第二十七話『覚悟と盃』
三馬鹿トリオが、朝食の肉の奪い合いをしている。元々はドノバンの肉だ。そこにルドルフ・リッケンバッカーの部下たちも数人乱入し、大混戦。
「なんでだよ! やめろよ! 返せコラーッ!」
「パス! へいへーい!」
「こっち寄越せ、へいパース!」
バスケットボールの試合さながらに、肉の塊がひょいひょいと宙を舞う。食い物で遊ぶなよ罰当たりが。まあ、見ていて楽しいんだけどな。ドノバンには丁度いいダイエットだろう。
「――ピース様、はい、どーぞぉ」
マリアがスープをスプーンで口に運んでくれた。あーん、ってやっていると、みんなマリアの谷間に注目。そっちかい。その瞬間、一人頑張っていたドノバンのフォークから、奪還したばかりの肉の塊が地面に落ちた。えんがちょ。
「「だあああっ!」」
それを見た連中はため息をつきながら肩を落とし、ぞろぞろと立ち去る。膝をついて咽び泣くドノバンを指差して、俺とロイドが腹を抱えてバカ笑いをしているところに、そいつは現れた。
――赤茶けた短い髪が、もみ上げを経由して顎までふさふさしている猿顔の老人。獣人族だ。
昨夜、バルガスと名乗ったイギー族の族長は、その尖った目を俺たちには合わせず、素通りした。ロイドが文句を言いたげに立ち上がったのを、俺は彼の袖を掴んで首を振った。
「ピース様……」
解り合えねえ。いや、だからこそ尊重し合うしかないんだ。生き方だけならまだしも、こいつらは元から人間とは別の感覚と知性を持った生き物。
ヤクザとカタギは一線置いて、決して混じり合っちゃいけねえよ、なんてことを親分はよく言っていたが、それと似たようなもんだ。
生きていく為に必要な……背負ってくもんが違うのだから、と。
こっちに来てからは、その意味を嫌というほど感じてる。
こいつらからすりゃ、貴族も商人も剣士も、いや王族だろうと関係ねえよ。人族一括り。そういう態度だ。こっちだってそうだろ。この猿野郎が連中にとって何者かなんてことも知らねえ。だから互いに曲げちゃならねえんだよ、そういう部分は。
――バルガスは、テントの前にいたローザとシャルロットに近付くと、一礼した。長いボロ布をまとったような茶色い服の懐から、一目で書状と解る白い巻物を取り出す。なんだ、アレは。
「光の巫女、ミレーヌ様より、元、風の巫女であられるローザ・ベッテンコート様へ、言伝てに参りました」
「ほう。今はミレーヌになったのかえ。あのチビッ子が、大きくなったもんだね」
「知っているの? お義母様」
「ああ。オシメを取り替えたことがあるでよ」
バルガスが書状を広げると、ややあってその紙の中心から白い光の束が溢れだした。扇状に広がったその光の中心には、手のひらサイズの人形が……フィギュアっつったっけ? いや、動いてる。息を飲むほどに美しい女が、書状の上に立っていた。
『ローザ様、ご無沙汰しております。ミレーヌでごさいます』
凛とした美声。聞く者の心を鷲掴みにするような力強さを感じる。
『――この世界の調律を司る身ゆえ、直接お話をする時間が取れず、早急な書状にて失礼致します。まず、結論から申し上げます。
ローザ様のお孫様、ピース・ベッテンコート様の左腕の件でございますが、先程も申した通り、わたくしは世界の調律を司る役目。激務の為、お断りさせて頂きます』
「何だって!」
「静かにっ」
ロイドは叫んだが、ローザの手が彼の動きを制した。
『第一の理由はその、リジェネーションでございます。その魔法の詠唱と効果には、一週間の時間を要するのです。ローザ様なら理解して頂けると信じておりますが、巫女の仕事は世界の精霊力と魔力の調律、魔族討伐にございます。
一人の人間に、一週間を要する神聖魔法を使う……これがどれ程の律を乱すことになるのか。精霊力のバランスが崩れてしまえば、そこを魔王につけこまれることは火を見るよりも明らかでございましょう』
「そんな……」
シャルロットは、がくりと膝をついた。
「ふざけるな! 他の六人の巫女はどうした! 一週間くらい、全員でバランスを取れば――」
『第二の理由は人材不足にござい――』
ローザは再度手をかざし、憤るルドルフに睨みを効かせた。光の巫女、ミレーヌは勝手に話し出している。交信しているわけじゃなく、一方的に連絡を寄越してきてるわけだな。なんだよ、話し合いすら認めちゃくれねえのか……
『そのために現在、魔王討伐に必要な人材を揃えておりますゆえ、どうかピース様には、モルデーヌの内政に力を注いで頂きたく存じます。これは他の国の巫女たちの総意でもあります。お力になれず、申し訳ございません。神の御慈悲を……』
扇状の光が急速にすぼまっていくと、ミレーヌはその光の束に包まれ、共に消えた。
「――以上だ。これより先への立ち入りは無用。早急に立ち去られよ」
ニヤリとするバルガスにロイドが飛びかかろうとしたが、ナッシュたち三人組に取り抑えられた。
「そなたらの事情はこうして、しかと巫女様に伝えたのだ。義理は果たした。二度とは申さぬ、大人しく立ち去られ――」
バルガスの首元に剣を突き付けた奴がいた。ルドルフだ。こいつ、完全に気配を消してやがった。
「まだ話は終わっていないぞ! 金爾を返せ!」
「き、貴様っ」
「ルドルフさん!」
「俺には金爾がどうしても必要なんだ!」
「み、ミレーヌ様のお言葉を聞いたろう! 魔王を倒すのは貴様たちではないと――」
「――関係ない! あれは、俺の……命そのものなんだ!」
「その件は昨夜、話したではないか! その、金爾とは、一体なんのことを、うぐっ!」
ルドルフは、バルガスの背後に回り込むと、奴の首に剣を向けた。
「しらを切るつもりか! 正直に言え! 金爾はどこだ!」
「ルドルフさん落ち着いて! 話し合いが足りない――」
「――話し合いならすでに終わった! こいつらは嘘つきだ!」
風を切る音が一瞬聞こえ、俺は反応した。
折れた矢が地面に叩きつけられた。まずいな、完全にルドルフの頭を狙いに来てる。
「神威正流……このガキめ、一体何者か」
「ガキとはなんだバルガス殿! 無礼者め! こちらにおわす方をどなたと心得る――」
「――男爵、お静かに。バルガス殿、こちらの不手際です。謝罪致します」
「ピース様!」
俺はバルガスに対し、貴族式の礼で対応した。睨みながら鼻を鳴らした彼は、ルドルフの剣を見た。目の前の刃ほど、怖いもんはねえよな。誰だって一緒だ。
「ルドルフ。剣を下ろしなさい。あなたのしていることは、獣人族との火種になります。ボヤで済むうちに、バルガス殿から離れなさい! 私が解決すると言ったではありませんか」
「お言葉ですがピース様。あなたのような子供を、私は初めから信用などしておりませぬ」
「ルドルフ殿、控えよ!」
「男爵、いいから。ルドルフさん、金爾がなくとも交渉は出来ます」
「国同士の交渉ですぞ! 商売人の駆け引きとは訳が違うんだよ!」
「なんだと!」
「男爵! 入って来ないで!」
ロイドはうなだれた。
「あなたの国は滅んだ。滅んだ国との交渉? 相手にされる道理がないではありませんか」
「それでも! それでも俺は!」
ルドルフの剣が、震えている。
「……気持ちは、解ります」
「ハッ! 解るもんか! 五歳のガキが、何を解るっていうんだ! ふざけるのもいい加減にしろ!」
ルドルフ……ふざけちゃいねえよ、俺は……俺だって、嘉重組を潰されたんだ、江田島に。
てめえが言うところの、おれの国。
魔王に国を滅ぼされたのは、俺も同じなんだよ。
「ルドルフさん……私は本気です。これで引いて下さい!」
俺は、仕込み杖を首に挟んで、鞘を抜いた。
「ピース様、何を……」
刀を地面に突き刺した。
「バルガス殿。光の巫女に伝えて下さい。あなたの魔法など……腕なんかいらないと。だが、魔王を倒すのは私の役目です。代わりなんぞ寄越したら、私はその人たちも敵にまわす覚悟があることを。私はまだ、終わってなんかいないんです!」
右腕を、その突き刺した刀に向かって振り回した。
「ぅらああああっ!」
「ピース様ぁ!」
肘から下が、砂利の上にぼとりと落ち、俺の腕からは、鮮血が噴水のように吹き出した。
くっそ、半端ねえ痛み。気を失いそうだ。ちょっとだけ回復魔法で止血。
「こ、この子は……ローザ様、この子は何を……」
「ぼ、ぼ、ぼ、ぼぼ……ふぅ」
ローザは、膝まづいていたシャルロットに抱きかかえられ、彼女もろとも、白目を剥いてぶっ倒れた。
なんだよ、ああ、母ちゃんはその前に失神していたようだ。
「バルガス殿……これが私の覚悟です。これで今までの……全てを許して下さい。ルドルフは、私の子分です。だから、これで許してやって下さい」
お前らには解らないこと。それでもいい。伝わったかよ、俺の覚悟は。
「ピース・ベッテンコート……あなたは……」
ルドルフは、剣を落とし、膝をついた。
「……ピース殿。腕を見せて下され」
バルガスは落ちた腕を拾い上げると、なにやら呪文を唱えた。腕を付けられ、暖かなバルガスの手が、光を放った。
痛みが、消えていく……
「バルガス殿……」
「もう、やめましょう。千年戦争はもう終わった。いつまでも過去の因縁を引きずるのは、我々も本意ではない……そしてあなたの覚悟に、私は心を打たれた。
バルガス・イギーとピース・ベッテンコートの名にかけて誓おう。過去の事は、水に流す、と。
ルドルフ殿。金爾の件は、もしやするとムタリカ族の者かも知れない。私の方で、話を付けよう。モルデーヌに使いも寄越す。どうか、今回はこれでお引き取り願いたい」
「バルガス殿……ピース様、俺は……」
ルドルフの肩に手をやった。
「帰りましょう。あなたも男爵も、私の子分です。親分の言うことは絶対ですよ。これが私のルール。良いですか?」
ルドルフの肩が震えている。一頻り震えた後で、彼は片膝を上げた。
「不肖、ルドルフ・リッケンバッカー、この身命にかけて、ピース・ベッテンコート様にお仕えすることを誓います!」
ルドルフの部下たちも、慌てて膝をつき、そしてバルガスは、微笑みを浮かべながら去っていった。
「マリア。小皿と酒を持ってきて下さい。ではルドルフ、盃を交わしましょう」
「サカズキ?」
「親子の縁を結ぶのです」
「――これで宜しいですか? ピース様ぁ」
「上等です」
マリアから手渡された小皿に、酒を垂らした。ローザとシャルロットが寝ていて良かった。マリアには睨まれたが。
一口やった。あ、ロイドも忘れてたな。
「ついでに男爵も」
「ついでに……ですか?」
わなわなとしているロイド。面倒臭え奴だな。
「ごめんなさい、男爵とも交わしていなかったから」
ニコニコご機嫌な顔になったロイド。くそ面倒臭ぇ……
ルドルフは涙を流しながら、小皿に口を付けた。
「これで男爵とルドルフとは兄弟ですよ。はい、仲良く! 睨み合わない! よし、では、これからモルデーヌへ、戻りますよ!」
「「はっ!」」
男たちの声で鳥たちが一斉に飛び立つのを眺めながら、俺たちの帰り支度は始まった。
「ピース様、かっこいいですよ。商会と兵団……こんなに沢山の人たちを子分にしちゃうなんて」
マリアがうるうるとした眼をしながら、両腕でぎゅうっと谷間を強調している。良い眺めだ。
「ふふっ。これからです、全てはこれから……あっ」
ふと、父ちゃんの青ざめた顔が浮かんだが……とりあえず頭の済に追いやった。