第二十八話『八方塞がり』
モルデーヌの街の昼下がりは、一時騒然となった。
――衆の御曹子が、何やらどこからか大勢の兵を連れて凱旋してきたぞー。
なんて、そんな話が広がったんだと思う。
帰り道に突然、魚が食いてぇって言い出したローザの提案で一致団結した俺たちは、クレールの港町に寄って一晩中大騒ぎしたんだわ。ノリノリな家族は楽しくて助かる。俺やナッシュの気分を盛り上げるための、ローザやシャルロットなりのやり方だったんだろう。
領主シャローン家の、暴れ馬の家紋の入った鎧を着た、伝令兵の早馬が慌ててモルデーヌ方面へすっ飛んでいったのをロイド男爵の部下、情報収集のエキスパートであるエンリケが確認していた。間違いなく厳重体制のお出迎えになるだろうなと、ロイド男爵と共にため息をついた。
――家に着く頃には案の定、門兵の数がやたら増えていた。よく見ると、王室警護の兵士まで紛れてやがる。おうおう安心しろや。クーデターなんかじゃねえっての。
おお、赤い服に銀の胸当て。レイルズ団長までお出迎えかよ。
「お、お父様、ただいま戻りました」
「ピース、そ……その方たちは……」
「坊っちゃまの配下じゃて。はよどかんかい」
ローザは、アランの横を素通りしていった。
「――ええっ!? お母様、その、全然話が見えないんですが――」
「――あー疲れたわーっ。マリア、メイドたちに言って、皆様に何か飲み物でも」
「かしこまりましたぁ」
「シャル……」
母ちゃんは自分で肩を揉みながら、その後ろにマリアがローザの右に習う。うちの門兵たちはここでやっと、一斉に通路を開けた。
アランは、元ゼルー帝国傭兵団、大蛇の洞穴の連中をまじまじと見渡す。歴戦の面構えだ。アランは、頬のあたりがヒクヒクしていた。
「「お世話になります!」」
「お父様、レイルズ叔父様。後で説明しますが、この人たちは、私の家族です。遠慮なさらずに」
「お、おお……では、こちらへ……」
「「失礼します!」」
数日付き合って解ったが、俺の子分どもは、あまり遠慮を知らねえ。昔を思い出すなぁ。
◇◇◇
今夜の夕食は、庭でバーベキューをすることになった。ローザとシャルロット、そしてロイド男爵が、アランとレイルズに事の詳細を説明しながらの食事だ。
アランはその内容に顔を青くしたり赤くしたり、何やら忙しい。
「そうなのか……この国に着くまでに……とてもご苦労なされたようで」
レイルズはスネイク・ピットのリーダー、ルドルフ・リッケンバッカーの語る、これまでの苦労話に涙し、相づちを打っていた。飲み過ぎだよ叔父さん。
するとアランが、肉にかぶり付いていた俺に話しかけてきた。
「ところでピース。衆の警ら隊がな、あの森の手前で悪さをしていたという山賊どもの姿を見なくなったという報告が入ってきたのだが……まさか、この者たちは……」
さっきまでバカ騒ぎをしていた子分どもが、一斉に無言になった。
「……ワッファファー(まっさかぁ)」
肉を頬張りながらの俺の一言で、数秒後に子分たちは何もなかったかのように再び騒ぎだした。
「おいぃ! 何だ今の静寂は!」
「アラン様、違います。この人たちは傭兵団であって、決して山賊などではありませんよ」
赤髪を揺らしながら、左隣にいたナッシュが否定してくれた。あの仕合の後から、こいつは何故か俺の側にいるようになった。
「ナッシュがそう言うのなら、そうなのだろう」
「ありがとうございます、ダレス様」
「こら、ダレス。お前何を勝手に食ってやがる。呼んでねえぞお前は」
アランがそう言って睨み付けたその先には、黒のタキシードを着た大男、ダレス・ヘッドフィールドが、俺の右隣で黙々と肉を貪り食っている。
剣士を辞めると言っていたこの男、今度はアランの私設秘書という名目で、護衛兵を始めたそうだ。何だかんだで、アランも人がいい。シャルロットは上機嫌。まあ、不思議な三角関係、とでも言っておこうか。
服装が鎧から礼服に、武器が大剣から細いレイピアに変わっただけで、なんだかあまり変わってねえな、ダレス。正直ちょっと安心した。こいつがクレールの漁港で魚捌いたりとかは想像が出来ねえし、やっぱりあんたは、そういうのが似合ってる。
「ダレスさん、お父様の護衛はどうしましたか」
「ああ、これだけの猛者が揃ってりゃ、俺の仕事は無くなったも同然だ。肉を食わせろ」
「なるほど。あ、そこ焼けてますよ」
「おう」
「おう、じゃねえよ! 穀潰しが!」
アランの一言で、俺は気分を引き締められた気がした。穀潰し、か……さて、どうしたもんか……
◇◇◇
新しい子分が出来てから、俺の生活は慌ただしくなった。
クレールの港町で大騒ぎした日に、ロイド男爵の口利きによって漁師や料理人の見習いに、数名のスネイクピットのメンバーを置いていったのだが、残りのメンバーの働き口はまだ見付からなかった。
ロイド男爵の使用人として一人、マッコイズの三人にもそれぞれ三人ずつ、部下として付けてみたけれども、それでも残り四十二名が暇をもて余す。
ベッテンコート家にはもう仕事がない。庭木の手入れも半日で終わっちまった。大赤字だ。メイドだってこいつらには無理だ。いや、嫌だ。
どこへ行っても余剰人員だと断られ、得意の剣で身を立てようにも、冒険者ギルドからは輸送警護の仕事を無許可で勝手に受けるなという通達。きつく釘を刺されてしまった。ならばギルドに仕事を斡旋しろと言いに行ったが、仕事がなければただの酒飲み要員だ。とりあえず登録だけはさせてもらったが。
アランもロイドも、焦りの表情を隠せなくなっていた。
――俺の部屋には衆の責任者アランと、護衛のダレス、そしてロイド男爵、ルドルフの四人。あ、マリアが相変わらず扉の前でぶるんと仁王立ちしてるが、それはさておき。
「八方塞がり、か……」
アランがため息をつく。
「アラン様、我々も、これ以上のご迷惑は……野に下ります」
「ルドルフ! ダメですよそんなことは」
「そうでございます! 魔王討伐という悲願を忘れてはなりませぬ」
「ふっ、なら戦争でも起こしますか。この人数で魔族に玉砕でも――」
「――やけにならないで下さい! こんなところでくすぶる訳には行かないでしょう?」
ここで引くのは簡単だ。マイナスがゼロになるだけだ。魔王どころか、誰にも知られぬまま消えるだけ。
「要するに、需要に見合う供給ルートの確保が出来れば良いのです。既存の需要だけでは余剰が出てしまう。それだけのこと」
流石はロイド男爵。経済ってもんを解ってる。
「それだけのことと申しますが男爵、ではその需要とやらをどう産み出すというのですか」
「それを今考えておるのではないか! 簡単に野に下るなどと、ピース様の前でよくもそんな口が聞けたな! 盃は格好だけか!」
「何だと!」
「喧嘩は外でやれ! いがみ合ってどうする!」
どちらからともなく胸ぐらを掴みあった二人に、アランがそう怒鳴った。
「――いいか二人とも。領からも、衆からもだ。難民申請をしろという声が上がってきているんだぞ。これがどういうことか解るか? この国で一度難民扱いされたら、大手を降って歩くことなど不可能なんだよ。活動も制限されるし、囚人以下の生活を余儀なくされる。魔王討伐などというお題目にすがって生きることすら叶わないんだぞ! 食えるだけましだと思えるならそれでもいい。だが、お前たちにはそんな生活をさせたくない! ならばどうする! 期限はあと一週間だ!」
「アラン様……」
二人は、襟から手を放すと、そこでダレスが口を開いた。
「アラン殿。この二週間、こいつらと付き合ってみて、俺も理解したよ。こいつらは、何かを持ってる。その何かを、俺は信じたいがね」
「ダレスさん……」
「ダレス……お前なら、どう考える。この難局を」
「さあな。それが解ってたら、俺だってお前の護衛なんかやってねえよ」
「何だとこの野郎!」
「お父様! 喧嘩は外でやって下さい!」
――日が落ちていく。しばらくの沈黙。誰もが押し黙ったままだ。だが、その沈黙も第三者によって打ち消されることとなった。
「アラン様、お客様です」
メイドが入ってきた。客だと?
「どなたか」
「キール・ブラックモア様とその護衛の方でございます」
「ブラックモア?」
ブラックモアって言やぁ 前任の衆の責任者だった家じゃねえか。元老院との癒着をアランにすっぱ抜かれて間もねえ。なんだろう、お礼参りにでも来やがったか。
「今日はここまでだな。面通ししよう」
「はい。では、また明日の朝」
「「はっ」」
玄関前に行くと、やたら目を引く男が、屈強そうな男を二人後ろに従わせて立っていた。
無駄に長ぇ黒髪が、病弱そうな白く痩せた顔にだらりとかかっていて、不気味だ。ニヤニヤしてやがるから余計にな。
「これはこれはキール殿、よくいらっしゃいました」
その長髪の男は大きな眼をナイフのように細めると、更に不気味な笑みを浮かべた。いや、笑ってねえだろ、その眼の奥が。なにを考えてやがる……
「このような時間に失礼します。近くに寄ったので、ご挨拶をと、思いましてね。おお、これはピース様、ロイド男爵のパーティーで、空を飛んでいたのを拝見して以来でございます」
……なんだろう、この威圧感。後ろの護衛のモノじゃねえ。こいつから出てやがる。ああ、元、衆の責任者だもんな。神威流なのか? それとも……
「初めまして。アランの息子、ピース・ベッテンコートと申します」
「ほお、挨拶もしっかりしておられる。流石は衆のご子息でございます」
「どうぞこちらへ」
応接室は異様な雰囲気。ロイド男爵、ルドルフもそれぞれ挨拶を交わし、ダレスはずっとキールの護衛の連中と、ブーストで威嚇し合っている始末だ。キールは楽しくて仕方ない、そんな笑顔だ。右手で顔を隠すような姿勢で、指の隙間から周りを見てやがる。
「ほお、流石は衆の責任者ともなれば、このような豪邸での暮らしもお似合いでございます」
「ご謙遜を。ブラックモア家の皆様からの、素晴らしい引き継ぎがあればこそで――」
「――腹の探り合いに来たわけではございませぬゆえ、早速本題に参りましょう」
ダレスが、剣に手を掛けた。キールの護衛がブーストを上げたからだ。
「キール殿……ブラックモア家でも相当な厄介者という噂は、どうやら本当のようですな」
そうなのかアラン。確かに厄介そうな顔してるもんな。その手をどけろ。かっこいいと思ってんのか?
「クックック……これは失礼。試すような真似をしてしまいました。お許しを。
アラン殿、私はブラックモアの三男坊。衆の座を奪い合った両家の、過去の遺恨などという、ペットのエサにもならぬ話には、私は興味がございませぬ。どうか、腹を割ってお話がしたく、伺った次第でございます」
「……何が目的なのです?」
キールは顔の前の手をどけると、机をドンと叩いて、眼を大きく開いた。
「この世界を変えたいのです!」
……は?
「……は?世界を、ですか」
いちいち親子だな。周囲を見回して、同じリアクションしちまった。しかし話が見えねえ。何がしてえんだ、こいつは。
「はい。そちらにおわします、ピース・ベッテンコート様の力を、お借りしたく馳せ参じました」
……俺?
キール・ブラックモアは、その大きな瞳をいらやしそうにこっちに向けて細めると、白い歯を見せた。テレビから出てくる幽霊を思い出した。だから、目が笑ってねえんだって。怖ぇな……
ぞくりと、背中に嫌な戦慄が走った。