに命なぞ賭けられるはずがねえ。いるとすりゃ、うちの家族くらいだろうよ。
――まあ、数分後にそれがあながち間違いではなかった事が証明されるわけだが。
司祭と呼ばれていた連中は、広場の隅に均等に配置され、何やらぶつぶつと呟いている。祈りでも捧げているかのようだ。どうせ祈るなら、こんな行事を止めさせろや。
司祭達の外周に、俺たちを含め大勢の街の住人達が、野次馬のようにごった返し、今か今かと、その時を待ちわびている。
――緊張感がピークに達した時、どこからか深く響く鐘の音が聞こえた。
同時に、参加者達は雄叫びをあげて一斉に噴水付近から弾けるようにバラける。
客席もヒートアップ。どうやら始まったようだ。おうふ、マリア。ちょっと苦しいぞ。
「――きゃー!シャルロット様ぁぁぁっ!」
「奥様ぁぁぁっ!」
中でも、うちの母ちゃんは大人気だ。あれだけの美貌だ、当たり前か。
特に女子の方々の歓声がやかましい。
赤いフリフリドレスのスカートを脱ぎ捨てると、タイトな白いレギンス。そして歓声。
その姿は、まさしくあれだ。どこぞの歌劇団のファン達ならひっくり返るぐらいカッコよく見える事だろう。
細身の剣を右手で左袈裟に一振り。どこからでも掛かって来い、と言わんばかりに、左手の掌を上に向けて、指先だけをちょいと動かす。
周囲を睨み付け反り立つそのスタイルの良さ。怖ぇな。玉が縮み上がりそうな貫禄だ。
「坊っちゃん。奥様はあの神聖流の師範代なんですよ~!」
神聖流? ……マリア、跳び跳ねておっぱい揺らしながらナイスな解説をありがとう。だが、全く解らんぞ。
既に四人に、四方を固められているシャルロット。何だか笑っているように見える。
どこから来るのさ、その自信は。
――「シャルロット様。お身体に障ります故、何卒早急に敗北をお認めに、あっ」
シャルロットから後方の兵士は言葉を終わらせる間もなく、うずくまった。
何が起きたのか、全く解らなかった。
「――て、手がぁぁぁぁぁ!」
「お口を動かす暇があったら、剣をお振りなさい」
学校の先生みたいな台詞の中に、俺には聞かせた事の無い、冷たい響きが。いや、これからもずっと聞きたくはねえな。
兵士の手首から先が、無い。手は石畳の上に、落ちていた。ホラー映画のワンシーンを思い出す。動き出してピアノを弾き出しそうな、生々しい手が。
待て待て、今、振ったか? いつ斬ったの? まじで?
「きゃー! シャルロット様、ステキぃ!」
続けざまに、左右前方の兵士へ、まるでバッタのような跳躍で斬りかかかるシャルロット。
動きが速すぎて、理解が間に合わない。あっという間に、四人を倒してしまった。
そこへ、遠くから飛んできた″光る物体″を、彼女は後方に跳ねて避ける。
ナンだ今の。石畳はプスプスと煙を上げて、黒焦げだ。
彼女の視線を追うと、そこにいたのはローザ婆さんだった。
紫色のヤッケみてえな、あれ何だ。ローブっていうのかな。
カビの生えたてるてる坊主みてえだ。
そんな、ちびっこい銀髪の婆さんの、身長の倍はある長い杖の頭に付いている赤い宝石が、テールライトのように爛々と光を放っている。
電池でも入ってんのか。
「「ローザ! ローザ! ローザ!」」
こちらも凄い大歓声。どうやらローザは年寄り達のアイドルのようだ。
きっと昔はさぞかし……想像つかねぇが。
「――あーら、お義母様。不意打ちなんて珍しいですわね」
「ぬかせ、小娘。前から狙って不意打ちに見えるなら、師範代なぞ引退せい」
ザ・嫁姑バトルきたー。
そして、フワリと宙に浮いたローザ。紫のローブの裾が、激しくたわみながら揺れている。なにあれ。
あの……化け物がいますよ、皆さん。いや、マリアさんも、喜んでいる場合では……
「――きゃー! 風に乗るなんて痺れるぅ!
ローザ様の風魔法、キレッキレですぅ!」
どっちの味方なのか、よく判らないマリアは、ピョンピョン跳び跳ねて喜んでいる。
俺の首が折れたらどうする。ボインボインなクッションがあって助かってるがね。
いずれにせよ、マリアの言葉で俺は理解した。ここに来てから、これまでの疑問が、氷解する。
この世界が、剣と魔法の世界だ、ということを受け入れたならば、な。
おい、クレア。こういう大事な事は先に言えって。
クレアの返事は、まだない。
そういや、ジジイと父ちゃんは……お、ああ、あれか。
噴水の近くで、人の山を積み上げている二人がいた。
おいおい、どんだけ強ぇのよ、あんたら……
アランの動きは独特。決して何か特別にずば抜けているような動きには見えないのに、とても優雅で、テレビドラマの殺陣を見ているようだ。
何だろう、相手が先に攻撃してくるのに……全て後手に回った動きなのに、相手よりも必ず、先に剣が相手を捕らえるようなタイミング。角度か。間合い取りが上手いんだな。
必ずタイマンに持ち込むような場所に移動している。そしてあの絶妙なタイミングだ。凄いな。
まるで、小鉄のケンカを見ているようだ。小鉄はボクサー崩れの元六回戦ボーイだったが、コンビネーションとフットワークが凄かった。
あのまま行ってりゃ名を残せただろうな。路上で人さえ殴り殺さなければ。
そういえば、今頃どこで何してんだろうなぁ。勘助も、翔も。あいつら、ちゃんと転生したんだろうか。
早く会いてぇなぁ……それにしても……
――ぼけっと見ていても解る、一際目立つ、白銀色の甲冑に身を包んだあいつ。
全然、年寄りの動きじゃねえな。スピードが段違いだ。
シャルロットの剣はスピードがあるが、あのジジイの場合は……
剣そのものより、体のキレのほうが人間離れしているように見える。
剣を振れば誰かを斬ると同時に、別の誰かの剣を避けている。
そしてまた剣を振り上げ体を捌くと、また誰かの剣を避けると同時に、ライアンの剣は別の誰かの剣を受け止めている……これの繰り返し。
一見単調だが、その一連の流れが全て、″そこにいる相手の攻防に関与してくる″動き……っていうのか? なんじゃらほい。
あれじゃ何人束になっても……まるでジジイは一人一人を、同時に相手してるみてえだ。
これって、アランよりも凄い事をやっているような……いや、どっちも凄過ぎて、よくわからんが。
達人。ジジイにはこの言葉がしっくり来る。
そういや、極蓮会にも居たっけなぁ。
五人同時に早指し将棋をぶつ、イカれた親分が。覚醒剤さえやってなけりゃプロ棋士になれたろうに。いや、シャブのお陰だって本人は言ってたが。
まだ若いのに脳梗塞でくたばったよ。
ライアンは、あれと同じ脳みそしてやがるんだな。おクスリの力は借りずに、すげえな。
あのハゲ頭の中身が見てみたくなった。
――暫くすると、広場の中の人数が半数以上減っていたた。
こうなってくると全体が見やすくなる。
……やっぱりいるんだな、どの世界にも。
死んだ組長の言葉が脳裏を過った。
――いいか、修二。お前の気持ちはよぉく解るが、組織ってのは働きアリのようなもんだ。中には必ず、″働かねえアリ″が紛れ込んでくるもんなんだよ。
それに一々、目くじら立てて、そいつらをはじいてったら組織はどうなると思う?
おんなじ事よ。中からまぁた働かねえ野郎が出てきやがる。はじき続けてったら、また独りぼっちさ。俺も、お前も。
お前はどっちのアリなんだろうなぁ、修二よ。ハッハッハ、そんな睨むなや。親子の契りは、組織にも勝る。そんなヤワなもんじゃねえよ――
組長の言うとおりだ。
広場の端っこにいる十五人程のグループ。さっきから固まって誰かを守ってやがる。誰だ、あいつは。
……外巻きカールの茶髪ロン毛のとっつぁん坊や。手足は細長いが、ずいぶんと腹が出てる。若いんだか年食ってんだか判らねえな。
青いレザースーツに白タイツ。
トランプのキングか。
チョビヒゲがアクセントになって更におかしさを助長してやがる。いや、キングに謝れ。
どうせ、数が減ったら少しずつ動きを見せて、最後に出てくる作戦だろう。アホな馬にまたがって、気の抜けたラッパと共に登場したら似合いそうだ。
間違いねえ……江田島の、お得意の乗っ取りパターンと一緒だ。ああいう奴が一番危険なんだ。
俺はもどかしさのあまり、マリアに訴えた。うーうー、だーだー、くらいしか言えない事が悔やまれる。
「――ん? どーされました? おっぱいのじかんかな?」
違うんだが。そんなにおっぱい好きに見えるのか、俺は。少し反省せねば。
目線と手で必死に訴えた。
「あー、あのチョビヒゲのおじさん? 面白いよねー」
よく判ったな! ある意味ベッテンコート家よりもすげえぞ、マリア。そうだよ、だけど、俺が見て欲しいのは″そっち″じゃねえんだ。
「あーだーだー」
「うふふ。あのチョビヒゲさんはね、氷と炎商会のマルムスティーンさんよ。お金持ちなんだけど、ちょっと変わってる人なの」
くそったれマルムスティーン。忘れねぇわ。
「まーまーだー」
「この辺りの貴族よりも、ずっとお金持ちなんだけど、やっぱり貴族には簡単にはなれないからねぇ。
お金の力でシャルロット様をお嫁さんにしようとしたらしいけど、争奪戦でアラン様に取られちゃったの。そして坊っちゃんが産まれたのよぉ……って、言ってもまだわかんないよねぇ」
解るよ。おうおう、鏡ってもんはこの世界には無ぇのかよ。魔法はあるのによ。
母ちゃんが相手するわけねぇだろ。
「まーまー! だー!」
「うふふ。可愛い。マルムスティーンさんは、勝ったら坊っちゃんに仕返しに酷い名前を付けたいのよね。だから、坊っちゃんも頑張って奥様達を応援しなきゃねー!」
アホか。その奥様が勝ったって、トドなんとかに命名されちまうだろうが。
しかし、一理あるな。フラれた恨みを晴らす為に参加してるってのは。やっぱり、女は魔物だな。歴史の裏に女あり。
そんな事よりマリア。早く気付いてくれ。早く!
ああいう輩は、″もう一手″残してやがるもんなんだ。俺はそれで死んだ。
そして自分が、そんなクソッタレな側だったから、よく解るんだ。
ちくしょう……
マリアの背後に忍び寄り、俺を覗きこむ悪意の眼差し達に、泣くことぐらいしか出来ない自分が、情けなかった。