第三十四話『見えない敵』
その日、俺の怒りはメイドの悲鳴から始まった。
ベッテンコート邸へ早馬が飛んだのが早朝だとすると、その悲鳴を聞いたのは丁度、朝飯前になる頃だった。
――早馬の伝令で飛び起きた俺は、マリアの手を借りながら着替えを済ませて、議事堂へと向かった。護衛にルドルフ隊長とジョージを従えているのにも関わらず、俺は風と氷の魔法を使って空を飛ぶことにした。こいつが俺の最速なんだ。
「ええ! ピース様! そりゃねえっすよ!」
「後から来ればいいです!」
ジョージの悲鳴にも似た叫びを尻目に、議事堂までひとっ飛び。いり組む街の壁を避けながらの移動はストレスでしかねえからな。
しかし、相変わらずバランスが上手く取れねえな。左腕があった頃は、そっちで氷の幕を作って右手で風を制御してた。
昨日の闘い方みてえに高い所から落っこちていくような飛び方なら全く気にならねえが、純粋に水平移動だけとなると、つま先まで神経を集中して氷を創らねえといけねえ。やたら魔力を消費するだけだ。
なにか代わりが利く方法はねえかな。代わりか……ああ、氷の膜の代わりになるような物をこしらえたら良いのか。軽くて頑丈ならば、盾の代わりにもなりそうだし……あ、待てよそうなると、どうやって戦う? 盾持っただけで手が塞がるじゃねえかよちくしょうめ。ああクソ、全く、難儀な世界だぜ……はなっからローザ婆さんくれえの魔力があれば風だけで飛べるんだが、その日が来るまで待つしかねえか……だが、待つのはどうも性に合わねえんだよな。どうにも、江田島に殺られたあの路地裏を思い出しちまっていけねえ。
議事堂の守衛たちは、飛んでくる小さな塊を見るなり抜刀したものの、正体が俺だと認知すると慌ててその剣を納めた。
「おお、ピース様ですか、慌てましたぞ」
「おはようございます。朝からいい反応ですね。父に取りなしておきましょう」
先程よりもびっくりしながら頭を下げる守衛の肩をポンポン叩きながらすり抜け、議事堂の地下へと向かった。
父親よりもあの子の方が働いてるんじゃないか――そんな複雑な褒め言葉を背中に浴びながら。
――異臭。こいつはひどい……先日の密林へようこそ亭で嗅いだ、海産物を腐らせたような臭いが地下室に充満している。独房にいた奴が元凶だな。
「通気孔すら役に立たないとは……」
「ふぉぉ、これは、ピーしっベッテンクォーっ様!」
「は? あの、ランディ・ギルモアが消えたというのは一体――」
地下の衛兵は一様に、紙を丸めて鼻栓をしていて、その場にいた全員からどこぞの部屋のババアが鼻声になったみてえな、どうにも聞き取りにくい説明を受ける羽目にあった。
朝方の定時巡回に忽然と姿が消えていたという衛兵。脂汗を額に浮かべた半泣きの潤んだ目が痛々しい。まあテメエの責任なんだがな。泣いて許されるのは綺麗な姉ちゃんくれえだぞ、テメエ。
「それで……身体捜査はちゃんと行ったのですか」
「そ、そでが、あ、あの、あばりの臭いだったぼので、少し、端的に……ぼぉしわげあでぃばぜんでしだぁ!」
クソが。舌打ちが止まらねえ。この手抜きでこれからどんな事態がおきるのか、お陰様で予想がつかねえよ。
既に涙を流して嗚咽している衛兵に、蹴りを入れたくなる衝動を抑えながら背を向けた俺は身体強化を全開にした。
人がそう簡単に消える訳がねえ。バラして棄てたって簡単に足が付くんだ。そのくれえ難しいことなのによ。そんな魔法が仮にあったとしてもだ……あのバカが使えるとも思えん。だとすりゃ、転生者お決まりの手段か……あのアイテムしかねえ。
――おい! クレア! そろそろ通じるか?
久しぶりに七大陸の巫女の名を念じた。転生者にはそれぞれの担当者がいたはずだ。そいつの仕業かも知れねえ。
『きゃ……た……ピース……も……で』
おうおう、なんだよ。秘境の旅館みてえだな。まだ繋がらねえのかよ……
仕方ねえ。こっからは名探偵の孫にでもなるっきゃねえな。
身体強化で嗅覚の能力を上げた。そりゃもちろん、死ぬかと思ったさ。常人でさえ鼻栓してるぐれえのヤバさだ。俺が呼吸を止めて倒れそうになったのを、衛兵が支えた。
「ピースはま、だいじょむでふか?」
「くぉぉぉ! ええ、あなたはここで父が来るまで反省していなさい!」
「ふがぁ!」
臭いを辿る。間違いねえ。奴は、ここから普通に出ていきやがった。議事堂の入り口に微かに残る腐敗臭。あのクソ不味いエビの臭いだ。
ようやく現れたジョージとルドルフ。アランも一緒に来た。
「ピース様!」
「ルドルフ! 厳戒体制でお願いします! まだ奴はこの街にいます! お父様!早馬を……いや、私が行きます! 全門封鎖! 近衛兵団に捜索を!」
「お、おお、わかった」
俺の方が速ぇ。再び風魔法で宙に浮いた。まずはエリアの封鎖が先だ。街の外に出られたら、手が打てねえ。
モルデーヌの東西、南の門兵へと通達を出しに回った。その間、恐ろしいほどの直感が俺の脳裏を掠めた。
――もしも七大陸の巫女が関与していないのならば、間違いねえ。あのアイテムだ。
俺が元魔王とやり合ったあの日に無くした、いや、無くしたんじゃねえ。奴に取られたんだ。あのマジックアイテムだ。そう考えれば辻褄が合う。
あの衛兵がよく確かめもせず慌てて独房の鍵を開けると同時に、奴はすんなりそこから出ていきやがったんだ!――
議事堂付近へ戻ると、再び身体強化全開で臭いを辿った。もはや悪い予感しかしねえ。
ランディ・ギルモア……あの図体に、ぶっきらぼうな単細胞だと思っていた。完全にそう思い込まされていた。ルドルフとの、あの闘いで気が付けなかった自分に腹が立つ。豪快に見えて緻密だった、目的到達までの事の運び方。
バカげた襲撃。それ自体がブラフ噛ましてたってことだ。俺たちを完全に油断させるための……あの野郎、とんだ詐欺師だ。
そしてこのルートがどこへ向かっているのかが容易に想像がついたとき、俺は身体強化の嗅覚を、聴覚へと変えた。
絶対に聞きたくなかった声が、俺の鼓膜に突き刺さった。
――メイドの悲鳴。
「マリアッッ!」――
◇◇◇
心臓が張り裂けそうな思いでたどり着いた先には、既に多くの近衛兵達が庭先で右往左往していた。
「ピース様! ご無事でしたか!」
中にシャルロットの姿を見つけた。
「お母様! ランディは!?」
「わからない! 総動員で探しているわ!」
「中です! 屋敷の中! マリアがっ!」
「なんですって!?」
――微かに残るランディの臭いは、風呂場の前で消えていた。
「マリアっ!」
「ピース様ぁ!」
浴槽の前で倒れこんでいるメイドを抱き抱えていたマリアが、俺の姿を見て泣き声を上げた。隣でローザがその女の手当てをしていた。マリアは女の姿を俺から隠すように抱き締めた。
マリアじゃ、なかった……
だが、俺の安堵は同時に、自己嫌悪にも似た怒りへと変わっていった。
めちゃくちゃに引き裂かれたメイド服。力のない眼差し。悪魔……と、うわ言を呟くそのメイドの股の間からしたたり落ちている、ピンク色の液体を目にした時、俺の中の何かが、音を立てた。
ガキの頃、孤児院で見た光景。管理人の慰み者になった少女。孤独だった俺に、たった一人、優しくしてくれた……姉貴代わりだった、あの時の少女の眼差しと、目の前の女がダブって見えた。怒りに任せて半殺しにされた、あの日――
――お願い、修二……見ないで……
――姉ちゃん……
「……ランディィィィィィィ!」
クソ外道が! 殺す! 殺してやる!
仕込み杖の鞘を首で挟んで抜いた。
「ローザお婆様……残りの者達を風呂場に集めて、結界をお願いします」
「坊っちゃま……」
フルバーストで屋敷を飛び出した。何人が風で吹っ飛ばしたが関係ねえ。
奴の狙いは……転生者。
そうか、ジョージか! 奴はまだ、ジョージが転生者だと思ってる!
ランディとは、きっとどこかで俺は行き違いになったはずだ。だが俺は殺られなかった。生かして屈辱を与えるためか。奴の目的……身体の臭いを消すため……そしてメイドが犠牲に……これはついでかも知れねえが……だとすれば、間違いねえ。
俺は、石畳の上で立ち止まった。日もずいぶん高くなり、鳥達が住宅の屋根に巣作りを始めている。ピーチクパーチクやかましい。変わってると言やぁ、あの野郎が見えねえってだけのことだ。落ち着け……考えろ……
また議事堂か、それとも……このまま雲隠れする気なら……くそっ、考えろ……俺が奴なら、どうする?
……俺が奴なら……雲隠れする気なら、邪魔者は全て消していく。
奴にとっての邪魔者……奴の正体を知る者……キール! キール・ブラックモアの同行が気になる。これは……狙いはむしろキールか!
ジョージならルドルフや他の兵士達と一緒だ。恐らく今はキールの方が分が悪い。もう信じるしかねぇ。
俺は、東ブロックにあるブラックモア邸へと飛んだ。




