第二十一話『偽物ヒーロー』
時を遡ること約二千年前――
七大陸の各地で、巫女達が率いる人族と獣人族の半分が組んだ連合軍、そして魔王率いる魔族が残り半分の獣人族を従えた、魔王軍。
そいつらが、派手に領土争いを繰り広げた時代があったという。
――千年戦争。後の人々はそう呼んだ。
神聖流の開祖は、そんな動乱期に現れ、千年も続いていたというその戦争に、終止符を打った男として語り継がれている。
その名は、トドナミクス・ヘイレン。
最初の剣聖と呼ばれる男だ。そうだよ、覚えてるか? シャルロットが俺に名付けようとしていた名前だよ。危うくとんでもねえ名前を付けられるところだったぜ。
そしてこの男、どこから来たのか、何族だったのかも判らない、まさに謎多き……いや、謎だらけの剣士。
千年も前の話だ。今更誰も知る由もねえがな。
彼の出生にまつわる謎は、未だに歴史学者達の、格好の酒のツマミなんだそうだ。
そんな謎の男が歴史の表舞台に現れたのは、傭兵だったとされる彼が、たった一人で多大な戦果を上げた事だったという。
その内容は、とにかくまあ荒唐無稽のマユツバ物で、信じろって言われたって、アホかと返したくなるような内容だ。
一人で何人倒したとか、何秒で返り討ちにしたとか、よくあるだろ、間抜け面したヤンキーだのエセ格闘家なんかが後に語ったりする、胡散臭ぇアレだ。うちらの(元いた)世界じゃあんなもん、笑い者だぜ。引き金引く度胸があるか、ないかだからな。
トドナミクスの武勇伝は、その、倒した桁が丸三つ四つ増えたもんだと思ってくれればいい。
しかし言わずもがな、彼が味方についた戦闘は、あり得ない戦力差をひっくり返しての連戦連勝だった事だけは、歴史が物語っている訳だ。
うーん……信じるか信じないかは、あんた次第だ。
そして最大の謎は、どこかの大陸で王になれたであろうはずのトドナミクスが、戦争が終わると同時に、歴史書からその名前が、忽然と消えちまった事。
そして残されたのは、弟子達の骨肉の争いだ。
千年戦争が終わりを迎えた頃、レイルズ叔父さんのご先祖さん、ジェイソン・マーキュリーさんが神聖流から独立したというわけだ。
ジェイソン氏が神威流(後に神威正流)を名乗るようになった時から、この争いは続いているのだから、考えてみればとんでもないな。この世界の人間は執念深いな。俺も人の事言えねえがな。
神聖流からしてみりゃ、独立なんぞ言語道断。超絶許せねぇ話だったようで、まるで糞に群がるハエの如く、刺客が送られたそうだ。だがしかし、それもやがて黙認せざるを得なかった程に、ジェイソン・マーキュリーは超変態級の強さだったんだとか。
だってもう、名前からして、なあ。死んでも強そうじゃねえか。
さて、長くなったが本題はここからだ。
片腕無くして頭がおかしくなった、なんて言わないでくれよ。
もしも、だ。もしも、俺が、その……トドナミクスに出会った……のかな、なんて話をしたら、あんたはどう思うよ。
い、いや、すまん。俺もどうかしてる。そんな筈ねえよな、うん。
そんな大昔の、あはは、生きてるわけ……
……信じるか信じないかはどうやら、俺次第ってことらしい。
今回は、そんな話だ。
◇◇◇
――民衆は誰もが、ランディ・ギルモアとその一味は、反逆罪で死刑だと噂していた。だが、結果は違法賭博で懲役十五年。またもや元老院の横槍が入った。闇カジノの利権が絡んでいるのだろうか……アランの訴えが、退けられる形となった。
衆の前任だったブラックモア家と鷹の爪商会との癒着。
アランはその証拠書類を揃えて訴え出たが、流石は元老院だ。逆にそこを見事にすり替えられてしまった。
罪状が反逆罪ではなく、共謀罪に。しかも未遂。軽すぎるにも程がある。
ならば一体、誰が死んだら既遂だったんだ。あれだけ多くの人達が死んだのに。
アランも死ねば良かったのか。冗談じゃねえ。俺は師匠と片腕を失ったってのに。
ゾイが死んでしまったことで、結果的に連中の誰もがゾイを悪者に仕立てあげ、口をつぐんでしまった。死人にくちなしとは、まさにこのことを言うのだろう。
鷹の爪商会は闇カジノの件で解体させられた一方で、ブラックモア家は共謀者が見付からず、お咎め無しとな。
政治的には何とも後味の悪い結末となってしまった。これでもう完全に、領に対する民衆の不信感は簡単には拭えなくなってしまった訳だ。もう知らねえぞ、どうなっても。
――やがて冷たい雪の季節も過ぎ、若芽が芽吹く季節になった。
俺はその間、片腕に慣れる生活を続けていた。
元々右利きだったから、食事は難なく受け入れることが出来たんだが(犬食いはみっともねえから嫌だけどな)、トイレと着替えが大変。マリアの補助が無ければ、殆ど何も出来ねえんだ。
尻は拭けるが、ズボンを戻すのが厄介。靴紐すら結べねえから、ブーツはベルトタイプに代えた。これなら右手だけでなんとかいける。
服装も脱着が楽な、小さなベルトやボタンで、片手でとめられるタイプのものが増えた。ちょっとパンクな色合いが出てしまうが、仕方ない。俺の趣味じゃねえが、まあ、この世界でファッションをどうこう言う奴はいねえ。そのうち大人になったら、着流しでも着てやろうかなとか考えている。風情があるだろ?
――片腕を無くしたあの日から、かいつまんで話そう。あれはキーヌ橋でシャルロットに抱き締められた、翌日の事だった。
――「坊っちゃまぁぁぁ!」
明け方、ローザが突然部屋に入ってきた時には、魔族の襲撃かと思った。
それより気になったのが、魔法のせいで鍵の意味がねえってこと。プライバシーの侵害だ。解錠かけちゃダメだろ、婆さん。
「――うわぁぁ! な、何ですかローザお婆様……どうされました?」
なぜかシーツで体を隠す俺。女じゃあるめえし。
「坊っちゃま! 腕を生やす方法が、一つだけありましたのじゃ! すっかり忘れとったで、この老いぼれの頭振り絞って考――」
――寝ぼけた頭が一瞬で覚醒し、ローザの説明を聞き終えたその瞬間から、俺は一も二もなく、旅支度を始めた。
◇◇◇
「どぉしても……行くんですか? ピース様……」
「当然です。このままマリアの世話になる訳には」
マリアは、俺の黒の上着を自分の腕に掛けたままま、それを渡すのを戸惑っている様子だ。手を伸ばして強引に奪い取ると、モタモタと右腕を袖に通した。左肩に腕を回したが襟に手が届かず、マリアはため息をつきながら、上着を肩にかけてくれた。
後は自分で着れる、という意味の手のひらを見せると、マリアは上目遣いで口をすぼめて引き下がった。
せめて肘から上辺りが残っていれば、脇で何かを挟んだり出来たんだが、いかんせん肩口から、すっかり無くなっちまったからなぁ。
「――私も行きます」
「駄目ですよ、仕事はどうするんですか」
「ピース様のお世話をするのが私の仕事です!」
そこに、凛とした声が割って入ってきた。
「――流石、よく解っているわね、偉いわマリア」
シャルロットがいつの間にか俺たちの背後にいた。
「奥様! ありがとうございますぅ」
「お母様! 危険すぎます!」
「あなたが言うセリフじゃないわよ、それは。私も行きます」
「「えー!」」
――シャルロットにより、総勢十名が選抜された。ローザ、シャルロット、マリア、そこにロイドと三人組が志願してきた。残りの三人はシャルロットの弟子たちだった。
目的地は、モルデーヌから北へ百キロ程の山脈地帯。光の巫女が住む、ラーシャ神殿。
ローザ曰く、光の巫女のみが使える「リジェネーション」という神聖魔法があるらしい。
失った手足を再生させる事が出来るんだそうだ。
そんな魔法があるなら、戦力外通告なんて最初っからするなってんだよ。
◇◇◇
「男爵、あなたたちまで付いてくる必要なん
て……」
「お言葉ですがピース様。この幌馬車と馬は私の物でございます」
「そうよぉ、ピース。ロイド男爵に感謝なさい。装備品まで一級の物を取り揃えてくれたのだから」
シャルロットは目を爛々と輝かせていた。現金な母ちゃんだ。
「旅行じゃないんですよ? 何かあったらどうするんですか」
「大丈夫ですじゃ。これだけの装備と、神聖流の剣士が三人もおるで、そうそう危険な目には遭いますまいて。ところで、ラーシャ温泉にも寄っていきたいのう。あそこの湯は神経痛に効くんじゃ」
「名案ですな、ローザ様。そのルートで参りましょう」
ローザは明らかに、慰安旅行じゃねえか。うまく取り入りやがったな、ロイドの野郎……
アランとレイルズが俺たちに向かって、剣を取り出して切っ先を天に向け、柄を口元に寄せた。この世界の礼式だ。
「神の御加護を! ピース、頑張れよ!」
「はい。お父様、レイルズ叔父さん。行って参ります」
二台の幌馬車は、走り出した。
――「な、何ですか、これは……」
モルデーヌのメイン通りを、大勢の街の人たちが並んで、俺たちに手を振っていた。
「そ、それは、一夜にしてピース様が旅に出られる話が、町中に広まりました故」
おい、ロイド。なんだその冷や汗は。てめえの仕業かこの野郎。
「ここのところ、ピース様は家にずっと籠りきりだったので知らぬとは思っておりましたが」
「何がです?」
「そりゃあ、坊っちゃまは、あの元魔王、ゾイを倒した英雄じゃてぇ」
ローザの言葉で、俺はシャルロットを見た。彼女は口笛を吹くような口をして、そっぽを向いた。
「ピース様はモルデーヌの英雄ですぅ」
「マリアまで……そういうことになっているのですね……」
悲鳴が聞こえたので外を見ると、民衆の群の中、少女達の集団が一際目立っていた。騒ぎすぎだろ、あれは。
「キャー! ピース様ぁぁぁ!」
「カッコいいぃぃぃ、きゃぁぁ!」
「こっち向いてぇぇぇ! キャー!」
まあ、悪い気分ではないが……いや、罪悪感だな。俺じゃねえもの。ゾイを倒したのは……
「――随分とまぁ、人気だこと」
「笑い事じゃありませんよ。何で私がゾイを」
シャルロットは、隣に座る俺の口を素早く塞ぐと、耳元で小さく呟いた。
「いたずらに民衆を恐怖に陥れる訳にはいかないでしょ。どっしり構えなさい」
「……なるほど、政治利用ですか……あざといなぁ」
偽物の英雄を乗せた幌馬車は、モルデーヌの街を抜けた。