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極の細道  作者: LIAR
第三章 モルデーヌ激闘編
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第二十五話『侠客、人斬り源二郎』

「やめてくぁ……あぁ……お願い、たた、助けて」

「ふざけないで下さい! 襲っておいて今更命乞いなど!」


 江田島の首から真っ赤な血が、ヌルヌルと刀身を伝って滴り落ちていく。俺の右手は、そいつで生暖かく濡れた。

 江田島はガチガチと歯を鳴らして、刃の行方を目で追っている。これだ、これだよ。この顔が見たかったんだ、ずっと……

 殺してやる……親分(オヤジ)の仇を……


「アァァ……神様ぁ……」


 こいつ……違う。違うぞ。落ち着け……


 あいつは、神に祈ったりなんかしねえ。

 俺の知ってる江田島は、こんな命乞いなんか、絶対に……


――下の方から微かに声が聞こえた。シャルロットの叫び声だった。


「ピースぅぅぅぅ! やめてぇぇぇぇ!」


 やめろったって、もう遅ぇよ。こいつ以外、ぶった斬っちまったよ。

 ちくしょう、目の前にいる江田島が、情けなさ過ぎて……

 てめえはそんな、へたれた野郎じゃなかったろうが!


 ちくしょう、怒りが止まらねえ……こんな、こんな奴に……いや違う、俺たちは……


――江田島 源二郎……

 俺の脳裏をよぎったのは――

 江田島(あいつ)とドヤ街の、酒場の喧嘩を収めに行った、あの古ぼけた過去。忘れかけていた、遠い記憶――



――相手は八人いた。若くて血気盛んな土木作業員の連中。


 あの日の組事務所の電話が鳴った時、運悪く義務教育を終えて間もねえガキんちょと、中年に片足突っ込んだ読書好きのおっさんしか残っていなかった。

 ドヤ街を流通してるアルコールにゃ、何か色々混じってんのかも知れねえ。こっちが何者かも判断できねえ程に、連中は頭に血が昇ってた。こちとら二人。当然、袋叩き。


 くそ冷てぇ風が落ち葉を一斉清掃する。赤い橋桁の下で、砂利とゴミが散らばったコンクリートの上で大の字になった俺たちは……ドブくせぇ川のニオイを嗅ぎながら、オリオン座の空と、錆びた鉄橋の無機質な光を転々と放つライトを眺め、痛む身体に鞭打ってバカみてぇに笑い転げた。

 生まれて初めて、一方的にやられた大人の喧嘩(・・・・・)。手ぇ出したら負け。通過儀礼にしちゃ些か度が過ぎたようで、今では生まれつきとも思える俺のクソ度胸も、多分あの時あの場所で、植え付けられたのかも知れねえ。


『――おう、生きてっか。よく耐えたな。俺だけでも褒めてやるわ。あー、痛ぇなぁ、修二ぃ……極道って奴ぁよ、一体……どこを歩きゃ、極道なんだろうなぁ……狭ぇ道だぜ』


 そうだ。あんたはあの頃から、何か他の連中(おとな)とは違ってた(・・・・)。いつも難しそうな本を片手にタバコふかしてるおっさん。そして誰よりも俺に優しかった男。俺は、そう感じていた。


『――へっ。なんすかそれ。ゲンのオジキらしくねえっす。情け無用の、人斬り源二郎の名が泣きます』

『ふん、黙れクソガキ。なあ、修二よぉ。俺ぁこの歳んなって、ようやく見えてきた(・・・・・)気がすんだよ』


 江田島は親分(オヤジ)から誰よりも信頼されてた。誰よりも熱く、何よりも仁義を重んじた。そんな男だった。あの頃は。

 

『何がです? (ゲン)のオジキこそ、大丈夫すか。幻覚じゃねえっすかそれ』


 イカれた孤児院暮らしを終え、二本木組長の養子になれたまでは良かった。が、人付き合いの礼儀作法の何一つ、あそこで教わってこなかった俺は、組に入ってからも軽口叩いて兄貴分たちによく殴られた。クソ暴力団め。だが、あの孤児院のジジイとは違って、意味のある暴力だったと思っている。とにかく俺に足りねえ作法は痛みで叩き込まれたんだ。

 だが江田島は、俺がたとえ軽口を叩いても、ポカやらかしても、絶対に俺を殴ったりはしなかった。

 人斬り源二郎と恐れられていた江田島源二郎、ちょっと歳食ってもうろくしたのかな、そんな風に思っていた。

 まあ、俺って奴は、ホラー映画の第一犠牲者さ。冒頭でさっさとくたばる奴。はなっからそう思われていたのかも知れないな。

 失笑もんだ。そいつに殺されたんだから。


『――ばぁか。最後まで聞けや。本物の極道っつうのはよ……自分てめえを殺しに来た奴とも、マブダチになれるおとこなんじゃねえかってなぁ。そんな風に、アイテテッ! ちっ、おお痛ぇ、奥歯ガタガタじゃねぇか。ひでえなぁ、最近の若ぇ衆は喧嘩の妙味ってもんを知らねえ』

『ふふっ……ふへへっ……ぎゃはははっ……』

『おうコラ修二、何がおかしんだてめえ。頭ぶつけたんか』

『ひっひっ、いえ、すんません。でもそんな、絶対無理っしょ。殺しにきてんすよ? だって……仮にっすよ? 源のオジキがやられた日にゃ、総出でそいつの、末代までぶっ殺しにいきますよ俺ぁ』

『ハッハーッ、嬉しいねぇ。猪突猛進、オメエらしいよ……でもな、そんな(おとこ)になることが、本物の極道なんじゃねえかって、俺は思ってんだよなぁ……』

『なんか……カッコいいっすね、そーゆーの』

『だろう? 男磨けよ、修二。あ、そうだお前、アレは覚えたんか』

『アレって? 俺ぁやらねえっすよシャブなんか。あ、それとも女すか』

『ばぁか、ちげえよ。ませてんじゃねぇ、クソガキのくせに。

 仁義口上だよ。侠客目指してんならあれくれぇ覚えとけ。この前教えてやったろ』

『あー。難しいっす俺には。大体、このご時世に、どこで使うんすかアレ。紙に書いたらダメっすか』

『アホ。聞いて覚えて、相手の耳に聞かすんだよ。俺もそうやってオヤジに教わった。いずれ役に立つ。いや、そんな理由で覚えるもんじゃねえか。昔はな、言えなきゃ渡世人は米粒ひとつありつけねぇでくたばった時代があったんだ。気負いっくれえはよ、侠客らしくいこうや。せっかくだ、今やってみろ。ほれ、言え』

『ええ、マジすか……おひかえなすって、えーと……』――


――あんたにだけは、何でも言えた。あんたは何でも聞いてくれた。何でも教えてくれた……俺は、ずっとあんたの物真似ばかりして……あんたの背中の唐獅子牡丹を見て……仁義を……


 突然、涙が溢れてきた。この感情が何なのか、全く解らなかった。


「みんな……みんなあなたに惚れてた……大好きだった……憧れだったんですよ! それなのに、親分(オヤジ)を、あなたは……一体、何があったんですか、源さん! 教えて下さい!」


 オヤジの跡目は、あんただった。順番から言や、まだ三番手くれえだったかも知れねえが、たとえ誰がなんと言おうと、小鉄も、勘助も……俺たちは、あんたに付いてくって……


 何かが……何かが、あんたを狂わせた。


 そう、俺は知りたかったんだ。今だって信じらんねえんだよ。だからこんなにムカつきが止まらねえんだ。

 認めたくねえ。冗談じゃねぇ。俺は……信じたかったんだ……


 ぶっ殺す前に必ず聞き出してやる。どうして、あんたが親分(オヤジ)を殺さなきゃならなかったのかを。

 こちとら、こんな訳のわからねえ世界まで来て、片腕まで失って……こいつは何の落とし前だ! くそっ!


「――ゲンさん? 誰、な、なんのことだか、さっぱり……」


 目の前の江田島は、にやけているのか、泣いているのか判らない顔で、こっちを見ていた。


「……くそっ! くっそぉっ!

 はぁ、はぁ、はぁ……こ、これは……」

「ごめんなさい! 助けて……死にたく、死にたくないぃぃ……」


 急に視界がぼやけ、太い枝の上に残っていた肉片が次々と、刺々しい毛むくじゃらの腕や体に変わっていった。


 獣の……これが、獣人族……


「――坊っちゃまぁぁぁぁ! こやつらは敵じゃないんですじゃ! 落ち着いて呼吸をしなされぇ! 幻惑樹のせいじゃてぇぇぇぇ!」


 ローザのウインドボイスが耳元でボリューム最大。危うく気を失いそうになったが、お陰で目が覚めた。


 だよな……幻惑樹のせいなんだよ……こいつじゃねえ。


 目の前で……耳に手を当て、顔中の穴から液体を流して命乞いをする猿……何だこいつは。顔は人間とよく似てるが、耳の位置や、体毛の位置や量が、明らかに人とは違う。

 昔、舎弟の翔が、小鉄と一緒に目をキラキラさせて読んでいた、オカルト雑誌の……これは、い、イエティ、だったか? いや、宇宙猿人だったか。勘助がクールに全否定してくれていたが。それを思い出させた。


「あなたは……獣人族ですか?」

「はひぃ、ごめんなさいぃ……人間なんて滅多に森に入って来ないもんで興味本意で近付いたら突然敵襲って叫ばれたので何がなんだかこっちも興奮してしまってパニック起こして仲間のチャッキーが――」


 早口過ぎて、もはや内容が頭に入ってこねえ。そいつの首に右手をあてがい、喋るのを止めさせ、そして回復魔法をかけてやった。


「いいですか。先程の話は、聞かなかったこと。誰かに話したら、殺しますから」

「はぁ……はい……」



       ◇◇◇



 またもや面倒なことになった。

 森の住人の人猿、イギー族。

 そして人猫のムタリカ族。こいつらは光の巫女の寵愛を受けている獣人族なんだと、ローザは語った。


 泉のほとりでナッシュが土下座して震えている。

 シャルロットはしゃがんでナッシュの肩に手をやり、何か呟いていた。

 無理もねえ。こんな森であんなもんとはち合ったら、知らなきゃ誰だって敵襲って叫ぶよ。予備知識が足りなかった。これは指示した奴の責任だ。ナッシュじゃねえよ。


 ロイドのもとへ近付いていくと、彼は青ざめた顔で髭を触っていた。


「ピース様、お怪我はございませぬか……大変なことになってしまいました」

「大変とは」

「この者たちは、森の番人。逃げた者たちから、いずれは巫女のもとへ、この一件が知れましょう」

「光の巫女の……」


 辺りを見渡す。これだけの数が、一体どこに隠れていたのか不思議に思える程の獣人たちがいる。

 大木の下でムタリカ族の女や子供たちが、遺体にすがり付いて泣いていた。


「兄さま、お願い起きて。兄さま」

「父ちゃん、いやだよ、父ちゃん!」

「ああ、あなたぁ! ああああ……」


 俺が、殺した。怒りに任せて……殺しちまった。

 祖父ライアンが、ゾイの襲撃を受けたあの日がフラッシュバックして、膝から力が抜けた。

 俺は、ゾイと同じことをしちまった。


「ピース様!」


 ロイドたちに抱えられ、簡易テントまで連れてこられた。


 テントの中ではルドルフとローザ、そして獣人族の……恐らくだが長老と呼ばれる奴らが俺を睨み付けていた。老け具合からして長老。そう思った。


 ローザが昔、風の巫女をしていた頃からの馴染みらしく、そんな彼女が仲介役になって議論が進んでいた。


 推移としてはこうだ。獣人族のエリアはキーヌ川沿いで、こんなふもとの方まで降りて来ていること自体が協定に反する。おかしいと主張するルドルフと、森の所有権は光の巫女に託された獣人族にある。侵害者は人族の方だと主張する獣人の長たち。


 不毛な言い争いは、深夜にまで及んだ。


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