第二話『名付け親争奪戦』
暗闇の向こうに、小さな光がぽつり。
その光は大きくなりながら目前に迫って来る。
――これは誰の声だ? 何が起きている?
やがて光は、正体を現した。
……ここは……
辺りを目で見ている感覚は無く……脳みそに情報が映像化されて勝手に入ってくる。そんな感じ。
おお? 誰だ、こいつは……。
西洋人特有の目鼻立ちが整った男。そいつは俺を抱き上げ、叫びながら泣いていた。
体格は大きくてガッチリしていて、若い頃のア◯パチーノみたいな、陽気な顔。茶髪で柔らかそうな長めの髪を、後ろへ綺麗に流している。
緑色のシャツに茶色いズボン。麦わら帽子を足したらまるで農夫だ。
イケメンだが……ゴッドなファーザーには程遠い貫禄だな。
その傍らでは、どこぞのハリウッド女優かと言いたくなる金髪美女がベッドに横たわって、切れ長の青い眼をこちらに向けて微笑んでいた。
場末の外人パブなんかじゃ、絶対にお目にかかかれねえ女。純白のネグリジェに包まれた程よい肉付きがセクシーだが、不思議と性欲は起きなかった。まぁ以前から洋物は観ねえ主義……というよりは、体も自由に動かせないし、声も出ないんだがね。
――そっか……俺は、今、産まれたんだな、クレアの世界に。
金髪美女はパチーノに何か言うと、寝たまま俺を抱き抱えて、とても……とても嬉しそうな顔で泣いている。器用だな。
そんな顔で見つめてくれるな。照れるじゃねぇか。
ああこれが、母親の眼差しってやつか……何だろう……この二人の眼差しから、直接胸に響いてくるようなこの感情は。安心感。
嬉しいのか何なのか、込み上げる感情を抑えきれず、俺も号泣しちまった。
人が何故泣きながら生まれるのか、ちょっとだけ、解った気がした。
◇◇◇
――しばらくそうしていると、銀髪のおかっぱ頭の、しゃがれた声のババァが俺を力強く抱き上げた。
志村◯んがコントでやるヒトミ婆さんみてぇな、梅干し顔をパチーノに向けて何やら怒鳴っている。
どんな世界でも年寄りは藤色の服が似合うんだな。不思議だぜ。
あんだってー? とんでもねぇ、わしゃ神様だー! みたいに聞こえるんでついニヤついた。
あ、でもこれは雰囲気で解るぞ。
男が簡単に人前で泣くもんじゃねぇからな。そういう事だろう。
俺を見ながら小さく呟いて嗚咽するパチーノは、ヒトミ婆さんにケツを蹴り上げられ、今度は部屋の外へと追い出されたようだ。
……はっ!?
パチーノが部屋を出ていく際に、木製扉の向こう側から、じーっとこっちを見ているジジイがいる事に気が付いた。
正直、死ぬほど焦った。お化けとかじゃねえよな。
白シャツの上から茶色のベスト。黒いズボン。側頭部だけモジャモジャの白髪を蓄えた禿げジジイ。どっから見てもジジイ。
その鋭い眼を俺に向け、カッと目を見開くと同時に扉を思いっきり閉めやがった。
おいおい、何だよあいつ……あの年でコミュ障か? 今までどうやって生きてきたんだよ。
ババァがその閉められた扉に向かって何か喚いていた。そうだそうだ、もっと言ってやれ。よくわかんねぇけど。
辺りを見渡すと、結構、というより過剰な装飾品や家具。
なんだ、あのシャンデリアは。
極蓮会の、どの親分の家よりすげえ造りじゃねえか。
応接間のやつはこれの倍のサイズだとしるのには、もう暫く掛かった。
生まれつき金持ち。これはいい体験だ。
――思っていたよりも暇な日常。
金髪美女の名はシャルロットというらしく、俺の母親。毎日セクシーな母乳をくれる。気分は最高。
シャルロットの他にもたくさんの人達が話し掛けてくれるおかげで、日常会話は大体意味が解ってきた。
この家族は夕食を全員一緒に食べるので、日常会話はこの時間におさらいが出来る事がとてもありがたい。
たまにメイド姿のお姉ちゃん達が世話をしてくれる。好きな時に寝て、好きな時に好きな場所で放尿。ああ、全自動。
介護されてるみてぇで何とも申し訳ねぇ。
俺の前世じゃ、どうだったんだろうな。
記憶にねえけど、前世の母親は乳をくれたのだろうか。哺乳瓶のゴムをかじっていたのか。どっちでもいいけどさ、いつまで育ててくれたのか、ちょっと気になった。
……おい、随分と良い所だな、クレア。
返事は無い。
――時折鼻の下を伸ばしながら見に来る男がうざい。号泣パチーノ。
シャルロットと顔を合わせる度に濃厚なキスを交わしているところを見るに、こいつが俺の父親。
名前はアラン。惜しい。
名字が気になるが、今の俺にはそいつを知る方法がない。
それに、自分の名前も。
皆、口々に勝手な名詞らしき言葉を言って、俺の名前はボウヤなのかとも思ったが、どうやらそれも違うようだ。
謎だ。日本じゃ確か、生後二週間以内に名前を届けたよな。出生届って言ったか。
以前、翔の女が翔と名付けの話で喧嘩して、結果何故か俺に名付け親になってくれと頼まれた過去を思い出した。テメェのガキだろアホンダラって丁重にお断りしたが。
◇◇◇
――蜜月の時を過ごしていたある日、突然その答えはあらぬ方向からやって来た。
夕方になり、今宵は家族一同揃っての外食の様だ。
アランが農夫姿ではなく、普段見せたこともない黒の服装だったので、何気にそう思った。
案の定、初の外出。家から初めて出る事ができた俺は興奮度MAX。
灰色の石畳の上を立派な馬車に乗せられて、まるでヨーロッパ旅行でもしているような気分だ。
しかし外壁の多い街だな。
泥棒が多いのか臆病者が多いのか。
街を歩く人々は馬車を見ると次々に手を振り、アランとシャルロットはそれに応える事に忙しそうだ。
なんだか芸能人みたいだな。
――巨大な広場に着いた。
円形の広場の中心には、立派な白い大理石のような石造りで出来た三段重ねの噴水が、高々と水を上空へと噴き上げている。
噴水の雫は何故か螺旋を描いてキラキラと落ちてくる。目が回るぞ。床屋の看板か。
暫くすると雫は模様を変えた。今度はボールペンの走り書きみたいな円を描いて落ちている。
どう考えても物理的におかしい.。
ちょっと仕組みが気になるな。
そろそろ日が暮れるが、いくら待てども一向に食事が出てこない。まあ、さっき馬車の中で食事を終えた俺には関係無いが。
外食じゃないのか。
これは、夕食前の会議か何かか。
不可思議な噴水を前に、簡易的だが立派なデザインのテーブルが縦に並べられ、そこにアラン達は座った。
見たこともない奴等も大勢いる。
親戚連中か? どことなく顔も似ている。
今夜は、横白髪のコミュ障ハゲジジイが誰よりも偉そうに見えた。
こいつには生まれてから一度も声を掛けられた覚えがない。
名前はライアン。昔は戦士だったのか。
ジジイが一緒に持ってきた、後ろに飾ってある西洋風の鎧兜一式。カッコいいが、何のために持ってきたのか疑問。
どうみてもジジイのサイズと一緒なんだが。戦争でも起こすつもりか。
あんな物かぶってたらそりゃハゲるわな……そんな事を考えていたら、元気なしゃがれ声がだだっ広い公園中に響き渡った。
「皆の者ぉ! 静粛にぃ!」
馬鹿でかい声。花火が打ち上がった気分だ。人間が出せる音量じゃねえぞ、これ。
――もっとも、これが風の精霊魔法を使った『コントロールボイス』だと知るのは、もっと後になってのお話。
聞きなれたヒトミ婆さ、もとい、ローザ婆さんの声だった。
「これよりぃ! ベッテンコート家次期当主であられる、坊っちゃまの名付け親杯、争奪戦を開催する!」
何だって?
名付け親の、後の言葉が聞きとれなかった。
地鳴りか。街の人々もメイドも家来も、公園の入場門に立つ守衛さえも声をあげているんじゃないかと感じる程の大歓声。
何なの、このお祭り騒ぎ。
「ルールは至って簡単。我がベッテンコート家の家訓!」
「「正義は力なり!」」
俺の回りにいる全員が怒鳴った。怖え。すっげぇ怖ぇ。
メイドも家来も、全員がマジな目付き。
ていうか、ベッテンコートっていう名字なのか、俺んち。
こんな所で意外な発見。
「――よろしい。坊っちゃまのお名前を決める権利は、勝者にあり! 今宵は無礼講じゃ!
ベッテンコート家の名に恥じぬ様、参加者全員、正々堂々と総当たり戦じゃ!」
各々が雄叫びをあげて立ち上がり、武器防具を取り出した。
おいおい、マジかよ。殺し合いかよ。
嘘だろ、シャルロットまで細長い剣を取り出してニヤついてやがる……そんな顔やめてくれ、母ちゃん。怖ぇよ……
そして、ライアンが怒鳴った。
「司祭! こちらへ!」
「はい」
教会の牧師を派手にカラーリングしました、みたいな格好をした男達が数人、ライアンの前に並んだ。
「くれぐれも死者を出さぬよう、回復を宜しく頼みます」
死者って。
仰々しくお辞儀をした司祭達は、広場に散らばっていく。
ライアンは後ろに置いてあった鎧兜一式を、メイド達に手伝わせて装備し始めた。
「ボブは俺の息子だ。俺が絶対に勝つ!」
アランはライアン同様、メイド達に装備を手伝わせながら息巻いている。
おい待て小僧。ボブって一体誰の事だ。
英語の教科書か。
「何を寝とぼけた事を。トドナミクスは私の息子よ」
はて、シャルロットさんや。なんだその、ア◯ノミクスみてえな名前は。
イケメン夫婦のネーミングセンスは……あかん、絶対に駄目だ。どうしたって名字に合わねえだろ。
こいつらは勝たせないでくれ。頼んだぞ、ライアン。
「――ふん。息子だ何だと、そんなものは関係無い。勝者が決める事」
「あら、ライアンお義父様。お義父様こそもう決めていらっしゃるの?」
シャルロットはライアンに向かい鼻を鳴らす。真っ赤な薔薇が似合いそうな美人なだけに、意気揚々としている風貌が怖い。しかし彼女は防具を着けないのだろうか。産後の何とかは大丈夫かい。
まさか俺を抱いたまま戦う気じゃねえだろうな。
絶対にやめてくれ。
「――ふん、当然」
「教えては下さらないのね」
「父さんは昔から秘密主義者だからな」
アランの挑発には乗らないライアン。流石は親の貫禄だな。
「今言えんのは勝つ自信のない証拠じゃてぇ」
「何だとババア!」
ジジイを簡単に激昂させたローザ婆さんは、赤い宝石のような物を嵌め込んである立派な長い杖を、宝物を眺めるような表情で息を吐きながらいそいそと布で磨いている。
これからソイツでゲートボールでも始めそうな、楽しそうな感じ。
さっきの馬鹿でかい声といい、その物言いといい、この婆さんは何か持ってる。俺の五感がそう感じる。
これは期待出来る。そして俺の名前が知りたい。ヘルプミー。
――シャルロットは俺の額に口づけすると、マリアというメイドに俺を預けた。いつものカワイコちゃん。
「トドナミクスを頼んだわよ、マリア」
「はい、奥様」
その呼び名はやめろ。
どことなく東洋風の面持ちなマリアは、秋田美人に西洋人形を足したような、黒髪で色白の美人。おっぱいもさることながら、安心感も大きい。
やっぱり心は日本人なんだな、俺は。
大きくて柔らかくて甘い物には目がないんだ。おーい、誰かお茶くれい。
マリアは俺に微笑むと、俺を抱いて広場の入場口付近にある木造の観客席のような、段差のある場所へと移動した。
ここには人がごった返している。
俺達が来ると簡単にその群衆が割れて、中段の席が二つ空いた。特等席。
凄いな、何者なんだ、ベッテンコート家は。
「さあ、坊っちゃん。いよいよ始まりますよぉ」
マリアはワクワクしたような声を出して、ギュッと俺を抱き締めた。
あはは、やらけー。目的を忘れちまいそうになる。
まったく、女は魔物だぜ。