第十五話『死んでも理解できない』
――中庭の中央。芝生の上で、ダレスと対峙した。少し離れたところに、シャルロットとマリア、ローザが、心配そうにこっちを見ている。
「ダレス! 坊っちゃんに何かあったら、貴様を殺すぞ!」
「心配なさらずに! ちょっと手合わせするだけですから!」
ダレスは呆れ口調でローザに怒鳴り返した後で、俺を見てニヤリと口の端を上げた。
通常の三倍の太さはある、カツオ節みてぇな素振り用の木剣を、リズミカルに肩に当てながら続ける。
「ったく、過保護な家族を持つと、肩がこるよな」
「すみません。まぁお気遣いなく」
――もう、始まってる。
ダレスのでけえ図体から、殺気がビシビシと、肌に伝わってくる。これは、魔力を解放している証拠だ。
木剣を構えた俺に向かって、ダレスはその足取りを、ゆっくりと円を描くようにジリジリとにじり寄せてくる――冷たい視線が、獲物を狙う猛獣の目に見えた。
「ほう、大したもんだ。たった数日でこうも変わるか、男ってもんは……本当に、何があったんだ。ピース」
「あなたたち剣士は、全員、ずるいです」
ダレスはその立派な眉を寄せ、首を傾げた。
「あ? 何がだ」
「それ、身体強化ですよね。五歳まで、教えないつもりだったんでしょう?」
ブーストは一種の魔法だ。魔力を解放して、身体に異常な程の力を発揮させる。
基本的な技を身に付けた者が最初に教わる、諸流派の初歩的な身体操作法だ。
ダレスの、あの身の丈を超える大剣の謎が解けたよ。これなら俺でも振れらぁ。
「――誰から聞いた?」
「お祖父様です」
「はっはっ! そうか。通例なら、早くて五歳の誕生日には習うんだがな……孫可愛さについ口が滑ったか。レイルズから聞いたぜ。相伝した夢を見たんだって?」
「はい」
ダレスは笑いを噛み殺しながら俺を見下ろす。
「ライアンに夢で教わったって? 夢見ただけで宗家を名乗れるのなら……神威流も地に落ちたって事だ」
「どうでしょうか」
ぬかせよ。
俺も、半分だけ魔力を解放してやった。
「ぬっ!? これは……たまげたな」
ダレスの動きが止まり、額から大量の汗が滴り落ちている。
――ナメんなよダレス。俺はな、この場によく似たデタラメな場所で、飲まず食わずの不眠不休で、こいつをぶん回してきたんだ――剣聖相手に、気が狂っちまうんじゃねえかって程なぁ。
ここじゃたったの数時間だが、俺からしてみりゃ、十数年……おぇ、思い出しただけで吐き気がすらぁ。二度とごめんだ。
それにな、こっちは命の取り合いなら、テメェよりも前から、ずうっとやってきてんだよ……
「……すまんな、シャルロット……お前の息子、殺しちまうかも知れん」
「ダレス!?」
「――ごるぁ! ダレス! 話が違うてぇ!」
そりゃ面白ぇ予告だ。
……さぁて、俺も小鉄じゃねえが、頭ん中でご機嫌なロックでも流しながら、やってやんよ。
――「来いよ、ピース!」
言われなくても――鋭く踏み込み、間合いを詰める。
「しっ!」
ダレスの目前で剣を振り上げる。フェイントだ。
「ふん!」
引っ掛かったダレスは、受けの体制から即、反撃。遅いぜ、そこに俺は居ねえ。斜め後ろだ。素人ならここで終わり。
「ちっ!」
上体を捻りながら剣を振り回すダレス。良い判断だ。見失ったら全回転技で距離を取らせる、か。
だが俺は頭の上だぜ、ボーイ。
「バカめ!」
ダレスの狙い済ました、上空への突き。へっ、単純バカは、テメェだ!
「ぅるぁぁぁぁ!」
俺は落下しながら体勢を横にし、木剣を縦に高速回転。連撃し続け、更に風魔法の気流で加速。こちとらターボエンジン搭載じゃ!
「ぐぅっ!」
辛うじてガードしているが、俺の回転は止まらねえ。木剣はみるみる削り節のようになり、俺はヤツの剣先から伝うようにダレスの肩越しを通り抜けていった。
腕と肩に入っていった連撃は、ダレスの木剣を叩き落とし、やつは顔を反らして右肩を抑えた。腕や肩の骨は粉々だろう。
勝負ありだ。
「ぐぅっ! まだだぁ!」
ダレスは残った左腕だけで、ボロボロになった木剣を握り身構えた。往生際悪ぃ。まあ、人の事は言えねぇか。
「まだやる気ですか……ん?」
――するとダレスは、左足を前にし、右足に全体重を乗せた。
上体を不自然な程に、右へ捻り、右脇の下から木剣をテメェの背中に付けた。横に薙ぎろうという姿勢を取っている。そして頭もどんどん低く倒し……
なんだそりゃ。見たこともねぇ構えだ。
やつは完全に俺にケツを向けて、向こうに頭を下げている。穴に刺していい……訳がねぇよな。
理解出来たのは、こいつはもう、防御なんて考えちゃいねえってこと。そして、嫌な予感だけしか感じねえってこと。
「……ダレスさん。何ですか、それは」
ダレスは肩で呼吸をしながら、絞り出すような声で言う。
「……認めて、やるよ、ピース・ベッテンコート……お前は宗家を、名乗っていい」
そこでダレスがブーストを全開にしたのを感じた。
底知れぬ恐怖が、ぞわりと背中を撫でる。
「冥土の土産に……教えてやる」
「え?」
ダレスの背中が、めきめきと異様な形になっていく。
……嘘だろ……
前世で読んだ、漫画のワンシーンを思い出させられた。
背中に、鬼が哭いているってやつだ。紋様じゃなく、筋肉の形がそうなってんだ。
あんた……神聖流じゃなかったのかよ……
「ピース。俺の流派はな……魔神流だ」
魔神流? 魔神流だと?
「ダレス!あなたは!」
シャルロットが悲鳴に近い声で叫んだ。
「ああ、そうだよ。あの時……俺は魔王に、心を売ったのさ。神聖流じゃ、やつらには勝てないと、悟ったからな」
何の事だか知らねえが……要するに、こいつは魔神流を使うって宣言した訳だ。それがどういう事か、解って言い放った訳だな、ダレス。
「魔神流……魔族の中でも、取り分けアンデッド系や大型の魔族に好まれる流派と聞きましたよ。レイルズ叔父さんに」
「そうだな。なら、これが何を意味するか……お前なら解るよな」
――本気で殺す。ダレスはそう言ってる訳だ。
家族まで、道連れにする気かよ。それなら俺だって、絶対に負けられねえ。
「吐いたツバは、飲み込まないで下さいね」
「当たり前だ。行くぞ、ピース!」
ダレスが動いた。
瞬間移動とも思える物凄いスピードで、俺の目前。
「ギィッ!」
上半身の後ろの背景が、透けて見えた。それ程の高速。
ダレスの薙ぎ、一閃。
瞬時に風壁を木剣に巻き付け防御したものの、そいつをまるごと叩き割られた俺は、両腕の感覚を無くして吹き飛んだ。
「くぅあっ!」
なんてパワーだ。腕が完全に破壊された。
芝生の上を転がりながら、回復魔法で即座に骨を繋げる。
これがもし、あいつの大剣だったらきっと、胴体までいってたかも知れねぇ……
「やめんか! ダレスーっ!」
ローザも叫んだ。婆さん、そりゃもう無理だ。やつは魔神流を名乗っちまった。
神聖流の天敵だ。もう死ぬまで、連中に追い回される人生を選んじまったんだよ、そいつは。
両腕の感覚は戻ってきたが、受けて転がった衝撃で、頭がふらつく。魔力枯渇も、近いことを感じた。幼いこの体じゃ、これが限界だ。
「くっ……」
――思い出せ。ジジイから俺は、何を教わったのか……魔神流だろうが何だろうが、理合いに勝る剣技はねえって、言ってたろ……
魔王を倒すんだろ、俺は……こんなところで、下っぱ相手に、泣きべそかきに来た訳じゃねえだろうが!
「ほぉ……まだ立ち上がるか、ピース。だが俺には勝てんぞ」
「はっ……ハハハ……」
「何が可笑しい」
俺は、くの字に折れた木剣を握りしめた。
気流を巻きつけて矯正し、上段に構える。
「可笑しいですよ。ダレスさん」
「頭でも打ったか」
「あなたは、何も解っていない」
「何だと……」
――ダレスは再度、さっきの構えを取った。バカ野郎だ。二度はねえぞ……
「ライアンが何故、神聖流を捨て、神威残影流も捨て、理真流を立ち上げたのか。あなたには、死んでも理解できない」
――俺の技は、初歩にして奥義。
「魔王に心を売った人間には、絶対に魔王に勝てる道理がない、と言っています」
「ガキが……何も知らんくせに大口を叩くな!」
――喰らえ!
ダレスが、目前に姿を現す手前に、一歩足を踏み込んだ。
勝負はその時、呆気なくついていた。
木剣は真っ二つに折れ、空中を舞った。
――上段から振り下ろされた木剣は、俺の首筋で止まっているダレスの木剣よりも先に、やつの左肩を砕いていた。
勝負ありだ――が、俺の流儀はこれじゃ終わらねえ。
続けて、ダレスの股間を目掛けて蹴りを放つ。これはテメェに習った技だぜ。
「ふぐぉっ!?」
腰が落ちるダレス。
蹴り足を地に着けながら、風を掌に集め回転させ、あごを打ち抜いてやった。コークスクリューブローの完全版だな。小鉄がよく言ってたよ。ボクシング舐めんなって。
「かはっ!」
ふらつくコマのように、ダレスは千鳥足で、白目を剥いて倒れた。
目や腕を取られなかっただけ、ありがたいと思え。今度こそ、勝負あり、だ。
――ダレス。テメェの敗因は、思い違いだ。
俺は、剣士じゃねえ。
魔王を殺す為なら何だって……その為にこの世界に生まれ落ちた――
「……極道なんですよ」
誰にも聞こえない程、ぼそりと、呟いた。
◇◇◇
――「はっ……」
ダレスは、俺の部屋で目を覚ました。
「おはようございます」
「ピース……うわあっ!」
白熊君の、顔の隣に寝かせておいた。ダレスは飛び起きて驚く。てってれー。どっきり大成功。
「ここは……ああ、ライアン殿の……」
「先日、私の部屋になりました」
まだ視点が泳いでいるダレスに、回復魔法を掛けてやった。
「あぁ……すまない。はぁ、まさか……お前に負けるなんてな。まだ……夢みたいな気持ちだよ」
「もう一回やりますか」
「へっ。勘弁してくれ」
自嘲気味に息を吐いたダレスは、再びゴロリと寝転び俺に背を向けると、白熊君に目を合わせた。そいつを撫で始めるダレス。可愛いか? それ。拗ねてんのか? 気持ち悪ぃな。
「つくづく、才能なんだな、剣ってやつは」
「……関係ないですよ、才能なんか」
途方もねえ時間を、一つに打ち込んだ結果だ。前世じゃ、経験したことのねえ時間。
だが、それを語る術がねえ。
今のダレスには、気休めにしか聞こえねえんだろうな。
「……ピース、俺は……」
ダレスは、背を向けたまま呟いた。
「――お前が……俺が一番、欲しかったものに、限りなく……そして、決定的に違うんだ」
ダレスは起き上がると、俺を見て苦笑混じりだ。泣きそうな、いや、笑い出しそうな……複雑な顔だった。
「まったく、とんでもないモンをこさえたよな、アランたちは。ハハッ」
そうか、ダレス……あんた、シャルロットの事を……
「――俺には兄が二人いてな。ヘッドフィールド家の三男坊として、兄たちの背中を追ってた」
「はい」
アランから聞いてるぜ。その兄貴二人が、とんでもねえ化け物ってことも。
「長男は剛力って言葉が一番しっくりくる奴でな。そして次男は頭脳明晰。どっちも天才肌だ」
「なんだか凄い兄弟ですね」
「ああ。俺は何の取り柄もなく、ただがむしゃらに神聖流を信じ、兄貴たちを見上げてた」
そこに、シャルロットが、紅茶と菓子を持ってきた。
「あら、懐かしい話。お兄さん達の話なんて、珍しいわ」
「シャル……さっきは済まなかった。本気になってしまった」
「挙げ句の果てに返り討ちですもんね。笑っちゃう」
「キツいな……」
シャルロットは、紅茶を注ぎながら微笑みを浮かべた。
「ピース。私はもう、いいわ」
「え?」
「あんな戦い見せられたら……あなたはもう立派な、神威理真流宗家。私は降りるわ。好きになさい」
「ええ!? 良いんですか?」
「ただし、負けは許さない……」
ティーカップを俺の手前に起きながら、彼女は言った。
「魔王を倒すのは、あなたよ。ピース」
たまげた。シャルロットの口から、そんな言葉が出てくるとは。