アン4
突然の訪問者について、扉越しにカーラからレナにも伝えられた。
「レナ様、ムートル国のブルーノ王がお見舞いにお越しです。間もなくこちらへ来られます。ここを開けて下さい」
ブルーノが?
レナは耳を疑ったが、確かに城の中にブルーノの気配がする。
「開けたわ……」
まさか、魔力で扉を閉ざしているところを見せるわけには行かない。
勢いよく扉が開き、飛び込んで来たカーラに抱きつかれた。
「レナ様!!」
「カーラ……」
「もう、こんな事はなさらないで下さい!」
カーラは本気で怒っていた。
「ごめんなさい。あのねカーラ、アンが死んでしまったのよ……」
「聞きました」
レナは、カーラが平然としている事に、無性に腹が立ち始めた。
「カーラは、アンとはそんなに仲良くなかったものね」
つい、カーラに強くあってしまう自分に嫌気がさした。
だから、誰にも会いたくないのに……。
「女の子の寝室に入るのは気がひけるけど、弟の頼みだから失礼するよ」
そう言ってブルーノがレナの部屋に入って来た。
「わざわざ来て頂いてありがとうございます」
ブルーノは、レナの衰弱した姿にショックを受けた。
「でも、どうしてドミニクはブルーノ様に頼んだのかしら。お忙しい身ですのに……」
ブルーノが意味ありげに微笑んだ。
「ドミニクじゃないよ。もう1人の弟だ」
ブルーノはそう言って、ベッドの脇に置かれた椅子に座った。
「ハンス……?」
「そう、数日前にアルセン王の使いとしてやって来たんた。出来れば、弟として帰ってきてほしかったけどね。まぁ、ハンスにも事情があるんだろう」
「みたいですね……」
「その時に、レナ姫の様子がおかしいと気に掛けていてね。もし、コサムドラに行く様な事があれば……。そしたら今日、午前の予定が全て無くなってしまって、行くなら今だと思ったんだよ」
ブルーノは、この大冒険を楽しんでいた。
「それにしても、一国の王様が……」
自分も時折城を抜け出すが、こんな無茶な事をブルーノがするとは思いもしなかった。
「それに、僕自身もレナ姫には助けられたんだ。兎に角早く元気になって、弟に知らせてやって欲しい。でないと、僕の株が下がる」
「はい……」
「何があったのか、詳しい事は分からないけれど、元気にならないと何も解決しないよ」
「はい……」
アンの元気な姿が脳裏に浮かんだ。
「昼には戻らないと、宮殿で大騒ぎになるから、僕は行くね」
ブルーノは、颯爽と去っていった。
ムートル国に居る医者をコサムドラに寄越す約束をして、ブルーノは帰って行った。
ブルーノは嫌がったが、流石に1人でわけにはいかず、警備隊員3名が急遽同行した。
その中に、レオンの姿があった。他国の王が突然見舞いにやって来る程、レナの具合は悪いのだろうか。
レオンはその日エヴァの店を訪ねた。
確かカーラは、エヴァと専門校が同じで仲が良かったはずだ。何かレナの事を聞いているかもしれない。
「あら、レオン。珍しい」
エヴァは何も知らない様子だった。
「最近レナは来る?」
「そうそう来るわけないでしょ! 何言ってるの?」
「だよね」
「私なんかより、レオンの方がレナに会いやすいじゃないの?」
何も知らないエヴァに、事実を告げる気にはなれなかった。
ブルーノが帰った後、レナはハンスから贈られたペンダントを握りしめふさぎこんでいた。
「先程ムートルコ国からお医者様がお着きになった様ですよ」
カーラが夕食を運んで来た。
「そう……」
レナの気の無い返事に、カーラは意を決した。
「レナ様、今何を考えてらっしゃったんですか?」
「何って、どうやったらアンを救えたんだろうって……」
「私もです。私は、どうやったらレナ様を元気にできるんだろうって、そればかり考えて悩んでいます」
「そんな事で悩まないで。そう思ってくれるだけで嬉しいわ」
「アンもじゃないですかね」
「え?」
カーラの口からアンの名前が出て、レナは戸惑った。
「私はアンとはそんなに親しかった訳ではないですけど、アンも今のレナ様を見て、同じ事を言うんじゃのいかなって……」
「カーラ……」
カーラの顔を思わず見つめていた。
「申し訳ありません、私差し出がましい事を」
カーラの目の下には大きなクマができ、肌も随分も荒れていた。
アンの事件以降、レナが初めてカーラの顔をまともに見た気がした。
「カーラ、ひどい顔……。私のせいね、ごめんなさい」
「あ、いえ、これはお菓子を食べ過ぎただけで……」
「食事頂くわ。明日はお医者様に診てもらうのに、食べておかないと痛い注射されそうだもの」
そう言ってカーラに微笑んだ。
「どこも悪いところはありません。お友達の突然の死が原因で、精神のバランスを崩されたのでしょう。めまいは、時間をかけてゆっくり心の整理をすればよくなりますよ。体力が着けば元の様に走り回れる様にもなります」
それが、医者の診立てだった。
午後には、レオンが訪ねて来た。
「レオン……」
レオンもレナに負けず劣らず、すっかり憔悴していた。
「レナ、アンが……」
「うん……」
レオンが、アンの日記を差し出した。
「アンの日記?」
レナは怖くて受け取る事が出来なかった。
レオンの心の中に、あの日のあの家のあの部屋の様子が留まり続けてるのをレナは見てしまった。
ベットに横たわっているアン。微笑んでいるその顔に生気はない。
床には、胸にナイフが刺さったまま倒れているアンの母。
「アンは死んでしまったのに、どうして私は生きてるんだろう」
レナが声を絞り出した。
「そうだよ、僕なんかよりアンの方がよっぽど優秀で役立つ人だったのに」
二人は志半ばで逝ってしまった友を思い、静かに涙を流した。
ハンナが薬草茶を運んできた。
「お二人とも心がお疲れの様なので、薬草茶にしましたよ。お茶を飲んだら、少し外にお散歩に出て下さい」
ハンナのお茶が効いたのか、少し心の底の重いものが少なくなった様に感じた。
どうやら、レオンも同じ様だった。
「まさか、レナの車椅子を押す日が来るとは思わなかったよ」
「私もよ」
レオンは東屋で足を止めた。
2人は何も語らなかったが、心はただ一つ、案外なくて途轍もなく寂しい、と叫んでいた。
「アンの日記、置いていくよ。要らなければ燃やしてしまって。アンにはもう身内がいなくて引き取る人がいないんだ」
レオンは、机に日記を置いた。
「身内がいないって、葬儀はどうなるの?」
「明後日、僕らで出す事になった。アンは警備隊幹部候補生のまま亡くなったからね」
「そう……」
どうしても参列しなければ。
アンに会う、最後のチャンスだ。
葬儀場へは、アンと面識のあるカーラも同行した。
柩の側には、レナが予想通りアンがいた。
「アン……」
呼びかけると、アンは少し戸惑い、そして嬉しそうにレナに微笑んだ。
次は「さよならアン」です。




