孤独な、強き美しき青い竜。
青竜はひょ、と目を開け、直ぐに閉じた。
いや、彼女は「ひょ」と感じているのだが、実際に外から見ると、ズッ、という感じである。
人間の頭ほどもある大きな鱗に覆われた顔に美しく並ぶ、大人の人間よりも一回り二回り大きいような、深い、深い青の瞳は、見る人を溺れさせるような不思議な色と光を持つ。
事実、もしも彼女と同族のもの以外の生物が彼女の目をまともに見つめてしまえば、そのものは彼女の強く美しい青に心を飲まれ、生涯を放心したようになって終えることになることさえある。
彼女は、そういうものである。
青竜は、その字の通り、青い竜である。
彼女はまだ幼い。しかし凛として最も眩く、強く、最も孤独な生き物である。
生まれた時には一人だった。
彼女の周りで動いているものは、不自然なほど均等な鱗を撫でてゆく、青よりも黒といったほうが近いような水の流れだけであった。
それでも彼女は、自分の正体も、名前も、運命もすべて、本能的に知っていた。
そのうえで彼女は全てを拒んだ。
自分の姿には目を閉じた。
名前は忘れた。
運命は否定した。
すべてを。
ある日のこと。深い深い海の底、普段は絶対に何者も足を踏み入れない彼女の領域に、生き物が紛れこんできた。
その生き物も幼く、それ故に無実で、まだ青竜の存在の威圧感に気付けなかったことは言うまでもないだろう。
生命の喜びに我を忘れ、自分の世界を広げることに無限の幸福を覚えていたその生き物が、ただならぬ気配に我にかえったときにはもう遅かった。
その無垢な瞳は青竜の瞳をとらえ、捕らえられ、今度こそ本当に我をなくしてしまった。
その幼い生き物を心配して青竜の領域が纏う威圧感に息も絶え絶えになって追いかけてきたしっかりものの姉は、一部始終をどうすることも出来ずに見ていた。
先程まで宿っていた純粋な喜びの光が弟の目から消えていくのを見て、弟を何よりも愛した姉が、海の最も暗く深い場所に住むと言われる化け物の伝説の数々を思い出しながらどんな絶望を感じたか、おそらく誰にも分かるまい。
青竜以外には、誰にも。
彼女の運命の一つであったのだ。
周りにいる生き物すべての感情の動き、心情がすべて伝わってきてしまう。
あの小さな幼い生き物の真っ直ぐな喜びも、彼女と目があった時の好奇心と本能的な焦りも、すべて彼女はその生き物と共に感じていた。
そして、流れ来る姉の絶望も。
青竜は泣き叫びそうであった。
悲鳴をあげて、海を半分に叩き割ってしまいたかった。
その気持ちは、絶念と殺気をやみくもに混ぜた重く鋭利な視線を直接青竜の瞳に突き立てた例の姉の心をも奪ってしまった時、頂点を迎えた。
彼女は飛ぶように泳いだ。
いつもは優しく撫でていくだけの水が凶器と化して彼女を襲うほどになっても、彼女は止まらなかった。
鱗が何枚か剥がれ、血がにじんで水が傷に沁みても、止まれなかった。
いつしか彼女は、彼女さえも立ち入ったことのない深い場所に迷い込んでしまっていた。
どこを見渡しても、いつもの見慣れた暗闇はなかった。その代わり、彼女がまだ見たことのなかった海藻などの植物が水と一緒に彼女の周りを踊っていた。それはそれは美しかった。
彼女は驚嘆と希望の光が少しだけ心に差し込むのを許し、恐る恐る揺れ誘う未知の産物に顔を近づけ…………すぐに後悔した。
彼女の目一杯開かれた瞳に直視された海藻たちは、波紋が広がるように色を、光を失っていく。
海藻と一緒に踊っていた他の生き物たちも、海藻とともに輝きをなくしていった。
彼女の心情が彼女の力の影響をさらに大きくしたこともあろうが、もしそうでなくても、彼女は海藻たちと一緒に踊るどころか、それらを愛でることさえもできなかったであろう。
彼女は、そういうものである。
目を背け、彼女は逃げた。何があろうと、何に触れようと何を感じようと、もう二度と目を開けるつもりはなかった。ただただ、疾風のごとく泳ぎ続けるだけ。
どこにいようが、彼女にはもうどうでもよかった。自分が存在していること、そのことすらも許せなかった。
かといって、青竜である彼女にとって、存在していることをやめる方法は皆無に等しい。
そのことを彼女が知らないなどということはあり得ない。だから彼女は、ただ、何も感じず、何も見ず、泳ぎ続けるのだ。
青竜が涙を流すのかどうか、それを知っているものはいない。
しかし青竜はまだ、この世界の深い、深い海のどこかで、泳ぎ続けている筈である。