最初の訪問者
「ねえカーラ、服はこれで良いかしら。やっぱり赤い方が良いんじゃないかしら。元気そうに見えるでしょ?」
この日の為に、ベルとハンナが作る薬草茶も鼻をつまんでのんだ。城の中で生活する程度なら、車椅子も必要なくなった。
明日にはハンスが会いにやって来る。
「ファビオ、今日母さん帰りが遅いかもしれないわよ」
朝はいつも戦争だ。
親子揃って寝起きの悪い夫と息子に朝食を食べさせ、遅れない様に出勤させなければならない。
でも、これこそが平凡だけど幸せなのだと今心から感じていた。
朝10時。
城から指定された時間。この時間に、城の正面門に行く事になっている。本当に会えるのだろうか。もし、会えたとして一体なにをしようとしているのだろう。
「えー。またご近所のオバサンとぉ?」
「晩御飯の準備はしていくから」
「何だ、そんなに遅くなるのか?」
食事中だった夫が、驚いたように顔を上げた。
「分からないの、念のために」
「まぁ、あまり遅くなるなよ。夜道は危ない」
「ええ、そうしますわ」
もしかすると、二人との時間もこれが最後かもしれない、 そう思うとこの何でもない会話ですら愛おしく感じた。
間も無く指定した10時になる。姫君にはギードより先に面会者があるかも知れない、とは告げてある。
もし、あのマルグリットだったら何と言おう。マルグリットは姉の死を知っているのだろうか。
「ジャメル様、お越しになられました」
部下が扉を叩いた。
「分かった。通してくれ」
座ったままで良いのだろうか。いや、立って出迎えるべきだ。しかし、あのマルグリットでなかったら?
「失礼します」
部下開いた扉の向こうに立っていたのは……
「マルグリット様!!」
一目で分かった。あの日から何年経とうが分かる。
「あなた、ジャメルなの?!」
部下が二人の再会を不思議そうに見ていた。
「下がってお茶の用意を」
部下は、慌てて扉を閉めた。
「マルグリット様、良くぞご無事で。どうぞ、こちらにお掛け下さい」
ジャメルが椅子を勧めると、マルグリットは少し恥ずかしそうに座った。
「ジャメル、様はやめて頂戴。今はもうお嬢様じゃないわ、ただのオバさんよ」
「しかし……」
扉が開き部下が、お茶を運んできた。
二人は話を止めた。誰かに聞かれるわけにはいかない。
「レナ様に来客がある事を伝えておいてくれ」
「承知いたしました」
部下が去るのを待ってマルグリットが口を開いた。
「他に誰かの消息を知っているの?」
ジャメルは覚悟した。やはり自分が伝えなければならない。
「エリザが」
「そう! エリザも無事だったのね」
「しかし……」
ジャメルとエリザの父は、エリーとマルグリットの家の使用人だった。
「エリー様とマルグリット様をお守りするのがお前の役目だぞ」
歳の近かった四人が、何かと言うと一緒に遊んでいるのを見た父がジャメルに言った。
城に住む皇女二人の学友として、エリーとマルグリットは家から離れてしまった後も、四人は連絡を取り合っていた。
あの日は、エリーとマルグリットが自宅に戻っている日だった。
ジャメルとエリザは、庭でエリーから城での生活の様子を聞いていた。村の中の小さな城とは言え、はやり皇族の生活は庶民とは違う。楽しそうに話すエリーを見ているだけで、ジャメルも楽しい気分になった。そして、その笑顔は輝いていた。
マルグリットは、母親と近くに山菜を採りに行って留守だった。
突然、村のあちこちから怒号と悲鳴が飛び交った。
村の住民は皆魔人。たとえ子供でも何が起きているのか分かった。伝わってくる恐怖と怒りと混乱。逃げなければ。しかし、家の中にはもう襲撃者達が居る。
エリーが囁いた。
「ジャメル、エリザ、気配を消して!」
気配を消した三人は手を繋ぎ、家な中を通り抜け外へ逃げ出した。
外に出た瞬間、エリーの父親が今まさに地面に血を吸い取られ、その身体も地面に還り消えて無くなってしまった。
ジャメルからは見えなかったが、エリーは見てしまった。父の断末魔の顔を。
エリーは、その光景に息を飲み、気配を消す事を忘れてしまった。次の瞬間、エリーは父親と同じ運命を辿った。
ジャメルは、エリザの手を引いて必死に走った。
「どうしてそれを……」
「姉から聞いたの」
「エリー様は生きていたのですか?!」
会いたい。置いて逃げてしまった事を謝りたい。しかし……。
マルグリットは静かに首を横に振った。
「あの村にはね、皆の魂がそのままいるのよ」
「なんと……」
「いつか、一緒に行きましょう」
村に戻るなんて考えた事もなかった。戻ってみたい。たとえ魂になっていても父や母、エリーに会いたい。アンの魂を連れ帰ったレナの気持ちが今分かった。それが例え魂であっても語り合いたい、謝りたい。
「そうですね、いつかそんな日が来れば……。さて、何故姫君にお会いになりたいのか、お聞かせ下さいますか」
「そうね、ただ、お会いしたいの。十年ほど前かしら、一度偶然お会いしているのよ」
「そうでしたか」
「あの時、やはり私はアミラ様のお側に居るべきだったんだわ。凄く後悔しているの」
もし、あの時自身の保身に走っていなければ、アミラ様は死なずに済んだかもしれない。私が居なくなっても、ファビオは夫がしっかり育ててくれていただろう。
アミラの死を知って数年、この思いがずっと消えずにいた。
「アンの葬儀の時のレナ様を見て、もう後悔したくないって思ったのよ」
「ご案内しましょう」
「ありがとう、ジャメル」
微笑むマルグリットの隣にに、小さなエリーが立っていた。
いつか、いつか自由になった時、村へ戻ろう。
カーラ以外の使用人を遠ざけた部屋で面会が行われた。
「姫君、こちらはアミラ様の御学友マルグリット様です」
「あ……」
マルグリットの姿を見たレナは思わず声を出してしまった。アンの葬儀に参列していた人だ。
「アンの葬儀で……」
「ええ、アンの隣の家に住んでいます」
「そうなんですか……」
カーラがお茶を運んできた。
レナを目の前にしてマルグリットは、話したい事があれもこれもと浮かんできた。
何から話そうか。話したい事、伝えなければならない事が多く、頭の整理が出来ない。
「あの、ごめんなさい、ゴガクユウって何ですか?」
レナの一言に、ジャメルが思わず笑いだしてしまった。
「何よ、笑う事ないでしょ」
レナが、拗ねてしまった。
そうだ、姫君もファビオと変わらないまだ子供なのだ。
「私と姉のエリーは、リンダ様とアミラ様と一緒にお勉強をしたり遊んだりする為に、村の城に住んでいたんですよ」
「そうなの?!」
レナが身を乗り出した。
「じゃぁ、私とエヴァ、みたいな感じかしら」
「まぁ、そのようなモノでしょう」
まだジャメルは笑っていた。
「アンの葬儀の頃に比べたら、随分と元気になられましたわね」
部屋には、マルグリットとレナだけになっていた。
「まずい薬草を沢山飲みました」
レナが渋い顔をしたので、マルグリットは笑ってしまっや。本当にアミラ様にそっくり。
「どうして、あんな事になったんですの?」
「全部私が悪いんです。アンの事も……」
「話してください。心に貯めるのは良くないです。アンの事は生まれた時から知っていますし」
そう言って、レナの手を取るマルグリットの顔と、母アミラの顔が重なった。
もしかすると、マルグリットは母が寄越した救世主なのかもしれない。




