アン1
●レナ…主人公。コサムドラ国皇女・魔人
●ハンス(ギード))…魔人・ムートル国第二王子。ブルーノの弟。
●カーラ…レナ付きのメイド。レナと同じ年。
●ベル…アンドレの乳母。レナの元付き人。その前はレナの祖母ルイーズの付き人だった。
●ハンナ…ベルの旧友。ベナエシ国のメイド。
●アンドレ…レナの父。コサムドラ国国王。
●ジャメル…サコムドラ国高級役人。魔人。
●アン…警備隊女性幹部候補生。レナの同僚。
●レオン…警備隊幹部候補生。レナの幼馴染で同僚。
16歳になり、自信に満ち始めたレナ。
しかし、同じ警備隊で働いていたアンは、劣等感にさいなまれてしまい……
「ジャメル様!」
廊下を歩くジャメルの後姿を見つけ、咄嗟に呼び止めてしまった。
ジャメルは、足を止め、ゆっくりと振り返った。
「おや、アン、どうかしたのか」
ジャメル様が、自分の名前をご存じだった。
それだけで、アンの心臓は口から飛び出そうなほど、大きく鼓動した。
「重大なお話しが……」
ジャメルに見つめられ、決心が揺らぎそうになった。
「では、1時間後、私の執務室に来なさい」
アンは、後戻りできなくなってしまった。
昨夜、プルスから城に戻ったレナは、急いでジャメルを探した。
「ジャメルはどこかしら?」
「自分の部屋でしょう。レナ様、お茶を入れましょうか?」
ベルは、レナが約束の時間までに城に戻ったので上機嫌だ。
「後で頂くわ。あれ、ハンナは?」
ベナエシ国から来ているハンナは「働かずに過ごすのは、性に合わない」と、コサムドラのメイド達に薬草学を教え始めていた。
「薬草を買い揃えるとか言って、昨日から街にいます」
「ハンナは、すっかり先生になってしまったわね」
「ハンナは昔から薬草の事は詳しかったんですよ。私もハンナの薬草軟膏で、腰の痛みもすっかり治りましたし」
ベルも、ハンナと働けて嬉しそうだ。
アンとは、ベルとハンナの様な関係になれると思っていた。
「ジャメル、良いかしら」
部屋の中から、ジャメルの気配がする。
静かに扉が開いた。
「姫君が部屋に来られる時は、ろくな事がない」
「そうね……」
レナは、すっかり落ち込んでしまっていた。
カフェで過ごした時間は、普通の女の子に戻れたようで嬉しかった。
エヴァとも、また何事も無かったように話せた。
カーラも楽しんでいた。
3人、大切な友達。
そう確信した。
でも、レナは気付いてしまった。
アンが悩んでいる。
違う、悩んでいるんじゃない、私達を妬んで卑屈になっている。
そして、レナがアンを信用して打ち明けたハンスの事を、自分の出世の為に、ジャメルに話そうとしている。
「私、アンが悩んでいたなんて、微塵も思わなくて……」
人の心の中を見てしまうと、良いことなんて無い。
そう思って、見ないようにしていたのが逆効果になった。
「確かに、アンの仕事範囲については幹部会でも度々議題に上る」
「どうして、レオンと同じ様に仕事をさせて貰えないの?」
「姫君は、警備隊の仕事全てをご存じですかな」
「一応……」
とは言ったものの、レナは自信がなかった。
レナの警備隊での公務は午前だけで、全ての任務を経験したわけではない。
「中には、精神的にも肉体的にも非常に厳しい任務もあるのです。それを、男のレオンと同じ様にさせる事に反対する幹部が多いのです」
「何も決めずに採用してしまったって事?」
「それだけアンの成績がずば抜けていたのです」
「アン、かわいそう。アンが幹部になるのを、お母さんも楽しみにしてるって言ってたのに。どうにかならないの?」
「レオンと同じ様に仕事を与えられないからと言って、幹部になれないわけではない」
「え?」
「何事も、向き不向きがあるのです。私がアンに期待しているのは、これまでとは違う、警備隊幹部なのです」
「そうなの……」
それが、どんな幹部なのかレナには想像が付かなかった。
でも、アンならきっとなれる。
「しかし、私欲の為に姫君の信頼を裏切る様では、不可能かもしれませんな」
「それは、私が悪いの」
そう、自分の立場も考えずにアンに話してしまったのが悪いのだ。
でも、あの時アンはレナの話を親身になって聞いてくれた。
それだけは間違いない。
アンにも深い悩みがあったのに、そんな事気付かず浮かれてカフェに誘ったりして……。
本当は、自分がアンの悩みに気付いて、話を聞かなければならなかったのだ。
お父様やお祖母様なら、絶対にそうしたはずだ。
「もし、アンが話に来てしまったら、どうしよう……」
「今回の事は、姫君だけではなく、我々もアンに対して配慮が無かったのは事実です。かと言って、アンの取ろうとしている行動も褒められたものではない。本当に行動に移すのか、それによって対応しましょう」
アンは行動に移してしまった。
ただ、ジャメルにはアンが多少なりともレナに対して罪悪感を持っているのが分かった。
ジャメルの執務室の隣室で、レナはアンが来るのを待った。
「失礼します」
アンは来てしまった。
「手短に頼むよ、アン」
ジャメルは、静かに言った。
「実は大変な事実を知ってしまいましま」
「何だ」
アンは頭が真っ白になっていた。
このまま、執務室から逃げ出したかった。
やっぱり言うのは止めておこう。
そう思った瞬間、母の顔が脳裏を過ぎった。
だめだ、このままでは幹部になれずに、母をがっかりさせてしまう。
手柄が欲しい、手柄が。
「レナ姫様ですが、リエーキ国の新しい側近ギードとお付き合いをしているようす。もしかすると、ギードに利用されているのでは……」
そこまで話したアンは、ジャメルの顔を見て言葉に詰まった。
驚いてもいない、ただじっとアンを見ているのだ。
「あ、あの……」
信じてもらえていないのかもしれない。
「嘘じゃありません。本当の事なんです」
思わず、大きな声が出てしまった。
「落ち着きなさいアン。その話、誰から聞いたのだ」
「レナ様御本人からですので、間違いありません!」
これで、一つ手柄が立てられた。
アンは、興奮と緊張で涙が出そうになった。
「アン、聞いてくれ」
ジャメルが静かに語り始めた。
「その報告の内容と、その真偽について、私から特に何も言う事は無い」
「え?」
思ってもいなかったジャメルの言葉に、アンは何をどう考えて良いのか分からなくなった。
良くやった、良くぞ報告してくれた、そう言われるものだと信じきっていた。
「しかし、その話を直接レナ様から聞いたのなら、レナ様はアンを信頼して話したのではないのか?」
「!」
「頭の良いアンの事だ、私の言わんとする事が分かるだろう」
アンは身体の震えを止める事が出来なかった。
「私は、レナ姫様の信頼を裏切った……」
「そう言う事だ」
アンは、今自分がどうやって立っているのかすら分からなくなった。
もう、取り返しがつかない。
幹部どころか、警備隊からも追い出される。
「手柄が欲しかったのだろう。そんな風に思わせてしまった我々にも、配慮が足らなかったのも事実だ」
「……」
もう、アンにはジャメルの声は届いていなかった。
これで全てが終わってしまった。
そう思い込んだアンの精神は破綻に向かい始めた。
「アン!」
ジャメルがアンの異変に気付き、魔力を使って無理矢理アンを眠らせた。
アンがその場に崩れ落ちるのと同時に、レナが隣室から飛び込んできた。
「アン! どうしたの!」
意識の無いアンを、ジャメルが抱き上げソファに寝かせた。
「相当なショックを受けたのか、精神が破綻し始めてしまった」
「そんな……」
青い顔をして、ソファに横たわっているアンは、今、全てを失おうとしていた。




