しずかな時間
こんな事は今までになかった。
「おや、エリザに手紙とは珍しいね。レナかベルかい?」
ルイーズが言う程珍しい事だ。
「いえ、兄からでございます」
「なんと! ジャンルからかい!」
エリザも驚きだった。魔力で会話は出来るわけではないが、お互いイメージで現在を報告しあっていた。
手紙から伝わる兄ジャメルの気配は、決して悪い気配でない。
早馬でもなかったので、左程急ぎの用件でもないのだろう。
「ジャメルは何を言ってきているんだい」
ルイーズに即されて、手紙を開封した。
エリザはエリーとマルグリット姉妹が嫌いだった。それは、きっとジャメルのエリーに対する恋心に気付いていたからだと今なら分かる。
「昔なじみが訪ねて来たようです」
「と言うと?」
「村で住んでいた頃の……」
「そうかい」
ルイーズは大して気にはしていないようで、エリザは少しほっとした。
エリザとマルグリットは、大して年も違わず大人から見れば、仲が良い子供達としか見えていなかっただろう。しかし、エリザは複雑だった。いつも「負けている」と感じていた。仕方が無い、自分は使用人の子だ。
マルグリットは使命感の強い子供だった。今まで何処で何をしていたのかは知らないけれど、余計な事をしなければいいけど。
ジャメルが手紙にしたのも、マルグリットに悟られないためだろう。何だか、面倒臭い事が起こるような気がする。
つい、ため息をついてしまった。
「エリザがため息なんて、珍しいね」
ルイーズが笑った。
目が覚めると、懐かしい天井が見えた。子供時代を過ごした宮殿の子供部屋の天井だ。
これは夢なんだろうか。今までの事は全て夢で、自分は今10歳で父も母も元気で、そろそろ執事のフェルナンドが「王子達、朝ですよ、いつまでお休みですか」と、起こしに来るのだろうか。
「ハンス! おはよう!」
部屋に飛び込んできたのは、あの頃小さかったドミニクだった。
そうか、やはり帰ってきたのだ。
「おはよう、ドミニク。朝から元気だな」
そう言えば、ドミニクは昨夜拗ねて部屋に閉じ篭っていたはずだが……。
「レナから手紙が来たんだ!」
ああ、そうだった。レナに早馬を出していたな。
「レナ姫は何と?」
「来るよ! レナがムートルに来るよ!」
どう言う事だ。レナは体調が優れないはずだ。
「ドミニク、一体レナに何て手紙を書いたんだ」
ドミニクが、手紙の下書きをハンスに差し出した。レナに届いた手紙よりも増して文字は踊り誤字だらけだ。
「返事がこれだよ」
レナからの手紙を受取った瞬間、レナが浮かれている様子が伝わった。浮かれすぎて手紙に気配を残してしまったようだ。
「あ、ハンスが笑った!」
つい、レナの気配につられて笑ってしまったようだ。
本当にリンダ様の子供なのか。会えばきっと分かる。リンダ様が最後を過ごされた場所にも行って確かめなければならない事がある。姉エリーが故人である以上、生き残っている自分しか出来ないのだ。
「え? 旅!?」
息子のファビオが素っ頓狂な声を上げた。
「そうよ、そんな驚く事?」
「ファビオも一人前に働くようになったんだし、少しくらい羽を伸ばしても良い頃だな」
夫は賛成してくた。隣家の事件から、考え込むような様子が多くなっていた妻を、心配していたのだ。
「でも、城の方は良いのか?」
とにかく勤めに真面目な夫らしい。
「それが、その旅も城の関係なのよ」
「ええ!?」
またもファビオが声をあげた。
「ファビオ、うるさいわよ」
「平気だよ、もう隣には誰もいないんだし」
こう言う無神経な発言をするのは、一体誰に似たのかしら。
「ファビオ、亡くなった人をそんな風に言うんじゃない」
父にたしなめられたファビオが、ふくれっ面になった。
こう言うところは、小さい頃と変わらない。自分の子供の成長を見届けることの出来なかった、リンダ様、アミラ様はどれほど辛かった事か。マルグリットは思いを馳せた。
「ほら、また考え込んでる。母さん、隣の事件からこっち変なんだよ。考え込んでるかと思ったら、突然城で働くとか言い出すし、とうとう旅に行くって言うんだよ。父さんは、おかしいと思わないの?」
「母さんには、母さんの考えがあるんだ。お前が口を出すことではない。しかし、マルグリット、行き先と日程くらいは教えておいてくれ」
夫はマルグリットのする事に昔から寛大だ。そもそも、この家に婿として入ってくれた事自体、寛大すぎるのだ。名ばかりで何の財産も名誉も無い家。
マルグリットは、夫が本当に自分を愛してくれている事も知っていた。夫の寛大さは、マルグリットへの愛と信頼なのだ。残念ながら、息子ファビオには妻に無関心な夫にしか見えていないようだが。
「そうね、日程はレナ姫様次第なのだけど、行き先はムートル国よ」
「え? レナ姫様と一緒に行くの!?」
「もう、本当うるさいわファビオ」
「だって!」
「教育係のエリザ様が、ルイーズ様に同伴してベナエシに行ってしまわれているの。だから、母さんが代わりを勤めているだけよ」
「何で母さんなんだよ」
どうやらファビオの抵抗は、ヤキモチのようだ。本当に、いつまでも子供なのだから。しかし、母親としては、そう言うところが愛おしくて仕方が無い。
「さぁ、城で働く息子の出来が良いからかしら」
少しファビオをからかってみた。
ファビオは、顔を真っ赤にして黙りこくってしまった。そんな息子の姿に、夫と二人顔を見合わせて笑った。
いつまでもこんな時間が続いて欲しい、マルグリットは心から願った。
「さぁ、これでいつでも出発できるわよ!」
レナの元気な声が部屋に響き渡った。アンの事件直後のレナとは比べ物にならない程元気になっていた。
まだ、無理をすると眩暈はするが、すこし視界が揺れる程度で、立っていられないほどではない。
「いつでもって、出発は明後日ですよ。ほら、お座りになって薬草茶を飲んでください」
「えー、まだ飲まなきゃだめ? それ、本当に苦いのよ?」
レナがベルに抗議した。が、抵抗空しく、鼻をつまんで飲む干す羽目になった。
レナが元気になり、城の中も活気が戻ってきた。ここ数日は、少々元気すぎるほどで、ベルやハンナは老婆心から逆に心配で薬草茶ばかり用意していた。
「ねぇ、ベルもハンナも、もう大丈夫だから、そんなにお茶ばかり飲ませないで!」
レナが悲鳴を上げた。
「でも……」
「大丈夫、道中や向こうで何かあったもマルグリットさんが一緒なのよ?」
レナは、すっかりマルグリットを信頼していた。
ベルも、マルグリットが悪い人間でない事くらいは分かっている。
あの日、ただただ泣くマルグリットの姿に、城に引き取られたばかりの頃のジャメルとエリザを思い出さされた。
兄と妹、全く環境の違う中で、少なからず支えあう事ができたであろう。しかし、マルグリットはたった一人、人間社会の中で、魔人である事を隠し続けてここまで来たのだ。魔人であると言う事を隠さなくて良いこの場所で、何か心の奥に押し込めていた物が溢れ出たのだろう。
泣きたいだけ泣かせておいた。
「自分から言い出しておいて、お話もせず、こんな……。本当に申し訳ありません」
ひとしきり泣き、落ち着いたマルグリットがベルに謝った。
「また、急にどうしたんだい」
「あの日、私はジャメル、エリザと一緒に逃げていたんです。でも、私ははぐれてしまって。あの一瞬の出来事で、こんなに人生って違うものなんですね」
「もしかしたら、あの兄妹と一緒に城で育っていたかもしれないね」
「そうですね……」
だとすれば、今頃どうなっていたのだろう。マルグリットには想像もつかなかった。
「で、話しって何だい」
「レナ姫様には、魔人皇族の末裔として課せられた運命があります。これは、ジャメルもエリザも知らない事です。もしかしたらアミラ様もご存知無かったのかもしれません」
「……」
これ以上レナにどんな運命が襲い掛かると言うのだ。人間社会の中で、魔人として産まれただけでも、過酷な運命だと言うのに。ベルは思わずマルグリットを睨みつけた。
しかし、マルグリットはひるまなかった。
「私は、レナ姫様を、その運命から救いたいと思っています」
ベルの目を真っ直ぐ見据えるマルグリットの泣きはらした目は、怖いほどだった。




