第十三話『宗家、襲名』
「アラン! しっかりして! いやあぁぁ!」
「黙れ小娘っ! 誰か! アランを! くそジジイ……起きろぉ、ジジイ……」
「お父様! お祖父様!」
俺は、彼らの血で滑った石畳を、転びそうになりながら駆けた。
何かの、間違いだ。
肩口から胸元にかけ、ざっくりと何かで切り裂かれているアランは、青白い顔で弱々しい呼吸をしている。
俺はその傷口に手をやり、回復魔法を全力で掛けた。
こんな馬鹿なことが、あってたまるか!
「お父様! お父様しっかり!」
「は……ピースか……シャル……ピースは、呼ぶなと……あれほど……ははっ、全く……カッコ悪い、よな、父さん、は」
「喋らなくていい! 意識を強く持って下さい!」
「ピース……」
隣で横たわるライアンに視線を移すと、胸元から少し、血を流していた。
他の者と違い、さほど怪我をしているようには見えない。だが、ローザが執拗に呼び掛けながら、回復魔法をかけているのに、全く反応を見せない。
「お祖父様!」
「うぅ……マナが……くっそぉ、ジジイ! 坊っちゃんが呼んどるがぁ! 戻ってこんかぁ! ジジぃ、はぁ、はぁ……」
……あんたら、最強の剣士じゃなかったのかよ。なあ、ライアン……
ライアンの血で染まった、ローザの手に、手を重ねた。
「坊っちゃん……」
「許さない! 死ぬなんて、絶対許さない!」
ローザにはマナを送り、アランには回復。同時に掛けた。
――何がどうなってんだよ、クレア! 一体これは、何なんだ!?
『先程、モルデーヌ周辺に強烈な魔力を感じたと、サンクイユ大陸の風の巫女から報告が! 正体は判りませんが、恐らく、魔族かと』
魔族、だと――
今にも泣き出しそうなクレアの早口から、一つだけ単語を拾い上げた瞬間。
胸の奥からどす黒く煮えたぎるものが、鼓動と共に、全身に駆け巡った。
頭に廻るのは、商店街でダレス・ヘンドリックスが呟いた、あの言葉。
――あれとは関わらないほうがいい。いいか。もし魔族に出くわしたら、逃げるんだ。誰かを護ろうとか、戦おうなんて思うなよ――
……ふざけんなよ、ダレス……
それは、俺たちには、何も出来ねぇって言いてえ訳だよな。
俺たちには、何も出来ねえからって、無力なんだから、何もしねえで、逃げろって……偉そうに、知ったような口聞いてんじゃねえよガキが……テメェの命がそんなに大事か、剣士ってのは。
ならば、その剣は飾りかよ。
大切なモノ傷つけられて、奪われて……黙っていられる程、俺は……そんな風に、出来ちゃいねえんだよ!
――「衛兵、集まれぇい!」
レイルズ叔父さんの怒号が響いた。衛兵達の動きに、やっと統率力が加わる。さすが近衛団長……
あれ、何だ、意識が……
視界が薄れ、俺の意識は、真っ暗になった。
◇◇◇
――「おろ? なんだ……また此処かよ」
ふわりと、視界が戻ると、真っ白な空間が。
久しぶりに来た。
目の前には、ライアンが後ろ手にニコニコしている。
「ふん、魔力枯渇じゃよ。
魔力が尽きると、意識を失う。そこでわしがクレア様に頼み、此処へ、おぬしを呼んだのじゃ。
久しぶりじゃのう、そのへんちくりんな姿を見るのは」
「ライアン! テメェ、何で目覚めねえんだよ!」
理屈なんかどうでもいい。
前世の時の、汚ぇスーツ姿に戻っていた俺は、ジジイを見下ろして肩を掴んだ。
それが簡単に手首を捻り返され、蹴りで突き飛ばされる。
「どあっ! あだだだっ!」
「落ち着け、二本木修二よ」
「ぬあ? おうおう、これが落ち着いていられっかって!」
「わしを刺した刃には、毒が盛られておったんじゃ」
「毒、だぁ?」
手首を擦りながら、立ち上がった。
あれ? もう、どこにも痛みを感じねえ。そうか、精神の部屋だからな、ここは。
「――恐らく、わしはそう長くは持たぬ。魔族が調合した、サンクイユには無い材料でこさえた毒じゃろう。魔法も効かぬし、解毒も間に合わぬ。ローザが、辛うじて心臓を動かしてくれておるような状態じゃ」
「そ、それじゃ、もう……」
ライアンは、それでも微笑みを絶やさない。死にかけてるのに……
「おぬしの予想通りじゃ。ロイドではなく、わしに敵が多すぎた、ということじゃろうな」
「そんな、簡単に諦めるなよ! よ、よし、ならば俺が、解毒剤をどうにか……クレア! どこだ、クレア!」
「おらぬよ。此処はクレア様に頼み、作って頂いた、意識の空間じゃて」
ライアンがそう言った瞬間、白かった空間に、色と形が生まれた。
これは、俺にも見覚えがある。
芝生の上に立っていた。だだっ広い、うちの中庭だ。柔らかな風まで感じる。だが空は無い。どこまでも灰色だ。
「――力を使ったせいで、クレア様はまた暫く連絡が付かんと仰っていたが、責任を持って、わしが、おぬしを守ると約束した」
「守るって……あんた死にかけじゃねぇか」
「二本木修二よ。わしらを狙った男は、恐らく暗殺ギルドの手の者。しかも凄腕の、魔族じゃろう」
「アサシンギルド?」
聞いたことのない組織の名。そんなもんがあったのか。
「その昔、わしがナルナーク領から追い出した組織じゃ。七大陸の別のどこかの……今はまだ判らぬが、連中を雇い入れた馬鹿者がおるのじゃろう」
「すると……ホーク・オズボーンが?」
「ふぅむ。奴も目の前で、そいつに呆気なく殺された。まあ、連中は簡単に、雇い主を裏切るような曲者揃い……ともかく、アランを庇った瞬間じゃ。
あれは最初から、わしを狙っておった。流石は暗殺者、と言ったところか」
ライアン……あんたは、アランを、庇ったのか……
「そんな……」
「二本木よ。あれでも、あやつは衆の最高責任者じゃ。ナルナーク領の、威厳に関わる男なんじゃ。そして、わしの……たった一人のバカ息子なんじゃ。
だから連中は、それも計算の内。わしがどう動くか、完全に読んでおったよ。おぬしも親馬鹿と笑うか? 口惜しいのう」
気が付くと、手には剣が握らされていた。
「こ、これは?」
「最後の、わしからの手向けじゃ」
ライアンは、上段に構えた。
「ライアン、あんた……」
「この空間は現実の世界と比べ、時の流れが、とてもとても、遅く、流れとるそうな。
……わしゃもう、十分生きた。こんな、かわいい孫にまで、恵まれてのう。
どうじゃ、二本木、いや、ピースや。
この残された時間で、どうか、わしの命を……継いでは貰えぬか」
ライアンは優しく諭すように、そして目から一筋の光をこぼれ落とした。
これが彼の、最期の……
そこまでの覚悟に……胸が張り裂けそうだ。
この痛み……忘れねえよ。
あんたの仇も、絶対に、俺が……
「何言ってやがる。俺は……あんたの孫だ」
「心から感謝する。ピース・ベッテンコートよ!」
互いに剣を構え、俺はライアンを見据え、全身の血が沸く。その殺気、全て受けてみせる。
ああそうさ。あんたは、負けてねえ。暗殺者なんかに、殺されちゃいねえ。
あんたは、俺がぶっ殺すって、前から決めてんだ。だから……
「うるぁぁぁっ!」
俺が、引導を渡してやる。
最期の猛特訓の、始まりだ――
◇◇◇
――目覚めると、隣でうつ伏せていたアランが跳び跳ねた。
「だああっ!? ピース! ピースゥゥゥゥ!」
うるせえ、一々騒ぐなよ。うあー、苦しい。離せこら。
――桜色の壁。焦げ茶色の本棚と暖炉。木目調の高そうなテーブル。柔らかなソファー。
ここは、議事堂の……最後にロイドといた部屋だ。掛け時計を見ると、本当に、時間がさほど経ってねえ。過去にタイムスリップしに来た気分だ。
「――ピース、良かったぁ……お前にまでも……俺は……俺はっ!」
ああ。好きなだけ、むせび泣けよ。今日だけは、許してやる。
「お父様。お怪我は?」
「うぅ、ああ、血を流しすぎて、まだクラクラしているが……大丈夫だ。
お前の魔法で、助かった。ほら、もう傷口まで消えちまったよ。ふぅ、凄いなぁ、お前は。いつの間に上位回復魔法まで、使いこなすようになったんだ? 司祭も顔負けじゃないか! 父さんは鼻が高いよ……俺が子供の頃は――」
アランは気を取り直すと、今度は気を使って、一所懸命に捲し立てている。
もういいんだよ、アラン。いいんだ。
俺はもう、知っているから。
「――お父様。お祖父様のご遺体はどこですか」
「え? あ、お、え……」
ソファーから立ち上がった俺は、周囲を見渡した。
「会場ですか」
「ピース……」
部屋を出ると、俺の風魔法のせいで、めちゃくちゃに散らかったままの会場の中心に、多くの人々が……彼をテーブルに乗せ、涙を流していた。
シャルロットは目を腫らし、ローザは放心状態だ。
何だよ。何が、敵が多過ぎた、だよ。十分愛されてるじゃねえか。
――貴族の誰かが、俺の姿に気付いて、騒ぎ出した。
「あれは、ピース様!」
「おお、ピース様が、目覚められたぞ!」
俺は、真っ直ぐに彼の傍らへ向かい、ひざまづいた。
騒ぎを聞き付けて来たのか、マリア。
「うぅ、ピース様ぁ、ふぇっ、ライアン様がぁ……」
「ええ。いつまでお眠りになられているのでしょうね、お祖父様は……」
鼻をすすっていた周囲の連中は、声を上げて泣き始めた。俺が状況をよく解っていないと思ったのだろう。
とても安らかな、笑みをたずさえた、ライアン。
満足したか、ジジイ。
こっちは、頭ぶっ飛んだぜ、この野郎。
「衛兵さん。すみません。ちょいと、剣をお借りしたいのです」
「はっ! え?」
後ろに居た衛兵に声を掛け、剣を一振り。
「マリア。すみませんが、そこに落ちている、ご飯を持ってきて下さい」
「はい?」
マリアは眉をしかめながらも、床に落ちていた飯を、皿に戻しながら持ってきた。
「ありがとうございます」
皿の上の米粒を一つ取った。
「ピース様?」
それを、ライアンの額へ、縦に載せた。
「ピース様!?」
「ピース! お前何を!?」
「お義父様に、なんて事を!」
「黙れっ!」
レイルズが怒鳴った。静まり返る会場内。どうやら彼には気付かれたな。
流石は、神威正流の継承者だ。
「よせ、ピース。どこで知ったのか知らぬが、お前はまだ若い。いや、若すぎる。しかも豆ではなく、柔らかなご飯粒じゃないか」
「はい。夢を見たのです。レイルズ殿」
「夢とな? そんな事で……」
どうせ言ったって、誰も信じちゃくれねえよ。
剣を後方に引き、左足を前に進め、体を低く構える。
「よせ、ピース!」
剣を抜き身で持っているので、誰も俺を抑えようとする者はいない。懸命な判断だ。
「黙られよ。これよりピース・ベッテンコート、神威流免許皆伝の儀、執り行わせて頂きます。しかと目に焼き付けられたし」
「馬鹿な! 出来る訳が! な……それは!?」
振り上げ、下ろし、回り、振り上げ、薙いで、突き……単純かつ、奥深い、理論の集大成。
剣聖が、命を賭して確立した技の全てを内包する、神威理真流の剣舞だ。
解るか、レイルズ。
そしてアラン。あんたが習得出来なかった極意だ。
無理はねえよ。俺だって、途方もねえ時間を要した。あの空間でなきゃ、とっくに骨だ。だから恥じることはねえ。
レイルズは目を剥き、アランは唇を震わせ、ローザは涙していた。
「ライアン……うぅ、ライアンがぁ、舞っておるぅ……やはり、坊っちゃんは、天才じゃ……ぅ、あぁぁ!」
ローザの言葉に、もはや疑いの目を向ける者はいない。
――上段に構え、いざ!
横たわるライアンの頭上に、ギラリと光る剣。
空気が、鋭く鳴った。
「「ピース!」」
レイルズとアランの声が重なった瞬間に、小さな米粒は、十字にパックリと裂けた。
最後に、ライアンの額からそいつを綺麗に、剣先で薙ぎ払ってみせた。
もちろん、ジジイのハゲ頭は無事に決まってら。
周囲からは、感嘆と、称賛の嵐。
ライアン……俺は……
視界が、熱いもんで遮られた。
こんなところで、ちくしょう……
「不肖、ピース・ベッテンコート……
若輩ではございますが、只今より、神威理真流、宗家を名乗らせて頂きます!」
サヨナラなんか、絶対に言わねえからな……爺ちゃん……
――何処からか、一陣の柔らかな風が、俺の前髪を揺らし……少しだけ、芝生の匂いがした。