第二十話 『戦力外』
簡易ベッドの所へ戻ると、あの白い仕込み杖が立て掛けてあった。あれ、マントはどこへいった? 見当たらねえぞ。
仕方ないので、杖だけ持って外へと向かった。だが予想通り、教会の門扉の前で呼び止められた。
「ピース様。どちらへ」
目力のある衛兵は、恐らく何人たりともここから出すな、或いはここへ入れるなと命令されているのだろう。
ロイドの門番に比べたら雲泥の差だ。良い仕事ぶりだが、今の俺には邪魔者以外の何者でもない。
「申し訳ありません、ちょっと用を足しに」
「でしたら、室内の厠をふぐぉ!」
衛兵の下腹部へストレートパンチを見舞うと、扉を開けた。
「あ、ピース様、おはぎょっ!」
外の衛兵も同様に倒すと、俺は魔法で上空へと向かって飛び出した。
片腕がねえことが、ここに来てようやく不憫に感じた。バランスを取るのが難しい。これからは余計に魔力を使うことになったわけだ。
半ばやけを起こしそうな気分だ。落ちたら助からないと感じる高さまで、上昇していた。
ちくしょう……ちくしょう!
やがて風の出力バランスをやっと調節できた俺は、上空から朝焼けに染まるモルデーヌの景色を眺めた。
昨夜の喧騒が嘘みたいな、穏やかで柔らかな色合いの赤レンガ達が、規則正しく並んでいた。
太陽の光にキラキラと反射しているのは、鎧を着た衛兵たちだ。
定期的に街を巡回している姿を見ながら、この街を守れたという気持ちも起きず、この片腕の喪失感が夢じゃなかったことを、実感した。
――おい、クレア聞こえるか
『ふぇ……おは、おはようございます、ご主人様。随分とお早い――』
――寝てるところ悪かったな、ちょっと頼めるか。
『どうされました?』
――ダレスが今どこにいるか、教えてくれ。
『ダレス様ですか……少々お待ち下さいませ……あ、今度は判りました、モルデーヌ郊外の……いえ、もっと外ですね。キーヌ橋の付近です。ダレス様も早起きですね』
――あいつも眠れなかったんだろ。ありがとう。
『今から向かわれるのですか? あそこはたまに魔物が出る地域です。大丈夫ですか』
――ああ。大したのは出ないと聞いてる。
それに、お上が朝っぱらから、逮捕状持って容疑者のところへ押し掛けるのは、何も逃げられねえようにするだけが理由じゃねえんだぜ、クレア。頭が働かねえ時にアレコレ聞き出すのがベストなんだ。
『なるほどです。お気を付けて』
俺は舐めるように落下しながら、軌道をモルデーヌ郊外の方へ向けた。
◇◇◇
壁門を過ぎたところで、路地へと着地した。
キーヌ川付近には魚を食いにきたり、水を飲みにくる魔物とたまに出くわす
らしい。人畜無害、というまではいかないが、目が合えば逃げ出すようなレベルだ。仮に襲われたとしても、大人なら剣を一本持ってりゃ、素人でもなんとかなる。群れで来られたら厄介だが。
残りの魔力を気にしながら歩いた。
大人二人分の高さの草花が密集した場所を、切り開いたような砂利道だ。
所々に大きな木があるが、枝だけのそいつらを見ていると、何だか大きな手のようにも見える。少しだけグロテスクだ。川に近づくにつれ、砂利道の石が大きくなってきた。
キーヌ橋が見えてきた。クレールの港町にはこの橋一本だもんな。老朽化が進んでいて、いつ壊れてもおかしくないって、レイルズ叔父さんが言っていた。兵士をこさえる前に、橋を直す予算が先だろうよ。まったくどこの世界も胡散臭ぇぜ、政治家ってのは。
ダレスは橋のふもとで大きな石に腰掛けていた。あんなポーズの彫刻を昔見た事があるな。俺にはあれが考えているようには見えなかったけどな。
ダレスは俺の姿を確認すると、立ち上がってこちらへ向かってきた。
「ピース……」
「ダレスさん。こんな所にずっといたんですか? 風邪引いちゃいますよ」
「ああ、お前ならここに来るんじゃないかと思ってな」
「どうしてです?」
ダレスは目のくまが酷く、しかも腫らしていた。泣きはらしたのか。
「――その前に……お前にどうしても謝らなければならない。俺のせいで、お前は腕を」
「なんだ、そんな事ですか」
「そんな事って! 剣士が隻腕になって、もう戦える訳がない。俺は、死んでも死にきれない。本当に取り返しのつかない事を……すまなかった」
肩を震わせて頭を下げるダレス。
「ですから、そんな事で謝らないで下さい。教会まで運んで下さったじゃないですか。お礼を言いたいのは私のほうです。あのまま腕を残していたら、全身に毒が回って――」
ダレスは地面を見ながら首を振った。歯を食い縛っている。
「――違うんだ……俺は、見ていただけだ。俺じゃないんだ」
驚かねえよ。そう思っていたからな。
「では、どなたが」
「解らない。見たこともない少年だった」
「少年? その人が?」
そいつは驚いた。少年……そいつが、俺の腕を?
「――ああ。十歳くらいだろうか……お前に似た、金髪の少年だ」
「あの場には、子供は私だけでした」
「ああ。そいつは、風のように現れて……躊躇なくお前の腕を、斬り落とすと同時に……ゾイをめった斬りにして去っていった」
「凄いですね。ゾイは回復力が、半端ではありませんでしたが」
「それは恐らく、あの少年の持つ剣が、神剣の類いだったんだと思う」
「神剣ですか……その少年は、どこへ?」
「モルデーヌから出ていくのを衛兵警ら隊が呼び止めたが、その少年に、部隊を全滅させられた」
「全滅、ですか」
「ああ。幸いにも死者は出なかった。全員が気絶させられたそうだ。敵なのか味方なのか、判断に迷うよ。この件に関しては、シャルロットが激昂してな。息子を隻腕にされた挙げ句、衛兵までやられたとあっては、衆の名折れだ。
そして神聖流で討伐隊を結成して、ナルナーク領全域で少年を探しているんだが……もう見つからんよ」
ため息をついたダレスは手のひらを天に向けた。お手上げか。
シャルロットのあの鎧姿は、そういう事だったのか。なるほどな。
「ダレスさんは、今まで何を?」
「俺か? 教会へお前を運んだ後、レイルズから警ら隊全滅の知らせを受けて、単独でモルデーヌ郊外へ出た。クレール港へ続く此処で、読み通りその少年を発見したんだが……」
橋の向こう側を見ながら話すダレス。なるほど、少年は、もうこの大陸には居ねえのか。
「港へ向かった少年を、止められなかった、と」
「俺が止められるわけないだろ。俺が敵わなかった、あのゾイが……襲いかかったゾイを一瞬で返り討ちに……肉片にするような奴だぞ。しかも身体強化も使わずに……あんなの、魔族ですら倒せねえよ」
小石を蹴飛ばしながら憤るダレスは、しゃがみこんで頭を抱えた。
「――ブースト無しで、ゾイを殺したのですか」
「そうだよ。一体、この世界はどうなってやがる。お前といい、あの少年といい、最近本当におかしな事ばかりだ」
俺はここに生まれた時から、おかしな事ばかりだがな。
「ところで、ダレスさんは何故ここで、私が来るのを待っていたのですか?」
「……それは、街で話が出来るような話じゃなかったんだ。一応、俺はお前の弟子だからな」
「何ですかそれ」
「誰かに聞かれたら間違いなく、お前は衆に捕まる。そんな話だ。だからこうやって悩んでたんだよ」
ダレスは辺りを見回すと、懐から懐中時計を取り出した。
「何ですかそれ」
ダレスはその懐中時計の蓋を開けた。
「これは、誰にも話を聞かれない為の魔道具だ」
「へぇ、そんな物があるんですね」
ダレスは俺を睨んだ。何をそんなに怒ってやがる。
「これは少年から譲り受けた物だ」
「え、少年から?」
「お前への伝言だ。『七大陸の巫女を、信用するな』以上だ」
「え、巫女を?」
「ああ。お前は一体、何者だ? ピース」
「何者って……」
俺は、何も言えなかった。
「この魔道具は、明らかに七大陸の巫女に聞かれたくない時に使う物だ。そうだよな」
そうか、それで昨夜、クレアがダレスを見失ったのか。
「何でこんな物を使う必要がある。なあ、ピース。教えてくれ。お前は何を隠している?」
「それは、こっちのセリフです!」
「俺か? 俺は何も隠す事はないぞ。ランディとは仕事で一緒になることもあるし、ゾイは冒険者時代に助けてもらった恩があった。それだけだ。何をお前が推測しているのかは解るが、俺は、それだけなんだよ!」
ダレスは懐中時計を突き出した。
「お前の物だ、ピース」
「ダレスさん……」
受け取った懐中時計は、見た目よりずっと軽かった。
「おかしいと思ったんだ。こんな子供が、やたら強いのはやはり、何か理由があるんじゃないかって。俺はごめんだ。巫女を敵に回すなんて、神聖流に追われた方がまだましだ」
背を向けたダレス。そして、背中の大剣を外して、地面に突き刺した。
「巫女の何を知っているんですか?」
「その蓋を閉じれば、また巫女の監視下に入るだろう。巫女は七大陸の統治を任されている、神に一番近い存在だ。魔族ですら敬意を持っているような、至高の存在だ。
俺は……剣士を辞める。
お前を守るどころか、腕まで……自信を無くした。街で細々と生きるよ。
お前が何を考えているのか、そして何者なのかを知る前に、俺は下りる」
ダレスは、静かに去っていった。
止める事はない。心折れた人間を、甘やかし、おだて奉って、またそいつが何か始めたところで、また同じ事を繰り返すから。
俺は、飛び上がってダレスの大剣を地面から引っこ抜くと、そいつを引き摺りながら歩いた。こいつは貰っとくぜ、ダレス。
懐中時計の蓋を閉じると、クレアが大騒ぎしてた。
七大陸の巫女を、信用するな、か……
『ご主人様! ああ、良かった、思念が消えたので思わず他の巫女にまで連絡してしまいました』
――悪かったな、クレア。ちょっと寝ちまった。
『寝ただけでは説明が付きません。何があったのですか?』
――転んで石に頭ぶつけて、気ぃ失っちまった。
『……そうなのですか』
――片腕だとバランスが難しくてな。
『本当に、気を付けて下さいませ』
ごまかせた、のか?
『あの……ご主人様、申し訳ございません……大変言いにくいのですが……』
――どうした。
『先ほど、サンクイユ大陸の、光の巫女様から通達がきまして、その……』
――何だよ、光の巫女だと?
『はい。魔王討伐の件ですが、他の転生者に任せる事が決定したと』
俺は、足を止めた。
――そりゃ、どういうことだ、クレア。解りやすく説明しろ。
『ピース様には、これからもモルデーヌの衆として、頑張って頂きたいとは思っております』
――解らねえな。何が言いてえんだ?
『申し訳ありません。転生させておいて、こんなことを言うのはとても失礼なことだというのは解っております。ですが――』
――ハッキリ言えや。俺じゃダメな理由があるのなら、言えよ!
膝からガックリと、力が抜けた。
「自分じゃなきゃ、ダメだって……魔王を倒すって……あれほど……」
『ご主人様、申し訳ございません。片腕では無理です。これからは、どうかお身体を大事に、残りの人生を、慎ましく生きて頂きたいと、光の巫女様は――』
「――うわああああああああああっ!」
ダレスの大剣を、ところ構わずぶん回していた。
まだやれる! これからだ! これからもっと強くなって、魔王をぶっ殺すんだよ! その為に俺は、生まれて来たんだろうが!
『ご主人様……もう、やめて……』
ふざけんな……ふざけんな!
「るあぁぁぁぁぁっ!」
俺は、近くに生えていた大木やその辺の大きな石、目に見える物をすべて、ぶった斬っていた。
◇◇◇
我にかえると、シャルロットに抱き締められていた。
「ああ、ピース! ピースっ!」
「お母様……」
どうやら神聖流の討伐隊に見付かったようだ。俺は、シャルロットに剣を受け止められ、そして抱き締められていたんだ。
どこをどうやって家路に着いたのかは覚えていなかったが、部屋に戻って、泣きじゃくるマリアの胸の中で、泥のように眠ったことだけは、覚えている。
――突然の、戦力外通告。
何で魔王を倒すのが、俺じゃなきゃいけねえのか。思い返してみれば、理由はこれなんだよな。
まあ落ち着けよ。大した理由じゃなくて悪かったな。
謎の少年。こいつが何者なのかは、後で話そう。
そして俺の本当の戦いは、ここからが本番だった。これは間違いのねえことなのさ。
第二章 少年編 終了