第十八話『デタラメな戦い』
「行け、テメエら! やっちまえ!」
ランディ・ギルモアは腰元の剣を抜きながら息巻いた。
「行けったって、どこに……」
「見えねえもんな」
奴の取り巻き連中は、苦虫を噛み潰したような顔で、剣を抜いただけ。誰も動こうとはしない。気持ちは解る。見えねえもんを相手すんのは俺も嫌だ。
「なぁぁぁに怖じ気付いてやがる! 相手はガキ一人だろうが! 構う事ぁねえ! 衆が来る前に細切れにしちまえ!」
「あの、ガキっつっても、ランディさん。あの噂、知らねえんですか?」
「おーん?」
子分の一人は顔を近付けられ、泣きそうな顔で訴えた。
「ら、ライアンの孫が、神威なんとか流の宗家を、継いだとか」
「あ? 知るかボケぇ! クソガキに何ができる!? 大体、テメェのそれは何、の、た、め、だ!?」
ランディは、そいつの構えている剣に、自分の剣を何度も乱暴に当てながら怒鳴った。テメエが来いっての、ヘタレ野郎……
「神威流なんかに、ビビるな! 神聖流にもだ! これからは、魔神流の時代よお。
大手を振って歩きたきゃ、ぶった斬れ! こんなもんは、振り回して斬れりゃ良いんだよ! 言う事聞けねえんなら――」
「――ぎぃやぁぁぁぁ!」
別の叫び声に注目すると、ゾイが子分の首筋に食らいついていた。何だ、あいつ……
「ゾイ!? 何してやがる!」
噛まれた子分はびくびくと体を震わせ、そして、人形のように動かなくなった。ゾイは首筋から牙を抜くと、血まみれの顔を露にした。
めきめきと口元が伸び、変形していく。体がでかくなっていき、手足も伸び、爪が狂暴さを増した。
こいつは……狼男か。獣人族には色んな種類がいると聞いたが……こいつはそう、昔どこかで見た映画のまんまだ。
ゾイは、低く、くぐもった声を出した。
「お前の言うこと聞けねえなら、こいつら……俺の餌ってことで良いよな? ランディ」
「お、おう……おいテメエら! ゾイに食われたくなかったら――」
「ひぃぃ!」
逃げ出した一人の子分に、ゾイは瞬時に飛び掛かった。そいつは頭からいかれた。迸る鮮血。腹に爪を食い込ませ、内臓を引きずり出し、そいつを乱暴に口へと運ぶ。
『貪り喰う』という表現がぴったりなゾイのそのイカれた様相に、取り巻きの何人かが嘔吐した。
――やがて無造作に投げ捨てられた下半身。
ゾイは、口の中のそれをゴリゴリと嫌な音を立てて、飲み込んだ。
「やっぱりうめぇなぁ、人間は……うぉぉぉぉぉぉ……」
ゾイは身をよじらせながら、遠吠えのような雄叫びを上げた。
連中は奇声をあげて、剣を振り回しながら走り出した。
「うわああああ!」
「出てこい! ガキィ!」
「まだ死にたくねぇ! 死にたくねぇよ!」
やたらめったら振り回して、互いの剣で腕や脚を傷付け合いながらも迫ってくる。
恐怖に駆られた人間の、狂気の表情。悲惨な末路。
あてのない動きではあるが、多人数で予測出来ない剣筋を、こうもやられちゃ俺だって対処に困る。
俺は息を強く吸って、刀を抜く。何人かの剣を、危険なやつだけ見切って受け払った。
その瞬間、ゾイが動いた。
「がぁぁぁぅ!」
まるで雑草を刈り分けるかのように、子分どもを爪で凪ぎ払いながら距離を詰めてきた。
「ぐぇ!」
「はぐぁ!」
こいつは、敵も味方も見境なしか!
風壁を突き破って、ゾイの爪は刀に当たる。俺は体ごと、通りの奥の方まで吹っ飛ばされた。
いってぇ……片刃で助かった。自分で真っ二つになるところだ。
やべぇな、こりゃ、ダレスの時と同じパターン、いや、あの技なんか比じゃねえ!
――風魔法で態勢を整え、ブーストを使って石畳を蹴り、宙返りしながら建物の屋根まで跳躍して、身を潜めた。
「硬ぇなぁ。んだよその刀ぁ。子供は柔らかいから美味ぇのによ……人間のクセに生意気だぞ、小僧……」
くそったれ。こんな受け方、何回も使えねえぞ。魔力を使い切っちまう。そうなったら終わりだ。
ゾイは屋根を見上げて、こっちに顔を向けている。おいおい、俺が見えんのか?
「――おい、小僧。俺はな、ニンゲンの何万倍も鼻がキクんだ。
どこにいるのかも、魔族か人族かも、俺にはとっくに見分けがついてんだよ」
「ああそうですか。なら、姿を隠しても意味がありませんね」
「そういう事だ。それよりも、その刀がイタダケねえな。とんでもねえ怨念のせいで、剣筋が丸わかりだぜ」
そりゃご親切にどうも。やべぇ事に変わりはねえや。落ち着け、俺。さあどうする……
――「何やってんだ、ゾイさん!」
聞き慣れた声が、街に響いた。
ダレス・ヘッドフィールドだった。
「おお、ダレスじゃねえか。悪かったな、今夜は調子良かったみてえだが、この通り、今夜はもう店じまいだ。帰んな」
ランディはそう言うと、下品な笑いで子分どもに同意を求めた。連中は申し訳程度に愛想笑いを浮かべる。
「ギルモアさん、これは一体どういう事だ? この街じゃ大人しくしてるって、ゾイさんだって言ってたじゃ――」
「――どーもこーもねえよ。お前、あのガキの家庭教師だったよなぁ? ったく、どういう教育してやがんだよ」
ダレスはキョロキョロと辺りを見回している。
「ピースが現れたのか? どこに?」
ゾイが顎をしゃくってみせた。
「ピース!?」
「ここです」
マントを外すと、ダレスは今にも泣きそうな顔をして、大きく腕を広げた。
「何してるんだ! 帰るぞピース!」
「はっ。おいおい、ダレス。あんた、話が見えていねえようだな」
「ゾイさん、待ってくれ、この子に手を出すのだけは」
「今更、むしが良過ぎるんじゃねえのか?」
「ギルモアさん! 衆とこれ以上敵対してどうするんだよ」
こいつら……何の話をしてやがんだ?
屋根からふわりと降りて、ダレスに近づいた。
ゾイは、再び人間に近い姿に戻っていった。
「ダレスさん。ゾイさんとお知り合いなのですか」
「ああ、この方は……」
「自己紹介ならいらねえよ、ダレス。俺が、小僧の爺さんを殺した。それだけの理由で、こいつは俺の前に現れた。訳が解らねえよ。どうしてバレた?」
それだけの、理由だと?
訳が解らねえ、だと?
「……それだけ、とは何ですか」
「あ?」
ゾイは首を傾げている。なんだよ、本気で解らねえのか……魔族は人じゃねえから、感傷すら持ち合わせていねえって言いてえのかよ。
「――ダレスさん、あなたは、この男が何をしたのか、知っていたのですか」
「いや、違う。知らない……そんな、まさか、ゾイさん、あんたが本当に」
「――ごちゃごちゃうるせえな。仕事だよ、仕事。働いて何がいけねえんだ?」
俺は、ランディを睨んだ。
「待て、俺じゃねえよ。依頼したのはオズボーンだ」
「なら、オズボーンは何故、殺されたんです?」
ランディは肩をすくめた。まったく悪びれていないどころか、ニヤニヤしながら。
「そりゃあの野郎が、洗いざらいゲロっちまいそうだって、奴を監視してたゾイが判断したからよ。俺は知らね――」
「――皆殺しにする必要が、どこにあったぁっ!」
俺はランディに斬りかかっていた。
ゾイが即座に間合いを詰め、刀を面倒臭そうに、無造作に掴んだ。デタラメなスピードだ。
刀を持つ掌の傷が、煙を出しながらあっという間に塞がった。何もかもがデタラメだ。
「おおい、アブねえだろ」
「危ないのはあなたです! 答えなさい! 何故、皆殺しに――ぐふぅっ!」
ゾイに腹を蹴りあげられた俺は、石畳に顔を着けた。
「顔を見られたからな。お前らも、同じ理由で殺す。それだけだ」
「やめてくれ、ゾイさん!」
ダレスがゾイに詰め寄った。
「ダレス。いくらお前が、昔の冒険者仲間だってな、俺にも都合ってもんがあんだ、よっ!」
ダレスは瞬時に背中の大剣を抜いた。その瞬間、ダレスも盛大に吹っ飛ばされた。
「ほぅ、腕上げたな、ダレス。今の、神威正流の居合いか。節操ねえなぁ、あれもこれも使いやがって」
ヨロヨロと立ち上がったダレスは、歯を食い縛っていた。
「ゾイさん……」
「お前に魔神流を教えてやった事が、仇になる前に消えてもらう」
低く笑うゾイは、ゆっくりと身構え、腰のダガーナイフを抜いた。うっすらと緑がかったナイフは、濡れているようだ。あれが、ライアンをやった毒刃なのか。
それより……魔神流を、ダレスに教えたのがコイツなら……
「あんたが何故、こんな事に首を突っ込んでいるのか知らないが……いつから、魔王はこんな、つまらねえ仕事をするようになったんだ」
やはり魔王……ゾイが、魔王だったのか……
「いいや。残念だが、俺はもう、魔王じゃねえんだわ」
何?
ダレスの呼吸が、一瞬止まった。
「……負けたのか」
「ああ。少し前にな。とんでもねえ奴が現れてよ。お陰で魔大陸から追放さ。暫くサンクイユ大陸で、凌ぐしかねえんだよ」
魔王が、替わった……まさか、江田島!?
「そいつの名は?」
「なんだ、知りてえのか小僧。だが、その必要がどこにある」
「私が、殺します」
ゾイの呼吸も、一瞬止まる。すると奴は、腹を抱えてその辺を転げ回った。そこにいる全員、目を丸くして呆然としていた。
「な、何が可笑しいんですか」
「助けて、殺される、ヒィ~! ヒッヒッヒ……」
ようやく立ち上がったゾイは、両膝に手を当て、まだ笑っていた。
「ダレス、お前、このボウヤに何を教えてんだ? 笑いの才能ありすぎだろ」
やかましいわ。
「いずれ必ず魔王を殺します。だから、こんな所で死ぬ訳にはいかないんです」
「そうかい。殺すのがちょっと惜しくなったが……まあ、俺には関係ねえ話だ」
ダレスが、 ブーストを全開にして体を捻った。
「ピースは殺らせねえ!」
「ダレスさん!」
デタラメな戦いが幕を開けた。
剣風の勢いで、こっちまで切り裂かれるんじゃないかってぐらい、ダレスは何度も斬りかかる。ランディ達も気迫に圧され、慌てて距離をとった。
奴は今、人間の姿だが、ダレスのそれを見事に全て受けきっている。あの鉄塊を、あんな短剣一本で……どれ程の強さなのか、見当がつかねえ。
「おいおい、打ち込み稽古じゃねえぞ、この野郎……」
ゾイはぶつぶつと呟きながら、ちらりと俺を見た。
なんだよ、今の視線……まさか!
その刹那、ゾイは、俺に向かって飛びかかった。
「な、ピース! 逃げろぉぉ!」
その時、俺は理解する。亡き祖父、ライアンの言葉を。
――『ともかく、アランを庇った瞬間じゃ。
あれは最初から、わしを狙っておった。流石は暗殺者、と言ったところか』――
「ダレスさん!」
俺は、ブースト全開で、追ってきたダレスの前に突っ込んだ。
ダレスの心臓の前で、ゾイのダガーナイフは、俺の左腕に突き刺さる。不思議と痛みは感じなかった。
「んの野郎!」
ゾイが牙を剥いた。
「ピースぅぅぅ!」
「るぁぁ!」
俺は、そのままゾイの懐に向かって飛び込んだ。
「小僧!?」
ゾイの上半身をガッチリとホールド。
後方に風魔法を生成。
「お前は許さない!」
風の矢を二つ、ゾイの脚に向かって放った。
「うおっ」
脚を斬られたゾイは、バランスを崩し転倒する。
「痛ぇな。だが、そんな魔法で俺が殺れると思っているのか」
いや、思ってねえよ。
左腕の痺れが、もう上腕の方まで来やがった。
あと一発だ。一発打ち込めれば……
「邪魔だ。どけぇ!」
ゾイは、ダガーナイフを振り上げた。
くそっ、ここまでか……
「むぅ!」
ダガーナイフが、奴の手首ごと俺の頭の近くに落ちてきた。ダレスだ。
「ダレスさん! 早く!」
「ピースっ……」
「腕が、持たない! 肩口からお願いします!」
奴の手が、煙を上げて再生していく。
間に合わないのか……
「そいつには無理だ。なあ、そうだろ」
「ダレスさん!」
氷魔法で奴の足元を凍らせた。もう打てない。噛まれないように必死でゾイにしがみつきながら、俺は振り返ってダレスの顔を見た。
ダレスは、太い眉を八の字にしたまま、涙を流していた。このヘタレ野郎……
「ダレスさん! お願いです! 私ごとぶった斬って下……」
魔力枯渇。視界が真っ暗になっていく。
最後に見た光景は、またも路地裏かよ……くそったれ……くそっ……ちくしょう……
もう、何も考えられなかった。