第十一話『ジジイのハンカチはもう汗を吸わない』
パーティー会場となる議事堂へ向かう馬車の中は、これから火葬場にでも行くのかと言いたくなる。窓の黒カーテンを締め切り、誰も口を開かねえ。
最近、家族の仲が険悪だ。
理由は俺の、″流派が決まらない問題″にある。
――現在、俺は全部で四つの流派と徒手空拳と精霊魔法を学んでいる。
レイルズおじさんのスベらない話によれば、一武家一流派で構成されるのが通常の武家だという。うちは特殊な家系の部類なんだな。
ライアンも元々は神聖流だったらしいが、若い頃に神威残影流に出会い、虚実混交の理念と神聖流の理念である攻守一体とを掛け合わせた神威理真流を立ち上げた。なのに、息子には神威残影流を学ばせた。
何やらミステリーの香りがしたが、なんてことはない。単にアランが理真流についていけなかっただけらしい。合掌。
ジジイは一代で神威理真流を終わらせる気だったが、俺が生まれてからは気が変わったようだと、レイルズは言っていた。
俺だってあれを極めるのは無理だと思う。個人的には神威正流の居合い術が性に合ってる気がする。
家族の中で中立の立場を取っているのはローザ婆さんだけだ。剣士じゃないから興味がない。
魔法ってもんは人によって得手不得手があるらしく、剣士ともなると、覚える魔法は少ないようだ。
火や水の初級魔法や、人によってはそこに回復魔法なんかを覚えると、大概の人間はそこで修行を止めちまうんだそうだ。
冒険者を目指すなら、足りない部分はパーティーを組んで補えばいいから問題がないんだな。だが婆さんにはその適当さがない。俺には徹底的に仕込むつもりだろうな。
問題は、母ちゃんだ。元王族のプライドは大気圏をも越えそうだ。
神聖流は、その儀礼的な立ち振舞いや理合いの美しさから、王族や貴族、騎士に好まれ、七大陸の各地に道場を置く世界最大組織。
剣士を名乗っていいのは神聖流のみ、と自称していて(他は戦士と呼んでいる)、ヘンドリックス家の直系しか認めず、王族やそれを取り巻く貴族を中心に組織がガッツリと確立されている。
直系に習うだけで称号級の権威があるらしく、高額な月謝が必要なんだそうだ。セレブ御用達の流派だな。
両手剣と片手剣があって、俺は母に片手剣を習っている。戦闘中に魔法も使いたいからな。大人になったら両手片手どちらでも扱えるバスタードソードを身に付けたいところだ。
実力者はシャルロットを見ればわかる通り、あの迅速な剣さばき。相当の腕前な訳だが、父曰く、そうでない者の中にも、その絶大なネームバリューを使って偉そうな物言いをするヤツが多いらしく(その原因は、他のは馬鹿が習うものだと教えている為)、他流派との対立がずっと絶えない。
要するに、うちの家庭問題の縮図なわけだ。
アランはお堅い神聖流を毛嫌いしているが、シャルロットのほうも亜流だなんだと馬鹿にしているというね。
そんな二人がどうして結婚したんだか、理解に苦しむよ。
――議事堂のでかい時計台が見えてきた。
衛兵に出迎えられ、貴族達に招かれながら、ベッテンコート家御一行様は中央の扉から中へと通された。
ピカピカの人達が大勢。ゆうに五百人はいそうだ。
――「おお、これはベッテンコート家の皆様。お待ちしておりました」
ロイド男爵が正装で出迎えてくれた。
「シャルロット様、その節は皆様とピース様に対し、誠に無礼千万な……」
「その話はもう結構ですわ、ロイド男爵。昔の話は水に流しましょう」
片膝をついたロイドに、手の甲へと口づけをされたシャルロットは、言葉は丁寧だが眼は許せていない、そんな面持ち。
「そうです。あなたは罪を償いました。そしてこれからはその才覚を、行政で」
「その、アラン様、実はその件なのですが……」
アランとロイドは、二人して神妙な面持ちで会場の奥へとシケこんでしまったので、俺はとりあえず、母の側で見知らぬ人達に頭を下げながら、メイドが運んで来たものを食らう事にした。
ふと見ると、ジジイが珍しく気まずそうにしていた。てっぺんの脂汗が眩しい。
人と顔を合わせようとしていない。おい、ここは家じゃねぇぞライアン。何かあったのか?
「お祖父様。どこか具合でも」
「うむ……いや、大丈夫じゃ」
「ロイド男爵は、お父様と何を」
「……シャルロットや、ちょいとピースを借りるぞ」
「ええ?」
「挨拶じゃ。ピースに礼儀を教える」
眉をしかめたシャルロットをよそに、俺とライアンは彼女から見えない所まで移動して、人の来ない大きな柱の後ろに隠れた。
「困った事になった……」
ライアンは額の汗をハンカチで拭いながら、そこでしゃがみこんだ。
「どうされたんです?」
「元老院の連中が、手のひらを返しよった」
「元老院、ですか?」
領の中の、古株の貴族どもの集まり。最終議決権を持っている連中だ。九人いるって聞いてたが……今更、衆を引退したライアンにはもう力がねえって事か? にしても、何を裏切ったってんだ……
「――わしが四年前に書いて送っていたロイドの下院への推薦状を、今になっていきなり取り下げよったんじゃ」
「ええっ」
「つい先程じゃ。多数決にて、ロイドの下院入りが無くなったと報告が入った」
今日になってか。それは何かの策略を感じるな。俺もロイドが政治家になってくれないと困る。頑張って学校を作って欲しかったのに。
「――それは、もう決定なんですか?」
「連中の決めたことは絶対じゃ……この会食で、アランから報告させる手筈だったのに、こんな事になるとは」
ライアンはがっくりと肩を落とした。こうしてみると、なんとも弱々しい姿だな。いつ逝ってもおかしくねぇ顔をしてる。
待ってくれよジジイ。あんたに止めを刺すのは、この俺なんだからな。
「……すると、下院の空席はどうなるのですか。もう四年も不在じゃないですか」
「問題はそれなのじゃ。この四年間、空席を争って魑魅魍魎どもが裏で怪しげな動きをしておる。衆も察しておるのだが、どうにも確証が取れんのじゃ……ピースや、おぬしならこの局面、どうみるかね」
俺の正体を知っているライアン。
ヤクザ者に助言を求めるなんざ、よっぽどショックだったんだろうな。本来なら絶対にやっちゃいけない事だぜ。
「うーん……ロイドの下院入りが、面白くない連中がいた、か」
「うむ。やはりその線が濃いかの」
「もしくは、無理矢理を通したお祖父様の事を、よく思っていない人間の企みか……」
ライアンはギョロリとした目を向けた。
「わしがか?」
「可能性ですよ。怒らないで下さい」
「うむむ……わしの敵となると、誰なんじゃろうか……」
「それか、お父様の面子を潰す目的かも」
「むむう……」
ジジイのハンカチはもう汗を吸わない。俺のを渡してやった。
てっぺんから見える世界なんて知らん。見上げれば、敵だらけだったからな。見下ろしたら、そいつらがどう映るのかなんて、解らねぇ。
でも敵が解らねぇってことは、味方も解らねぇってことだよな。仲間がいねえってのは、寂しいことだな。
……仲間?……仲間、か……
「お祖父様。この街に商会はいくつあるんですか?」
「商会? 大小合わせれば、三十は下らんが……」
「その中で力のある商会は?」
「ふむ……今はどこじゃろうな。最大手だった氷と炎商会は、あの一件で壊滅的な損害を被った。わしが決めた罰とは言え、一年間の取引停止で、よく倒産しなかったと感心しとるが……
そのあと台頭してきたのは、鷹の爪商会辺りが一番利益を……まさか、ホーク・オズボーンが!?」
そいつは知らねえけどよ。
鷹の爪商会か。ああ、そいつは覚えてるとも。
マリアを目で舐め回した、あのプロレスラー野郎のくそ汚ぇニヤケた面が脳裏をよぎった。
ランディ・ギルモア。
今日の今日で何か仕出かすとしたら……いやいや、まさかな。
元老院を動かすのにそんな衝動的な理由で、数時間そこらで何か出来る訳はねえだろうし、四歳児に罵られたくらいでうちと敵対なんて自殺行為もいいところだ。シャルロットに薄切りチャーシューにされちまうぜ。
冗談はともかく、アイツはロイドを面白く思ってねえ。これだけは間違いねえ。今日の、あの眼は長年の遺恨を感じた。
闇カジノ撲滅を宣言していたロイドだ。てめぇの飯の種を奪われるってのは、どんなアホだって嫌なもんだろ。
ロイドが不在この四年間、競争相手どもが手を引いてたってことは有力な推測だ。
「――なるほど……お祖父様、そのオズボーン会長は、今夜はこちらへ?」
ライアンは、柱から頭だけ出してキョロキョロし始めた。俺も覗いてみた。
「おお、あそこにおった。シャルロットの後ろの、黒髪のでっぷりした男じゃ」
「あれですか。あの、頭にバターを塗ったみたいな人」
「どれじゃ」
「食べすぎたブルドッグみたいな人ですね」
「誰じゃそいつは」
俺が聞いてんだよ!
あ、前世の犬種なんて知らねえよな。すまん。
ホーク・オズボーンは、ライアンと同様に、必死に汗を拭きながらキョロキョロとしていた。怪しい。実に怪しい。
「――お祖父様、恐らく黒だと思いますが」
「その根拠は?」
「お祖父様は先程、皆さんに顔向けできなくて、彼と同じように、誰にも気付かれないようにと努力していました」
「わしがか? あんなだったか?」
「はい。あれは多分、″会いたくない人″が会場にいるんだと思います」
「なるほど。さて、どうしたものか」
簡単だよ。聞けばいい。
「ちょっとカマをかけてみましょう。お祖父様は彼に気付いていないフリをして、その辺を歩いてみて下さい。反応次第では、捕まえて聞き出します」
「騒ぎを起こすのはまずい。ロイドの顔に泥を塗るわけには……」
「大丈夫です。穏便にやりますよ。さあ、その辺へどうぞ歩いてみて。目を合わせては駄目ですよ」
「わかった。やってみよう」
ジジイはまるでロボットのような、ギクシャクした動きで歩き出した。
……あの、もう少し上手くやれや。
すると、次から次へと、ライアンの元へ偉そうな連中が近き、挨拶をしてくる。流石は有名人。
よし、ホーク・オズボーンがその様子に気付いた。やつはライアンを見るにつけ一瞬息を強く吸うと、こっちとは反対方向へ……って、そっちは入り口じゃねぇか!
何にせよビンゴだな。そそくさと逃げ出すホークを追って俺も走り出したが、どうにも会場の人口密度が高すぎて、中々追い付けない。
くそっ。こうなったら、必殺技だ。
この世界の人間が不器用なだけかも知れんが、前の世界じゃ色々と″滑る乗り物″があったせいか、さほど努力もせずにすんなり覚えた技だ。
名付け親争奪戦の時に婆さんが見せた、アレを模倣した魔法を、発動した。