密会
リンダに瓜二つなハンスに会い神経が高ぶっているのか、自宅以外で迎えた夜に慣れないのか、マルグリットは眠れないでいた。
「良いかい、エリー、マルグリット。明日からお前達は城で生活をする事になった」
「はい!」
姉のエリーが喜びに満ちた顔で返事をした。そうか、これは嬉しい事なのだ。5歳のマルグリットには父の言う事の意味が良く分からなかったが、そう理解した。
まさか父母と離れて暮らす事になるとは思わなかった。
もし、あの時嫌だと言っていれば、いや、あんな小さい私の言葉など、誰も聞き入れなかっただろう。考えるだけ無駄だ。実際、最初は毎晩母が恋しく泣いていたが、いつの間にか城での豪華な生活に慣れていた。
眠れない夜は昔の事が思い出された。
マルグリットが眠りにつけたのは、そろそろ外が明るくなろうかと言う時間だった。
後もう少し起きていたれたら、若い二人の脱走劇に気付けたかもしれなかった。
「レナ!」
扉の外からハンスの声がした。
準備は整っている。
レナは、音がしないようそっと扉を明けた。
「さぁ! 行きましょう!」
「参りましょう、お姫様」
二人は夜が明ける前に、宮殿から姿を消した。
「ここはドミニクが教えてくれた丘なの」
最初に向かったのは、ドミニクと一緒に行った丘だった。
ここからの帰り、ハンスと初めて会った。あの時は、こんな風にまたこの丘に来るとは思いもしなかった。
いつまでもこうしていたい。このまま二人で、何処かに行ってしまえないだろうか。
「ねぇハンス、マルグリットさんの言っていた村って何処にあるか知ってる?」
「さぁ、カリナ様からも聞いてないんだ」
「そっか……」
「どうかした?」
「なんでも無い。いつか行きたいね」
「そうだね」
すっかり辺りは明るくなり、街が息をし始めたように動き出した。
「そろそろナナのところへ行こうか。もう起きてるだろう」
ハンスが立ち上がり、レナに手を差し伸べた。
「そうね」
レナは、ハンスの手を取り立ち上がった。その瞬間、ハンスに体を引き寄せられ、気付けばハンスの腕の中に居た。
「ハンス?」
ハンスの顔を見ようとレナが顔を上げると、ハンスの顔が直ぐ目の前にあった。レナは目を閉じ、ハンスの唇を受け入れた。
「いつ居なくなったのかも分からないのです」
ブルーノから報告を受けたマルグリットは、膝が震えるのを止められなかった。運命には逆らえないと言うのか。
「どうしましょう」
まさかレナがそんな行動に出るとは思いもしなかった。
「思い当たる場所もありませんか?」
そんな事をきかれたって、そんな場所が分かるほどレナとの関係が深いわけではない。
「僕なら分かるかもしれないよ」
突然ドミニクがマルグリットの顔を覗き込んだ。
「ドミニク王子!」
マルグリットは驚いて腰が抜けるかと思った。
「ドミニク! 着替えもせずに!」
ブルーノに叱られて、ドミニクは急いで着替えに行った。
「申し訳ありません。両親が亡くなってから、誰も教育するものが居なくなってしまって」
「いえ、ちょっと驚いただけですから。それに、あの位の年の子は、みんなあんな感じですよ」
着替え途中のドミニクが戻ってきた。
「兄さん、僕着替えたら二人を探しに行って来るよ!」
それだけ言って去る弟を、ブルーノが追いかけていった。
「私も一緒に探しに行きます!」
マルグリットも後を追った。
「おばさんなんか一緒に行ったら、怪しまれるよ!」
ドミニクに言われてしまい、足が止まっ。
ブルーノがマルグリットを見て
「重ね重ね申し訳ありません……」
と、何ともいえない顔をした。
「ドミニク王子の言うとおりですね」
マルグリットも苦笑いするしかなかった。
「それに、今日はコサムドラに戻る予定ですから、その時間までには戻るかもしれません」
いや、戻ってもらわなければ困るのだ。
「おやまぁ、もう戻ってきたのかい!?」
レナとハンスにたたき起こされたナナは、二人の顔をみて声を上げた。
「いや、そう言うわけじゃないんだけど、他に行く場所もなくて」
「おや、それはありがたいね。で、そのお嬢さんはエヴァを私から奪っていったお嬢さんだね、エヴァは元気?」
「はい、元気にやってます」
と、カーラから聞いていた。
「そう、それは良かった。困ったらいつでもここに帰って来いって伝えておいておくれ」
「はい」
「ナナ、暫く二人をここに置いてくれないか」
「え?」
ハンスの言葉にレナは驚いた。レナは、時間までに戻るつもりだったのだ。
「かまやしないよ、店で働いてくれるなら」
「それはダメだよ」
そこには、ドミニクが立っていた。
「意外と学習能力ないよね。このまえここで見付かったのに、またこんな所に来るなんて」
「こら少年、人の店をこんな所とは失礼だね」
ナナがむくれながらタバコに火をつけた。
「おばさん、朝ごはん作ってよ。僕おなかすいた!」
「おば……っ!」
絶句するナナの姿に、レナとハンスは必死で笑いを堪えた。
「仕方ないねぇ」
ナナが、どっこいしょと腰を上げた。
「子供の頃学校の成績表に、面倒見の良いところがナナさん唯一の良いところですって書かれたんだよ。先生の期待に背くわけにはいかないからね」
そう言って朝食を作りに向かった。
宮殿に近付く程に、ひしひしと伝わるブルーノとマルグリットの心配と怒りの混じった感情に、レナとハンスは自分達の行動がいかに重大だったのかを思い知った。
「絶対に怒られるわよね……」
ハンスの顔を見ると、蒼白だった。
「ハンス、大丈夫?」
「う、うん。大丈夫」
実のところ、全く大丈夫などではなかった。心臓が今にも飛び出しそうなほど踊り狂い、汗が止まらなかった。
レナは、どうしてそんなに平気な顔をしているんだ。
「だって、叱られ慣れているもの」
にっと笑うレナを頼もしくさえ思えた。
広間に二人並んで座らされた。
目の前には、ブルーノとマルグリットが座った。
「あ、あの、本当にごめんなさい」
最初に口火を切ったのはレナだった。
「こんな大事になるなんて思わなかったの。時間までには戻るつもりだったし」
「でしたら、そう仰ってから行かれれば良かったのでは」
マルグリットがため息混じりに言った。
「言ったら、行かせてくれた?」
「それは……」
「でしょ?」
「レナ姫様」
マルグリットを言いくるめようとするレナに、ブルーノが釘を刺す。
「もし、この国でレナ姫様に何かあったら、私が困ります」
「あ……。本当にごめんなさい」
「ハンス!」
兄に名を呼ばれて、飛び上がるほど驚いた。
「あ、はい!」
「お前もお前だ、こんな軽率な事をするとは思わなかった」
子供の頃カリナに叱られた事が脳裏をよぎった。
「ギード! そんな事でどうする!」
ハンスが弱音を吐くと、何十にも鍵を掛けられた部屋に閉じ込められた。
「自分で開けて出てくるんだ」
魔力を使えと言う事だ。幼いハンスは、訳が分かないまま食事も与えられず、一週間経ったある日意識を失いそうになり、恐怖に駆られた。すると追い込まれた事で、無意識に魔力を使ったのか、何十にも掛けられた鍵が一瞬で開いた。
ハンスの強い魔力は、叱られる事への恐怖から身に付いたものだった。それでも、ハンスにはカリナしか頼れる者がなかったのだ。そして、カリナの欲するがままにレナを探し出した。
マルグリットの脳裏に、突然閉じ込められ怯える幼いハンスが見えた。私にこんな力があるわけが無い。リンダ様だ、リンダ様が私に何かを伝えようとしている。
ブルーノが、蒼白になっている弟に気付いた。
「どうしたハンス。具合でも悪いのか?」
「あ、そんな事は……」
まさか、魔力を駆使し自由に生きてきた弟が、ただ自分に叱られているだけでこれ程怯えているとは、ブルーノには想像も出来なかった。
「兎に角、今回の事は大事にならなかったので良いけれど、今後は王の弟として自覚を持ってくれ」
突然レナがくすくすと笑い出した。
皆が驚いてレナを見ると、レナが扉を指差した。
扉の隙間からドミニクが、変な顔をして覗いていた。
叱られて落ち込んでいる二人の姿を見たドミニクは、扉の隙間から何とか二人を笑わせようとしていたのだ。
「ドミニク、何をしている!」
とうとうドミニクまで叱られてしまったが、そんな事で折れるドミニクではない。
「だって、お腹が空いたんだもん。いつまで、そうやってるの?」
これには全員笑うしかなった。
「仕方が無い、少し早いが昼食にしよう。ドミニクは朝食も食べずに二人を探しに出たんだからな」
ブルーノの言葉に、レナをハンスが顔を見合わせた。ドミニクは、一緒にナナ特製朝食を食べたのに……。
「あら、それは申し訳ないことをしましたドミニク王子」
レナが言うと、ドミニクはペロっと下をだし食堂へ向かってしまった。




