約束9
「さぁ、これを飲みなさい」
タルメランから差し出されたグラスに、ファビオはぎょっとした。
「これは血……」
「そうだ、牛の生き血だ。飲むと体力が取り戻せる。さぁ、飲みなさい」
ファビオは気味が悪かったが、飲めというなら飲むしかない。タルメランの魔力は非常に強くなっており、ファビオが敵う相手ではなくなっていた。それに、この村で初めて会った時に比べて、随分と若返った様に見受けられた。
タルメランからグラスを受けとり、口を付けた。
「ん……」
血生臭い。
当たり前だ、生き血のなのだから。
兎に角、血生臭さが鼻に抜ける前に飲み干してしまった方が得策だ。
ファビオは一気に飲み干した。
「そうだ、良い子だ」
タルメランは満足そうに空になったグラスをファビオから受け取った。
「血が身体にいきわたるまで、ゆっくり休みなさい」
そう言うと、タルメランは再び姿を消した。
暫くすると妙な感覚に襲われた。
胃の中の生き血が、蜘蛛が糸を張り巡らせる様にじわじわと確実に身体の中に広がっている、そんな感覚だった。
気持ちが悪い。吐いてしまいたいが、胃の中の生き血が、胃から出る事を拒んでいる様だった。
ファビオはベッドに倒れ込み意識を失った。
ハンスからの報せに、エリザの顔色が一瞬青くなりそして真っ赤になった。
「何故あの家の庭に……」
死んだ兄ジャメルが残した温泉街の外れにある小さな家。いつか、城から暇をもらった時、一人静かに住もうと思っていたあの家。その家の庭に、ファビオとマルグリットが雇っていたメイドのアリサの遺体が見つかったというのだ。
「アリサには見張りをつけていたんでしょ?」
レナも驚きを隠せない。
子供の前でする話ではない、とルイーズはカーラと庭に散歩に出た。
「それが、人混みで見失ったらしく、次に見つけた時は死んでたらしい」
エリザは、あの家が穢された怒りをどこに向ければ良いのか分からず混乱し平静を保とうとするも、 顔は真っ赤になり汗が流れていた。
「恐らく魔人が絡んでいる。今からオクサナさんに温泉街へ向かってもらうつもりだ」
ハンスは難しい顔をして言った。
「わたしも行かせてください」
エリザは今直ぐあの家の穢れを祓いたかった。
「でも……」
レナはそれ以上言えなかった。
もし、エリザが城から離れた隙にファビオやタルメランが襲って来るかも知れない、しかし、エリザの気持ちも理解できたのだ。
レナの不安な気持ちをハンスは察した。
「エリザが城を離れている間、アルセンに城にいて貰うよ」
レナのほっとした表情を見てエリザは我に返った。
「申し訳ありません。私は城に残ります。誰か他の者に家の清掃を頼みます」
レナが慌ててエリザの手を取った。
「駄目よ。あれはジャメルがエリザに残した物よ。自分の手でやらないと。それにオクサナさんだけでは分からない事もあるだろうし」
エリザは、レナの手を握り返した。
「必ず何か手掛かりを掴んで帰ります」
エリザは慌ただしく部屋を出て行った。
どうしてあの家なのか。
あの家は、ジャメルがマルグリットと住むつもりで用意した家だった。マルグリットの死後、その家でマルグリットのメイドが遺体で見付かったという事は、マルグリットやファビオに無関係とは考え難い。
その場に居た誰もがそう思ったが、口に出す者はいなかった。
直ぐにアルセンが城にやって来た。
レナが初めて会った時のアルセンとは、すっかり別人のようになり、今は立派な菓子職人にしか見えない。
「アルセン様、よろしくお願いします」
エリザとオクサナは、アルセンと入れ違うように温泉街へと向かった。
「店を閉めたら、エヴァも来ると言ってました」
アルセンはルイーズをあやしながら、もしエヴァと結婚するような事になれば、子供は女の子が良い、いや、男の子も良いな、などと考えていたためだろうか、顔が妙ににやけてしまっていた。
アンドレも公務が終わると、ルイーズの子供部屋にやって来た。
「アルセン王、今回は急な頼み事、聞き入れて頂きありがとう」
孫の誕生で、すっかり目尻の下がってしまったアンドレは、アルセンに礼を言いながらもルイーズを抱き上げる事は忘れなかった。
「もう、お父様がそうやって毎晩抱いて寝かせるから、抱っこじゃないと寝なくなってしまったのよ」
最近のルイーズは、益々重くなりレナが抱き続けるのは重労働になっていた。
ルイーズを中心に、沢山の大人が笑顔になっていた。
皆でルイーズをタルメランから守る。
そんな事できる訳がないと思っていたアンドレの言った事が、レナも最近になって分かり始めた。
城の中には、ここに居る人達以外にもルイーズを愛おしく思ってくれている人が大勢いる。
その人達の思いが、タルメランに負けるなんて考えられない、そう思い始めていた。
次話も、よろしくお願いします。
(ファビオの飲んだモノって……)




