アン2
第72話用前書き
●レナ…主人公。コサムドラ国皇女・魔人
●ハンス(ギード))…魔人・ムートル国第二王子。ブルーノの弟。
●カーラ…レナ付きのメイド。レナと同じ年。魔力を持たない魔人。
●ベル…アンドレの乳母。レナの元付き人。その前はレナの祖母ルイーズの付き人だった。
●ハンナ…ベルの旧友。ベナエシ国のメイド。
●アンドレ…レナの父。コサムドラ国国王。
●ジャメル…サコムドラ国高級役人。魔人。
●アン…警備隊女性幹部候補生。レナの同僚。
●レオン…警備隊幹部候補生。レナの幼馴染で同僚。
自分の出世の為に、レナの信頼を裏切ってしまったアンは、自分のした事にショックを受け精神は破綻し始めた。
レナは、そこまでアンを追い詰めてしまった自分を責めていた。
意図してやった事ではなかった。
アンの顔から生気が失われていく様子に恐怖を感じたレナは、アンの手を握り、ただ無心にアンの回復を祈った。
「姫君!」
ジャメルがレナの異変に気付き声を掛けたが、時すでに遅く、レナの耳にジャメルの声は届かなかった。
この感じ、前にもあった。
あの時は、小さなハンスだった。
今は……
「流石アン、お父さんの血を受け継いだのね」
アンの母が、幼いアンが初めて持ち帰った学校の成績表を見て、満足気に微笑んだ。
「お父さんが生きてらしたら、きっと喜んだでしょうに」
微笑んでいる頬に、涙がはらはらと流れていた。
「泣かないでお母さん。私、もっと頑張るわ。頑張って、お父さんのような立派な警備隊幹部になるわ」
「そうね、アンならきっとなれるわね」
そう言って、母はアンを抱きしめた。
母に抱きしめられると、身体中に広がる安心感で、とても幸せな気分になった。
アンが学校から戻ると、母はいつも、ご近所の奥様方を集めてお茶会を開いていた。
お茶請けは、アンの完璧な成績表だった。
「親孝行な娘さんのお帰りよ」
隣家の妻マルグリッドが、からかう様に言うので、アンは恥ずかしくて仕方がなかった。
しかし、母は頬を赤く染めて、目を潤ませて言うのだ。
「そうなの、この子、亡くなった主人と同じ仕事を目指しているんです。亡くなった主人が聞いたらどれ程喜んだ事でしょうに」
数年もすると、アンにも大人の世界が見えて来た。
毎日開かれる母のお茶会に参加している奥様方は、お可愛そうな若い未亡人を気遣える優しい出来た婦人、そんな自分の姿に、満足する為に来ている事。
そして、その未亡人が話題にする出来のいい娘に対しては、嫉妬の感情しか持っていない事も。
世間知らずな若い未亡人は、何も気付いていなかった。
アンは見返してやりたくて、全てをがむしゃらに頑張った。
マルグリッドの息子は、警備隊幹部生を目指す専門校に進めなかったが、アンは専門校への進学を決めたその日、マルグリッドは家でえらく機嫌が悪かったらしい。
ざまぁ見ろ。
私やお母さんを、馬鹿にするからよ。
他の女の子達が、お洒落やお菓子作りを楽しんでいる間、アンは警備隊に必要な武道と勉強を必死にやった。
頭に大きなリボンを付けた女の子に「そんなの、女の子のする事じゃないわ」と馬鹿にされた事もあった。
しかし、アンは自分の目指した道が、間違っていないと信じていた。
専門校の校長ですら無理だと言った女性初の幹部候補に合格した時、世界が自分のものになった様に感じた。
母も今では、高貴な家庭に招待され子育て論を披露する程になっていた。
お可愛そうな未亡人から、立派な娘を育てた立派な母に変身していた。
全ては順調だった。
そしてアンは恋をした。
同じ幹部候補のレオンだ。
毎日が楽しかった。
何と国王の娘とも友達になった。
しかし、アンは気付いていなかった。
少しづつ、ほんの少しづつ、何かがずれ始めていた事に。
そして、そのずれが決定的になった時、アンは全てを失った。
レナが意識を失ってから3日が経っていた。
ベルは片時もレナから離れず、ハンナはカーラを助手に、ありとあらゆる薬草を試した。
「あっ!」
カーラが、レナの目から流れる涙に気づいた。
「ベル様! レナ様が! レナ様! レナ様!」
ベルも、必死に呼びかけた。
「アン!!」
目を開けたレナは、直ぐにでもアンの元へとベッドから降りようとしたが、、酷いめまいに襲われて、そのまま倒れこんだ。
「お茶を用意するわ!」
ハンナが部屋を飛び出した。
「ベル、アンは? アンは大丈夫なの?」
「今は人のことより、ご自分の心配をなさってください。カーラ、ジャメルに報告を」
「はい」
カーラは、弾かれたように部屋を飛び出した。
数時間すると、ベッドに起きあがれる程度には回復したが、心はアンを思い涙が止まらなかった。
全て自分のせいだ。
アンがこれまでしてきた我慢と努力を、全て自分が奪ってしまった。
レナは、無意識にアンに慰者としての魔力を使っていた。
アンは直ぐに意識を取り戻した。
「アンが任務中に倒れた。これから自宅に運ばれる」
夫が死んだ時と同じだった。
まさか、アンまでが……。
どうやって家まで戻ったのか覚えていなかった。
自宅で、ぼんやり椅子に座る娘を見て安心した。
「アン、もうびっくりさせないで。心臓が止まるかと思ったのよ」
娘に微笑みかけた。
が、何かが変だ。
「アン? どうかしたの?」
不思議そうに、母の顔を見ていたアンが口を開いた。
「あなたは誰ですか?」
アンは、全ての記憶を失っていた。
レナは思うように回復しなかった。
レナは、アンを救いたい一心で魔人皇族の歴史書を読み漁った。
この本なら、何かアンを救う方法が書いてあるかもしれない。
「姫君、今は、ご自分の事を優先していただきたい」
「ジャメルは知らないのよ。アンがどんな思いと覚悟で警備隊の幹部候補になったか。それを私が壊したの。何としても元に戻さないと」
レナが目覚めてから、一ヶ月近く経った。
立ち上がることが出来なくなったレナは、ベルの夫クリストフと庭番のエリックが作ってくれた車椅子で生活をしていた。
日に一度、車椅子をカーラに押して貰い庭を散歩するだけで、部屋に閉じ篭るレナを皆が心配をしていた。
「レナ、ムートル国に良い医者がいるらしんだが」
心配したアンドレとルイーズは、手を尽くしてレナを治せる医者を探していた。
「アンが治るの!?」
レナの関心は、アンを治す事にしかなかった。
「ジャメル、レナは一生このままなのだろうか」
アンドレは、レナの様子にすっかり参っていた。
「一度、あの男に連絡をしてみますか……」
レナ16歳誕生日の数日前。
リエーキ国アルセン国王側近ギードから、ジャメルに面会の申し出があった。
「また、あの男、何を企んでおるのか……」
公式に申し出られては、大した理由もなく断る訳には行かない。
約束の時間に側近ギードはやって来た。
お互い、存在は意識をしていたが、始めての対面だった。
ギードは、魔力で自分の気配を消して現れた。
「はじめまして、リエーキ国アルセン国王側近ギードです」
「コサムドラ国アンドレ国王側近ジャメルだ。今回は何の用でございますかな」
ギードは、アルセンから、レナへの求婚の手紙と婚約指輪を持たされていた。
「こんな物は、どうでも良いのです。なんなら、このまま持ち帰ります」
吐き捨てるように言い放ったギードの態度に、流石のジャメルも驚いた。
「ギード、お前は一体……」




