第十話『小さな決意』
――「ピース? ピース! まったくもう、どこへ行ったのかしらあの子は、この忙しい時に限って……」
俺の部屋の中で、シャルロットはブツブツとぼやきながら″俺の目の前″を素通りした。
女は三十路に近付くにつれ独り言が増えるなんていう話を聞いたことがあるが、本当だろうか。そんな噂話の例に漏れず、文句を垂れながらいそいそと部屋を出ていく母の、二十代前半にしか見えないケツを眺めながら、彼女が扉を閉めたのを確認。思わず拳を振り上げた。
――夕刻になって家に帰って来ると、腕組みをした仁王立ちのシャルロットが俺達を門で待ち構えていた。衛兵が仕事にならず、ビビってたな。給料泥棒。
訓練をサボって街へ繰り出したことに対する怒りの矛先は、俺にではなくダレスとマリアに向けられた。こってり一時間。申し訳ない。
だが、なんとか通常より半分の時間で切り抜けられたのには訳がある。
ロイド男爵から今夜の会食の件を聞いていたので、わざと遅く帰ることにしたんだ。
結果オーライだが、それでも中身の濃い一時間の疲労。
マリアは危うくクビになりそうなところまで話を持っていかれ、泣きそうになってた。結局、強引なダレスのせいって事で落ち着いたが、彼がいなかったらヤバかったな。
そんな中、監禁状態の自室で悶々としているような俺だと思うなよ。
何でこの話を俺が知ってるのか不思議だろ?
――その理由はこれさ。汚ぇオンボロのマント。
こいつはいい。素晴らしい物だ。
こいつを着けて家中走り回ってきたが、足音にさえ気を付ければ誰にも気付かれない。
目の前の俺が見えていないんだ。本物だ。
てってれーっ! 消えーるマントー! ってなもんだ。いいだろう。魔法具だそうだ。
行商人のバザールは彼の氷と炎商会が元請けらしく、ずいぶんと顔が利いた。
再会の記念にと、ロイド男爵にこっそり買ってもらった掘り出し物だ。
その辺じゃまず手に入らない代物だそうだ。だから掘り出し物って言うんだがな。ああ、同じ事何回言ってんだ、俺は。やばい、興奮を抑えきれん。
もちろん、マリアには内緒だ。当たり前じゃねえか。男のロマンだ。
これで夜中になれば商会の会議室で今後の魔王討伐の秘密会議などが出来ますぞ、と彼は息巻いていたが。
良い奴過ぎる。
まるで俺のことを聖者か何かと勘違いしているのかも知れねえな。
これで、マリアの、いやいや、夜中の街に、こっそり、自由に、繰り出す事が出来るじゃねぇか。最高だ。これさえあれば、服なんて飾りですってなもんだ。
転生してから、今日ほど自由を噛み締めたことはねぇな。
――「お母様、トイレに行って参りました」
「ピース! もぉ、探しちゃったわよ」
込み上げる笑いを抑えるのに必死になった。このマントは今後、色んな事に役に立つだろう。
厳重に隠したさ。誰にも見付からない場所にな。
「――今日はごめんなさい」
「もういいわ。今夜はロイド男爵との会食なのよ。出所祝いのね。
この服に着替えなさい」
「はい。ねえ、お母様。今夜は会食ですよね?」
「そうだって言ってるじゃない。どうしたの?」
「食事のあとに、また広場で総当たり戦だ、とか、なりませんよね?」
――この一族は、何でも戦って決めるという、とっても残念な風習がある。
武家のガキ共は、五歳の誕生日パーティーは間違いなくデビュー戦だそうだ。
商店街で、そうダレスから聞いた。五歳まであと少しもねえ。
七五三だぞ、普通なら。家族写真撮るとか、手巻き寿司を食うとか、よくわかんねぇけども俺はそんな普通の家族に憧れてたのにだ……バンジージャンプ発祥の部族だって、十歳かそこらで飛び降りるらしいのにだ。
五歳で斬り合いする風習なんて聞いたことがねぇよ。
「――今日は食事だけよ。あら、なぁにピース。もしかして、お誕生日パーティーの話、ダレスから聞いちゃって怖じ気づいちゃった訳?」
やっぱり、マジだったか……
「ええ、まあ……」
「まったく、あのおしゃべり……ダレスも困った人ね。でもね、心配すること無いわよ、ピース」
シャルロットは俺の前にしゃがむと、頭を撫でてきた。ハリウッド女優ばりの素敵な笑顔だ。
「あなたは、私から神聖流を学んでいるの。神聖流は世界最強、無敵の剣なの……だから誰にも負けないの……神威流なんて、束になって掛かって来たってね、あなたは絶対に負けないのよぉ……ねぇ、解ってるわよねぇ、ピース……」
自分の言葉に酔ってるのか、急に目のすわったシャルロットの手が食い込んで……頭が割れるぅ!
――「何をまた聞き捨てならん事を……時間無いぞお前達、早くしろ」
正装したアランが、しかめっ面で現れた。
「父様ぁ! 頭がぁ! 僕の頭がぁ!」
「こらこら、シャルロット落ち着け。ピースが死んじまう。ったく、なんだかんだ言って一番心配してるのはお前じゃないか。ピースなら大丈夫だよ」
「おうふ、死ぬかと思った……はぁ、はぁ」
アイアンクローから解放され、ホッと一息。
「心配よ、当たり前じゃない。
お義父様もお義母様もあなたも、ベッテンコート家最強の魔法剣士を育てるって仰るから、私はずっと我慢して……神聖流だけで十分なのに……」
おっと、それ以上のボヤキはマズイですぜ、お母様。お父様の血管が浮くって。
「だからさぁ、何十年前の話してるのさ。神聖流が強いのは認めるが、最強は言い過ぎだ」
「はあ? バカ言わないでよ。神聖流が最強だからこそ、神威流が勝手にこっちを研究してあなた達の今があるんじゃないのよ。あなたはもっと神聖流に敬意を払いなさいよ」
ダメだ、また始まっちまった……
「――何をぉ? 神聖流のその上から目線が俺は気に入らないのさ! 古くさい形式的な技法だけで……」
「古くさいですって? その最強の型をいつまでも身に付けられないからあんた達は……」
――「いつまでやっとんじゃ! このたわけが!」
妖怪紫頭巾が火を吹きそうな勢いで怒鳴り込んできた。婆さん、後は頼んだ。やってらんねぇ。
――俺はこっそり別室へ移動して、着替えを始めた。そこへマリアが追従してきた。
「ピース様、お怪我はございませんか? 何やら悲鳴が聞こえましたけど」
「はい。この辺に指の痕付いてませんか、マリア」
「バッチリ付いてます」
「死ぬかと思った……」
「奥様達、まだ喧嘩してますねぇ……」
「うん……」
こんな時は、マリアの胸の中にしけこむのが一番だ。
「きゃっ。あらあら、うふふ、今日はいつになく甘えん坊さんですねぇ」
ベッドに座り込んだマリアは、俺の頭を膝の上に乗せてくれた。
「マリア……今日はごめんなさい。僕のせいで怒られてしまいました」
「いえ。良いんですよ。ピース様はまだ子供なんですから、本当ならもっと、たくさん遊ぶべきです」
やべぇ、涙腺が。いい女だな、マリアは。
色白の肌に長い黒髪がよく映える。
俺が生まれてからずっと、変わってない気がする。
「そういえば、マリアは、何歳になったの?」
「あら、うふふ、レディに歳を聞くのはイケない事ですよぉ、ピース様」
「そうですか。じゃあ僕が生まれた時は、マリアは何歳でしたか?」
「えっと、十三才でメイドになって、二年目でしたから、いち、にぃ……十五才ですかねぇ」
嘘だろ、十五才でこのデカさだったのか。このスタイル、奇跡だ。てか、指折って数えんなよ。可愛いだろ。
「じゃあもうすぐ二十歳ですね」
「はい。あっ、ズルいですよぉその聞き方は!」
天然過ぎるだろ。キャバクラならナンバーワン獲れそうだな、この娘は。
「――でも、凄いです! 今の、算数ですよね? どーやって計算したんですか?」
「ふがっ?」
おっぱいに埋まり過ぎて変な声が出ちまった。なに、足し算、知らねぇのかマリアよ。
「足し算ですけど……」
「私、この仕事で数え方を覚えたから、そんな風に頭の中だけで計算とか……まだ四歳なのに、ピース様は天才ですよぉ!」
揺れる前髪、アンドおっぱい。ああ、なんて言うかもう、この娘を指名延長でお願いしたい。
「――そんな事ないです……マリアは、学校には行かなかったの?」
「まさかぁ。学校なんて王族や貴族、お金持ちしか行けませんよぉ」
「そうなんですか」
そうだ……ここはそんな世界だったんだよな。平等なんて言葉は、前世のまやかし。これが現実だ。平等なんてねえ。
中学行けただけでも、俺は幸せだったのかも知れねぇな。喧嘩ばっかりしてたけど。
「――私も、お勉強したいなぁ……私、ろくに文字も読めないし、魔法も剣も使えないし、なーんも取り柄がないから、怖くて街を出られません……あれれ、どーしたんですかぁピース様? そんなに埋めたら、お顔が見えませんよぉ」
そんな事ねぇよ。お前は生きてるだけで、こんなにも俺を癒してくれるじゃねぇか。って言えない自分がもどかしい。世話のかかる四歳児に言われてもな。
平民以下にゃ何も教えない、この世界の下らねぇ体制が彼女を縛り付けてるんだ……魔王以前の問題だ。クソムシどもめ……俺も含めだけど。
何だよくそっ、涙が……見られたくねぇ……
勢いよく起き上がって、マリアに背を向けた。
「マリアは……学校、行きたいですか?」
「ええ。行けたらいいなって思いますけど無理ですよぉ、お金もないし」
……よし、決めた。
振り向いて、マリアの顔を見た。
「マリア。僕と学校に行きましょう」
「へ? だって、お金が……」
「お金の掛からない、学校です」
魔王討伐が第一だが、俺はこの街に、学校を作ろうと決めた。
誰でも通える、街の学校。なんて、今言ったら笑われるだろうから、言わないがね。
「――僕がマリアの先生になります」
「まあ! 魔法とか教えて頂けるのですか?」
「はい。せっかく一緒にいるんですから、空いた時間に勉強しましょう」
「本当に? 嬉しいです!」
その笑顔に心臓を撃ち抜かれた。ガキじゃあるめぇし……調子狂うなぁ。
「そしたら、今度はマリアが僕を助けて下さい」
「えー、助ける? うふふ、そしたら私をお嫁さんにしてもらえますかぁ?」
この娘は、なんでこう、ストライクなんだろう。
「あうあー、それはその、とにかく、次はマリアが″先生″になるんですよ」
「私が、先生、ですか?」
「はい。マリアに勉強を教える事がなくなるまでに、僕がこの街に無償の学校を作ります。先生になってください」
あれ、うわ、言っちまった。この娘の前だと、素直にならざるを得ない。まあいいか。この娘は俺を馬鹿にしないからな。
「なるほど、それは素敵な夢ですねぇ。嬉しいです。ピース様が大人になる頃には、私、おばちゃん先生ですかねぇ」
視線を落としながら、マリアは俺の髪を撫でた。
「そんな事ないですよ。そんな先の話じゃないです」
「うふふ、期待しちゃいますよぉ? とにかく今は、ピース様は立派な当主になる為に頑張ってくださいませ。
さあ、馬車の準備が出来たようですよ。門までお送りします」
――この時は、親の期待よりも何よりも、彼女の期待に応えたいって、その暖かな笑顔を見ながら本気で思ってたんだ。