第十二話『血の川』
勢いよくジャンプしながら、足の裏に薄い氷の膜を、大きなスノーボードのように形成。その下から風魔法で気流をぶつけて、一気に上昇した。
シャンデリアに頭をぶつけそうになったが、辛うじてそれを回避した。あぶねえ、こんなところで死ぬわけには。
下を見ると、突風が発生した会場内はグラスや花瓶がひっくり返り、豪華料理はテーブルクロスごと舞い上がり、ご婦人方のパンチラは好き放題見放題という、惨事に。
あぁ、やり過ぎたな。だが後悔先に立たずだ。
「きゃあっ!」
「何だあれは!」
「魔物の襲撃か!?」
ごめんなさい、ガキんちょです。
氷と風の複合魔法。ローザのそれとは理屈が違う。彼女は風魔法だけで身体を気流に乗せるという、恐ろしい程の魔力保持者。いかんせん俺には、そこまでのマナが体内に錬成されていない。
で、ちょっと前に、俺なりに初級魔法に工夫を凝らして、庭で実験してみたんだよ。
結果は大成功。ローザは入れ歯が外れそうな勢いで腰を抜かしてた(入れ歯じゃないけど)。
魔族のように、同時に二つ以上の魔法を発生させられる人間は稀なんだそうだ。
――あとは気流で傾斜を造り、後ろから気流を発生させ、会場の入り口をめがけて滑り台のように加速した。
「ピース!?」
ライアンをはじめ家族一同の声が聞こえたが、構うもんか。ジジイは明らかに、話が違う、と言いたげな下がり眉毛だ。
ここからだとレイルズおじさんの姿も発見できた。彼は、半開きの口から飲み物を垂れこぼしていた。
入り口前でホーク・オズボーンの目の前にふわりと降り立つ。こういうのは、何事も最初が肝心だ。
アブラギッシュなおっさんは目を丸くしている。だいぶビビってやがる。掴みはオッケー。
「おひかえなすって」
「な、何だね君は。どこの子だ。こんなところで魔法など……」
「手前、生国はナルナーク領モルデーヌです。姓名の儀声高に発しまするは失礼。姓はベッテンコート、名はピースと申す、しがない駆け出し者にござんす」
「は?」
ホークの回りにいる貴族どもは、俺の名を聞くにつけ、口々に囁きあっていた。
貴族式の挨拶は形だけで、内容は仁義口上をきってやった。
姿がガキだからって、ナメんなよ。ペースは握らせねぇ。
「――ホーク・オズボーン殿とお見受けいたします。初のお目見えと存じます。以後、どうか袖振りの御縁を賜りたくお願い申し上げます」
呆気に取られていたホーク・オズボーンだったが、ベッテンコートの名で我に帰ったのだろう。彼は脂ぎった頬をひきつらせて咳払いをひとつすると、スーツのよれを正し、商人のくせに貴族式の挨拶を返してきた。家で夜な夜な練習でもしてやがるのかい。人が焦ったときの行動ってのは、こうも地の姿を晒すもんなんだな。
「――これはこれは、あのベッテンコート家のご子息様でございましたか。突然の登場に私、心の臓が止まりかけましたぞ」
「大変失礼致しました。私といたしましても、貴殿が突然、入り口へとお急ぎのようでしたので、かくもこのようなご無礼を。何卒ご容赦下さいまし」
まわりの貴族どもは、俺の言葉遣いが年相応でないことに戸惑いの表情を浮かべながらも、一様に感心し始めた。
会場を飛び回ったことは棚に上げて、流石はベッテンコート家だの、教育が行き届いているだの、衆の才能かあるだのと。
権力に媚びうるこいつらも、鬱陶しく感じた。
「――な、何故このような……私に話でもあるのですかな?」
ああ、大ありだっつぅの。
「ええ。今日の夕刻になりますが、貴殿の部下であられます、ランディ・ギルモア殿と西側の商店街で、偶然お会い致しまして」
偶然と言った瞬間、油親父の臭そうな耳の下辺りが、ヒクヒクと痙攣したのを俺は見逃さなかった。何か歯を食い縛ることでもあるのか。違うね。その顔は、知らなかったで通そうとしている。
「――ほう、それはそれは。ロイド男爵の統括エリアですな。はっ、まさか、何かあの者がご無礼を?」
「いえ、私のほうが少々、彼の物言いに対し、つい乱暴な口調で返してしまったことを反省しておりまして。つきましては、ランディ殿に一度謝罪したいと考えておりました」
「なるほど、そうでしたか。いやはや、今時関心なご子息様ですな。しかし、どうかお気になさらずに。あの者は少々、礼儀に欠けるところがございまして。その、私の方から、しっかりと伝えます故、こちらからも、何卒ご容赦を。それでは……」
ほう、逃げる気か。そうは問屋が卸さねえよ。
「ホーク・オズボーン殿、うちの孫が失礼を」
よう、ライアン。間に合ったな。
後ろにはアランとロイドもいる。後は任せるぜ。
「ラ、ライアン候、これはお久しぶりにございます。アラン殿も御元気そうで……」
「私からも息子の非礼をお詫び致します。ところで、話は変わりますが、二、三、貴殿にお尋ねしたい件がございまして。少々時間を下さりませんか」
アランの言葉に反応したのか、ホーク・オズボーンは必死で汗を拭き取りながら、目が泳いでいる。わかりやすいな。悪人らしからぬ……いや、この様子だと、悪人なのは部下の方なんだろうな。
「――あいや、その、今宵は急用が入ってしまいまして」
「そう時間は取らせぬ。なんなら、外で構わぬよ。歩きながらでも結構」
「それは、その……」
ライアンの言葉は、奴の逃げ場を失わせた。俺は、ホーク・オズボーンに近づいて、背伸びをすると最期のだめ押しをした。想像通り、加齢臭のキツい耳元に手をやり一言。
「法律を変える力は領にある。しかし不正を暴く力は、我々にある。まだ私が子供のうちに、立場を決めておいた方が宜しいかと」
わなわなと身体を震わせ、ホークはそれでもしらを切る。
「は、はて、何を仰っているのやら……」
どぎつい眼差しをプレゼントしてやった。どうやら俺には、人をビビらせる力だけはあるようだ。これがクレアが言っていた、転生者の特別な能力……な訳ゃねえか。
ライアンとアランに付き添われながら、ホークは死人のような青ざめた顔でよろめきながら会場を出ていった。
「ピース様、お怪我はありませぬか」
「ロイド男爵、ごめんなさい。派手にやり過ぎました」
「少々、人の目が気になりますな。少し別室に行きましょう。さあ、こちらへ」
会場奥の通路から、別室へと移動した。
――別室は、手狭だが落ち着いた雰囲気だ。暗い赤や茶色を基調とした造りで、シャンデリアも控え目。奥の高そうな木製デスクの前に、茶色いソファーが二対ずつ、テーブルを挟んで鎮座している。桜色の壁には高そうな絵画と暖炉。本棚には筋トレになりそうな書籍が並んでいる。
――後になって知る事だが、ロイドが下院入りしたら、ここが彼の事務室となる筈の、部屋だった。
「――ふう。いやはや、痛快でございました。フフ、やはり、こういったきらびやかな場所は、商人風情には肩がこりますな」
「ふっ、貴族ですらそう思っております」
俺達は、悪人さながらのしたり顔で笑い合った。木製テーブルの前に置いてある革製のソファーは、身体が埋まるくらい柔らかい。良いなこれ。欲しいぞ。
メイドが持ってきた紅茶を口にした。熱っ!
「やはりオズボーン殿が裏で手を引いていたのですか?」
「ふぅーっ、ふぅ……さあ。どうでしょうね」
ロイドは口をポカンと開けた。
「ええ!? では、確証はないと?」
「でも大丈夫です。筋の通らぬ、性根の腐った人間は解ります。お父様に、元老院全員の金の流れを徹底的に調べてもらいましょう」
「そうですか……私はピース様のお言葉を信じます。しかし……もはや元老院の決定事項を覆すのは、流石に無理かと」
ロイドはため息をついて、ガックリと肩を落とした。
「ライアンから聞きました。塀の中でずっと法律の勉強をしていたそうですね。本当に、世の中を変えたかったんですね、あなたは」
勿体なき御言葉――そう言ったロイドは、言葉が続かず……ハンカチを目元に当てて、暫く震えた。
「――空いたままの議席はどうなるのでしょう」
「次に、どなたか有力者の推薦を受けた者が議員になるのだと思います」
「んー……そのルール、何とかならないかなぁ」
「いえ、やはり私の不徳のいたすところです、ピース様。あなたを人質に取って、どうこうするべき事ではなかったのです」
うなだれるロイドに、俺は言葉を探した。
「ロイド男爵……諦めてはダメです。僕に任せて下さい」
「ピース様……」
諦めたらそこで終わりだ。今は何のプランも無いが、たとえ地べた這いつくばっても、心が諦めたら、ダメなんだよ。
いつの間にか、自分に言い聞かせている自分に気がついた俺は、何だかおかしさが込み上げてきて、大笑いしちまった。
「――ピース様?」
「いや、ちょっと思い出したんです。昔の事を」
「昔とは、前の世界の頃の、ですか?」
「頭を割られて、脳ミソを撒き散らした時に気がついたんです。
僕が本当に欲しかったものは、何だったのか。へへ、遅すぎですよね」
ロイド顔は真っ青だ。さっきとは別の理由で震えているようだ。
「本当に、欲しかったもの、ですか」
「ええ。だから、もう二度と諦めたくないんです……あ、教えませんよ」
「えー、そこまで言っておいて……」
どぐされヤクザが、平凡な幸せが欲しかったなんて言えるか? 頭がお花畑だろうよ。え、そんなことない? いやだ。死んでも言わねえよ。
……幸せな家族。そう。今はちょっと喧嘩が耐えないし、訓練はキツいけど、俺はこの生活が、それなんだと感じていた。
暖かい部屋でテーブル囲んで、強情で口下手なジジイとツンデレババアとの掛け合いを見ながら、旨い飯食って。
イケメン夫婦と笑い合って、たまにマリアの胸の中で、寝たフリをしたりして……
ロイドに、マリアとの学校の話をして盛り上がった。ロイドは目をキラキラさせていた。
だが、その話の途中で……俺のお花畑だった脳ミソは、久しぶりに響いてきた奴隷巫女様の一言で、ぶち壊された。
――『ご主人様! お逃げくださいまし!』
おお!? 何だよクレア。久しぶりじゃねえか。そういえばお前さん、どこから俺を見てるんだ?
『いいから早く逃げて!』
怒鳴るなよ。どうした? 何から逃げろって……
そこに、シャルロットが顔を真っ赤にして部屋へ入ってきた。確かにまずいな、逃げ遅れたようだ。
「ピース! こんなところに……」
「お、お母様、これには訳が……」
「シャルロット様、私から説明を」
「そんなことより、アランとお義父様が!」
――指先を壁の方向に向けて叫んだシャルロットは、再び部屋から出ていってしまった。
……あれ?
そういや白かったはずのシャルロットのドレスが……今、真っ赤な模様が付いてなかったか?
「ピース様、参りましょう!」
――議事堂の入り口から外へと走り出た俺達は、そこで動きが止まってしまった。
状況が、全く理解出来なかった。
「なん……だ、これ……」
――首から胴体が離れている衛兵の死体達。
鎧が割け内臓を撒き散らした衛兵が、天を見上げてパクパクと何か呟いているところを、数人の衛兵が囲んでいる。
「おい! しっかりしろ! おい!」
「そいつはもうだめだ! 向こうのやつを頼む!」
「くそったれ! ぶっ殺してやる!」
「落ち着け! 魔法班は!? 魔法班はまだかっ!」
衛兵達の惨状は、もはや戦場を彷彿させるものだった。
一体、何人、死んでるんだ? 血だまりと肉の塊が、多過ぎて……解らない……
「何があった!? 一体、何が起きたんだ!?」
「解りません!」
「賊の侵入かも知れません」
「鎧がこんな……どうしたら、こんな……」
ロイドの質問に対する衛兵達の返答は、もはや誰に向けての言葉なのか。いや、誰もがこれを受け入れるだけの、許容を超えているんだ。
――悪い夢としか思えない光景。入り口階段が、まるで血の川のように流れ、下流にまで衛兵達の死体が続いている。
その先に見えたのは……
父に覆い被さるように、まるで気が狂ったかのように泣き叫ぶ母と、横たわる祖父を、歯を食い縛って回復魔法を施している、祖母の姿だった。