望み 歩み寄る二人
母の葬儀の夜、眠ってしまったレナ。
目覚めたらそこは城だった。
レナは孤児ではなく、国王アンドレの娘だったのだ。
戸惑うレナ。
しかし、大人たちはまだ何かを隠してる。
レナは部屋で、今後につい考えていた。
「ねえベル、私はいつ家に帰れるの? もう何日も帰ってないのよ」
レナの最大の心配事は、学校だ。
もしかしたら今日辺り、心配したエヴァが家に来るかもしれない。
「学校に行くって、エヴァに言ったのよ」
「私には何とも言えませんねぇ」
国王アンドレが、ドアをノックしたかと思うと、ズカズカと部屋に入ってきた。
「アンドレ様、女性のお部屋に入る時は、返事があってからお入りください。お着替えの最中でしたら、どうするんですか」
「ああ、申し訳ない」
と、部屋から一度出て、再びノックするアンドレ。
「どうぞ」
ベルが返事をして再びアンドレが入ってきた。
「これで良いか、ベル」
「よろしいでしょう」
「ベル、あなた一体何者なの……」
アンドレがベルには一目置いている様子にレナは驚いた。
「ベルは私の乳母だったんだよ」
「え!」
「レナ様、国王に椅子をお勧めして」
「あ! 気が付かなくてごめんなさい。国王、こちらへ」
レナに勧められた椅子に座るアンドレ。
無言の3人。
時計の刻む秒針の音が部屋に響いていた。
「ベル、こう言う場合、何を話せばいいんだ」
とうとうアンドレが音を上げた。
「なんなりと」
「そう言われてもな……」
レナには聞きたいことが山のようにある。聞くなら今だ。
「あの」
「なんだ」
レナから話しかけられた喜びが隠せないアンドレ。
思わずレナの顔を覗き込んでしまう。
嬉しそうにレナの顔を覗き込む国王の様子に、ベルは笑いが堪えられなくなった。
「ベル、なぜ笑うんだ。失礼だぞ」
「だって、アンドレ様の嬉しそうなお顔」
「そうよ、人の顔を見て笑うなんて失礼よベル」
「まぁ、お二人揃って。それはそれは申し訳ございません。では、私は席を外しましょうか」
アンドレとレナは、慌てた。
今、この二人を繋ぐのはベルしかいないのだ。
「ここにいてベル」
レナが懇願した。
「承知しました」
相変わらずベルは笑ってる。
笑いながら、ここにアミラ様がいらしたら、と思わずにはいられなかった。
「では、改めて聞こうレナ。聞きたい事は」
「はい、あの、私いつまでここに居ればいいですか?」
「え?」
アンドレにはレナの言わんとすることが、理解できなかった。
「早く学校に戻らないと卒業が怪しくなりますし、友達のエヴァも心配してると思うんです」
「レナは、ずっとこの城にいるんだよ。勉強なら家庭教師をつけよう」
学校に通った事のないアンドレには、レナがなぜそんなに学校を気にするのか分からないのだ。
「でも…。ママ……母とも学校は卒業するって約束したんです」
「アミラと……か」
「はい!」
「ベル、どうしたものかなぁ」
レナは、ベルは学校へ戻れるように言ってくれるものだと思っていた。
しかし、
「アンドレ様の思うがままに」
「そうか、ではレナは私のそばに居なさい」
「そんな!」
レナは思わず大きな声を出してしまった。
「ベル、家庭教師の手配をお願いするよ」
「承知しました」
「ベル!」
ベルは助け舟を出してくれると思ったレナは、裏切られたような気分になった。
「国王の決定した事は、絶対ですレナ様」
「そんな……」
アンドレはレナの憤慨をよそに、足取り軽く部屋を出て行った。
レナは唖然と立ち尽くした。
アンドレは執務室で上機嫌だった。
これで、愛しい娘とこの城で暮らせる。
欲を言えば、アミラにも元気に戻ってきて欲しかった。
それが叶わぬ事であるのは、あの日から分かっていた。
窓から庭を覗くと、大荷物を抱えて歩くレナと、慌てて追いかけるベルの姿が見えた。
「あの二人は、何をやってるんだ」
「レナ様! お待ちください!」
「いやよ、家に帰るの」
大荷物を抱えて、レナは城から出ようと庭を横切っていたが、実際のところ、このまま進んで城から出られるのかは不明だった。
「もし、今お城を出られたら、二度と入れませんよ」
「いいわよ別に」
「アミラ様にも会えませんよ!」
レナの足が止まった。
「それは困る」
「では、お部屋にお戻りください」
「それも嫌」
レナ、方向転換をして再び歩き出す。
「レナ様、どちらへ」
「ママの所! ママに相談する!」
「霊安堂は、逆方向です」
レナ、くるりとり返って方向を変え、歩き出した。
霊安堂まで来たのは良いが、施錠されていて入れない。
大きな荷物を抱えたままレナは、どうしたものか、と立ち止まっていた。
ベルがやっと追いついた。
「ベル、鍵は持ってない?」
「いえ」
「そっか、そうだよね。そんな簡単には入れないよね…」
「鍵はここにあるよ」
レナとベルが振り返るよ、アンドレが美しく装飾された鍵を持っていた。
「この鍵で、この正面扉とアミラの居る『百合の間』が空けられる」
「ありがとうございます」
大荷物を下に放り投げ、鍵を受け取ったレナは正面扉を鍵を開けた。
「一緒に行って良いかな」
「もちろん」
「私はここでお待ちしております」
ベルはレナが放棄した荷物を、拾い集め始めた。
静かな霊安堂の中に、父と娘の足音が響く。
「静かですね」
あまりの静けさにいたたまれなくなったレナが、思わずアンドレに話しかけた。
「ここに居るのは、私達以外は死者だからね」
レナは、一瞬背筋に冷たい物が走ったように感じた。
「怖がる事はないよ。みんなレナの先祖だよ。レナが怖がるような事はしないよ」
「そ、そうですよね……」
「私も子供の頃は怖くて、ベルに同じ事を言われたんだけどね」
レナは変な気分だった。
母以外に身内は居ないと思っていたのに、先祖と言われてもピンと来ない。
「さあ鍵を開けて」
アンドレに言われて『百合の間』の前に着いた事に気が付いた。
カチン。
静かな霊安堂に響く開錠の音。
レナがアンドレに鍵を返すと、アンドレは、ポケットから金のチェーンを取り出し鍵を通し、レナの首にかけた。
「これはレナ専用の鍵だ。棺の蓋が閉められる迄は、いつでもここに来てアミラに会うと良い。」
「有難うございます。蓋が閉められてしまったら、会えないんですか?」
「二度と蓋は開かないけれども、ここへ来る事は出来る」
「良かった」
鍵を握り締めるレナ。
「では、ゆっくりすると良い」
去ろうとするアンドレの腕をレナが思わず掴んだ。
「あ、ごめんなさい」
咄嗟の自分の行動に驚き、思わず謝るレナ。
「なんだい?」
「ママと相談したい事があって。一緒に居てもらっていいですか?」
「かまわないが」
レナが扉を開けると、アミラは変わらずただ眠っているように、棺の中に居た。
アンドレの『死者』と言う言葉に一瞬恐怖を覚えたけれど、母の亡骸には恐怖を感じなかった。
「ママ、相談があるの」
勿論アミラは何も答えないが、レナは続ける。
「ママ、パパが生きてるなら、そう言ってて欲しかったな」
「レナ、アミラは私の事を何と言っていたんだい」
「確か、凄く遠い所にいて会えない、って」
どうして私にはパパが居ないの?
物凄く小さい頃に聞いた時、アミラはそう答えた。
そして、それ以上レナも父について聞くことは無かった。
父と言う存在の居ない事が、普通になっていた。
「間違ってはないし、死んだとも言ってないじゃないか、アミラらしいな」
「そうですけど……。ああ、死んじゃったんだなって納得しちゃって、それ以上聞かなかったから」
「聞かれなかったから答えなかったんだろうな」
「ママのこと、よく知ってるんですね」
「そりゃ、愛した人だからね」
「なんで、愛した人と離れ離れだったんですか?」
レナは、ついアンドレを責めるように聞いてしまった。
「それは……」
急に口の重くなったアンドレを見て、聞いてしまった事をレナは後悔した。
「あの、ごめんなさい」
「いや、レナの言うとおりだよ。だからもう手放したくない。レナには城に居てほしい」
「ママ、どう思う?」
「きっとアミラも賛成してくれるよ」
「そうかしら」
「ん?」
「ママは私が学校を卒業するのを楽しみにしてたの。お友達も沢山いて、成績は良くないけど、勉強も運動も頑張ってたの」
「レナは何を望んでいる?」
「え?」
「遠慮せずに言ってみなさい。私だって鬼じゃない。自分の思いを一方的に押し付けるつもりもない」
「でも」
「では、お互いの望みを順番に言ってみよう。私の望みは、レナとこの城で暮らす事」
「はい」
「じゃ、レナの望みは?」
「……」
言って良いのかレナには分からなかった。
本心を言ってしまったら、アンドレが悲しむのではないだろうか。
「言わないと分からないよ」
確か母にも同じような事を言われた覚えがある。
あれはいつだったんだろうか……。
あの時の母の優しい顔が、レナに勇気を与えた。
「あの、私、いつもどおり暮らしたいです」
「いつもどおり……」
「はい、学校を卒業する迄で良いんです」
「そうか」
「はい、後三ヶ月程。ダメですか」
アンドレは物言わぬアミラを見た。
アミラだったら、何と答えただろうか。
「ベルとも相談してみよう」
「ありがとうございます!」
棺の中のアミラが少し微笑んだようにアンドレには見えた。