第二十九話『風呂上がりの一太刀』
――白い大理石で出来た湯船に浸かりながら、湯気を眺めていた。
五歳の誕生日に、何が欲しいとアランに聞かれたので、迷わず風呂と答えて目を丸くされた。
サウナもあるぜ。サウナはこの世界には無かった発想だったらしく、初めは全く話が通じなかったので、無理矢理な説明で作らせた。鉄の塊を魔法で加熱させ、水をぶちまけるという乱暴な作りだが。怪訝な顔をしていたアランも、今ではサウナが一番の居場所らしい。男の終着駅とはよく言ったもんだ。
完成した日には、坊っちゃまは天才じゃあ、と言ういつものローザ婆さんの涙。そんなこんなで出来上がった立派な風呂で思索するのが、最近の俺の癖だ。アランの仕事仲間なんかも時折、入りに来るようになり、格好の社交場になっちまった。
ロイド男爵は早速この発想に目をつけて、モルデーヌ公園の近くにサウナ付きの銭湯を作る計画を始めた。上手くいくと良いなぁ。
やはり風呂は気持ちいい。しかも大人が十人は余裕で入れる広さだ。もはや銭湯と呼んでも過言じゃねえな。
普通の民間人が金貨二千枚程度で家が建てられるのを考えると、その半分の価格で風呂場を作ったのは流石にやりすぎだろ……と思ったが、五歳の誕生日はこの世界では一番盛大に祝うのが、通例なんだそうだ。出生率と生還率を考えたら、五歳まで生きていられることが奇跡みたいな世界だ。仕方ないのかも知れねえな。
ロイド男爵とルドルフ隊長も、隣で浴槽に肘掛けて、ぐったりとしていた。
「あー、色々ありすぎて疲れましたな、ルドルフ殿」
「そうですなぁ。あの男、本当に寒気がして……私も風呂に入りたくなりました」
キール・ブラックモア……あの男の目は、なんだろう、とても異質な目をしていた。
「ピース様、油断なされませぬよう」
「解っています。キール殿には申し訳ありませんが、魔王討伐には私たちだけで十分です」
「左様でございます。あのような訳の解らぬ者と手を組む必要などございませぬ」
怪しすぎる。大体、タイミングが良すぎる。俺たちが、振り出しの森から帰還するのを狙って来た感じ。俺たちの目的を、まるで見透かしている感じ。気味が悪い。だから返事は待ってもらうことにしたんだ。
美味い話にゃ裏があるってな。
「男爵。魔王討伐に手を貸したいだなんて言ってきた人間は、キール殿が初めてです。なんだか調子が狂いますね」
「現在、マッコイたちに周辺を探らせております。もう少々お待ちを。
世間の誰もが知っている情報としては、ブラックモア家はベッテンコート家を間違いなく恨んでおります。ライアン殿が衆の座を奪うまでは、ブラックモア家は好き放題やられておりましたからな」
「俺たちが他国に渡りを付けられなかったのも、当時はブラックモア家が衆だったからだ。もう少し時期を待てば良かった……衆がベッテンコート家であれば、もう少し話を聞いてくれた筈だ。あの森で無駄な犠牲者を出すことも無かった。以上の理由で、私はあの男と組むことには反対でございます!」
ルドルフはそう叫び、お湯を叩きながら俺を見た。俺たちは頭までびしょ濡れになった。
「ぶはぁ! 解ってますって! 落ち着いて下さいルドルフ。私たちの盃は安くありません。それより……」
キールが去り際に置いていった招待状が気になった。
「王家主催の御前試合の件、でございますね?」
「はい。私には、届いていませんでした」
「その腕の話が、王族にまで聞き及んでいるのでしょう。名誉の負傷ですから」
ロイドは髭を触った。なにが名誉なもんか。見ず知らずの野郎にぶった斬られただけだ。
「――あの御前試合には、特別な意味がございます。五歳、七歳の誕生日を迎えた子供たちが七大陸、今は魔族に三大陸を占領されているので、実質は四大陸でございますが、国中上げての盛大なトーナメント戦を行い、優勝者には王族や神聖流から多額の賞金が出ることで知られており……」
「そもそも、ピース様に招待状が来ないことも勿論だが、それよりも私は、キール殿が招待状をピース様に分けてくれた、という形が気に入りません! 恩義をかぶせるつもりか!」
ルドルフは再びお湯を殴った。それやめろ。
「ぶはぁっ! ルドルフ、落ち着いてってば」
「ゲホッゲホッ! ルドルフ殿! 今情報を集めていると言ったではないか!」
――ピースさまぁ! と、浴室にマリアの声が響き渡った。
「もぉ、いつまで入ってるんですかぁ! ピース様、お背中流しましょうね」
「え!」
白い湯気の向こうから、白い布を身にまとったマリアが現れた。布一枚……すげぇスタイルだ……ぽっと出のグラビアアイドルなんか比じゃねえな……
「お二人は互いに流しあって下さいね! まったく、いつまで経っても出て来ないんだからぁ……」
ブツブツと文句をたれながら、マリアはこぼれ落ちそうな豊乳に布をあてがったまま、俺を浴場の外のシャワーへと、手を引いた。
「ま、マリア殿、その……」
「早く出てって下さいね! 後がつかえてるんですから」
いや……多分、この二人は出たくても出れねえ状態なんだと思うがな。
「マリア、その格好はちょっと……」
「うちは兄弟が多かったので、私は全く気になりません。なにをそんなに恥ずかしがっているんですか今更。さぁ、座って下さいまし! まったく、大体なんでベッテンコート家以外の方がお風呂に入ってるのかな、もぉ……」
「二人は、家族ですから」
「そぉですか、では家族ならば家のルール守って貰いますよぉ! こらぁ! 早く出なさい二人ともぉ!」
「……男爵……貴族って、ええですなぁ……」
「はあ……ええなぁ……」
ルドルフとロイドは互いに鼻を伸ばしていた。白い布が、お湯でペタリとくっついてるスケスケの尻をまじまじと眺めていた二人は、再度マリアに怒鳴られ、浴槽から出られるようになるまでには、あと五分掛かった。
◇◇◇
着替えを済ませ部屋へと戻った俺たちの前には、三人の部下をそれぞれ連れた総勢十二名のマッコイズどもが、新調した黒いロングソファーの座をめぐって争いが勃発していた。
「てめぇ! 抜くか? それをここで抜くのか?」
「やるなら表出ろや!」
「くじ引きで良いだろうが!」
「ぬるいこと言ってんじゃねえ! 男なら拳でカタを着けようじゃねえか」
「馬鹿言ってるのはお前だろ! 年功序列だ!」
各々が勝手な主張を繰り広げていたが、ロイド男爵とルドルフ隊長の姿が視界に入った瞬間、全員が四列横隊で整列した。先頭のマッコイ、エンリケ、ドノバンは冷や汗をかいていた。
「お前たち……話し合いで解決出来ないのか」
「ロイド様、お言葉ですが、こいつら部下の癖に生意気です!」
ドノバンの額の血管が浮いている。やれやれだぜ。
「――俺たちはルドルフ隊長の部下だ! なんで商人ごときにアゴでコキ使わされなきゃ――」
「代わりはいくらでもいるんですよ、ジョージさん」
スネイク・ピット一番の若手、金髪ツンツン頭のジョージ・モリスンが息巻いているのをたしなめた。
ジョージは舌打ちをして、俺から目を逸らした。耳たぶに付いている多数のピアスが痛々しい。
「いいですか、皆さん。今は全員が同じ目標に向かって頑張らなければならない時。力を付けて魔王を倒す為に、一致団結です。私たちは家族です。誰も見捨てない」
ジョージは俺を一瞥すると、再び視線を落とした。
「ジョージさん。ドノバンの命令は、ルドルフ隊長の命令でもあり、私の命令でもあります。聞けませんか」
「……ふん。ああ、聞けませんね。俺は隊長の指揮の下で、幾度も死線をくぐり抜けて来たんだ。今更、誰の言うことも聞きたくは……な、なんだよ、その目は……」
ご託は聞き飽きてんだよ、クソガキが。要するに、まだ舐められてんだよな、俺が。
俺は、壁に飾ってあったシェンカーの業物を抜いて見せた。剣はギラリとした鈍い光を反射してみせた。
ジョージ以外は全員、後ずさりした。なるほど、こいつは面白ぇ。大した胆力をしてやがる。
「ジョージ。あなたはまだ解っていないようなので、お仕置きです。表へ出なさい」
「はぁ? 何を、えっ」
その剣を手渡し、俺は杖を持ってベランダから中庭へ出ると、ジョージは恐る恐る付いてきた。
「私に一太刀。かすり傷でも与えられたなら好きにしなさい。ルドルフをリーダーとして、好きにしたらいいです」
「い、いやいや、そんな馬鹿げたこと……」
「こんな子供の下について、ヘラヘラしているルドルフ隊長が許せないのでしょう? ルドルフを取り戻したいなら掛かってきなさい」
五歳児にこんなことを言われたら誰だってそうなるわな。ジョージは耳まで真っ赤になって拳を震わせていた。
「手加減出来ねえが、良いのかよ」
「勿論です」
ブースト全開で目前へと斬りかかってきたジョージ。流石だ。頭の切り替えが早ぇなこいつ。
上段から袈裟斬り、そして下からの振り上げ。それに合わせて横に飛びながら首に杖を挟んで抜刀。
「くっ!」
咄嗟に間合いを取ったジョージの顔に、焦りの冷や汗が見えた。死線を潜ってきたのは伊達じゃねえようだな。
「こ、この……クソガキのくせに……」
「見た目で判断するのは宜しくありませんね」
俺のターンだ。ブースト全開で同じことをしてやる、ように見せかけた。袈裟斬りを受け止めようとしたところで、勝負あり。
「がぁっ!」
神威残影流奥義、幻の太刀。
理真流では、初歩の技だがな。接近してからの強力なブースト移動による、単なる背後からの袈裟斬りだが、目前で完全に気配を消される為に、相手は残像の動きに合わせてしまうっつう技だ。これを人間が見破るには、はなから読んで動くか、動体視力にブーストを掛けなきゃならねえ。
――咄嗟に、倒れ込んだジョージへ回復魔法を掛け、背中の傷は塞がった。
「ハァ、ハァ、うぅ……クソっ! なんだよ、今の……」
「弟子入りするなら、いくらでも教えて差し上げます。悔しいですかジョージ」
ジョージは歯を剥き出した。
「その悔しさを忘れないで下さい。まだまだあなたは強くなれます。またいつでも待ってます」
仲間たちに担がれ、ジョージはうなだれたま、部屋へと連れて行かれた。
「さあ、仕切り直しだ。全員整列!」
ルドルフの号令で、みんなの目つきは変わっていった。おう、良い面構えだ。