約束8
この街に再び足を踏み入れる事があるとは思わなかった。
あの早馬の持って来た手紙が、本当にファビオからの物という確信もなかった。しかし、あのまま主人のいないあの家で歳をとるのだけは嫌だった。もし、ファビオからの手紙ではなかったとしても、ファビオの手紙だと思ったのだから仕事、誰も自分を責めはしないだろう。
温泉街に着くと、街の其処此処にマルグリットの思い出が刻まれていた。
事故の現場は目を閉じ息を止めやり過ごそうとした。しかし閉じた目の前にマルグリットの最後の姿があった。その目は、見開かれアリサを責める様に見続けていた。
体力と魔力を少し取り戻したファビオは、タルメラン自らの指導で魔力の訓練を受けていた。それまで感覚的に使っていた魔力を無駄な力を使わずに的確に使える様になる訓練だ。ただ、それはとても疲れる日々だった。
荒廃した城のバルコニーで毎日訓練は行われた。
「良いぞファビオ、やはり私の息子だ。素晴らしい」
タルメランに褒められると、心が高揚した。出来ない事など何もない、今直ぐにでもコサムドラの城に行ってレナを取り返せそうな気分だ。
「ファビオ、それにはまだ早い。随分自由に魔力を扱える様になってはいるが、まだまだだ。お前は一国の王になるのだ」
一国の王……。
この老人は何を言ってるんだ。この俺が一国の王だ?
ファビオは、バルコニーに座り込んでしまった。
「そんなありもしない話で、俺をここに引き止めて何になるって言うんだ。貴方の命は助けた。もう良いだろ。俺は魔力なんてなくても良い」
タルメランは、ファビオの隣に同じ様に座り込んだ。
「何を言うんだ。何度も言っただろう。お前は私の息子だ」
「何度も聞きましたよ。でも、普通考えられないだろう、そんな事」
それに、正直そんな事どうでも良い。それに、この訓練も。
「タルメラン様にそんな口の利き方、許さなわよ」
ここ数日姿を見せていなかったマルグリットが、ファビオの前に仁王立ちしていた。
「申し訳ございません、タルメラン様。この子は直ぐに投げやりになる癖があって。お隣のアンが悪いのよ。あの子が何事もファビオより上を行こうとするから」
マルグリットは小さな身体で、ファビオを抱きしめた。
「大丈夫よファビオ。私がそばに居るわ。ほら見て、貴方よりも若いの。だからもう先に死ぬ事もないわ。後数年すれば、貴方のお嫁さんになることだって出来るのよ」
そう言って笑うマルグリットの姿に、ファビオは背筋が凍った。
「マルグリット、お前は計画が成功したら、何処かの国の王子に嫁ぐのだよ」
「分かってますわ、タルメラン様」
「あの件はどうなったかな」
「はい、計画通りに」
「そうか、それは良かった。ファビオお前も私もじきに元気になって力を取り戻す事が出来るぞ」
そう言った次の瞬間、タルメランの姿は消えていた。
事故現場に立つ尽くすアリサに一人の老人が近付いた。
「どうかされましたか?」
その声にアリサは我に返った。
「何だか顔色が悪いけど大丈夫かい? 近くで温泉宿をしてるんだけど、少し休んでいきな」
「ありがとうお婆さん。でも人と待ち合わせがあるの」
アリサはそう言って事故現場から離れた。
ファビオとの待ち合わせ場所は、温泉街の外れにある小さな家の前だった。
ファビオ様、はこの家で暮らしているののだろうか。
門に近付くと、老人が一人家から出てきた。
「おや、どちら様かな?」
「すみません、ここで人と待ち合わせをしているんですが」
「では、貴方がアリサさんですかな?」
「はい!」
「ファビオ様から聞いておりますよ。どうぞ、お入り下さい」
優しそうなお爺さん。
アリサは老人の勧めるままに、家の中へと入って行った。
「お疲れになったでしょう。お茶を用意しますから一息つかれたら、少しお部屋でお休みください。ファビオ様が戻られましたらお知らせしますよ」
誰かにお茶を用意してもらうなんて、何年ぶりだろう。
このお爺さんは、ファビオ様の執事さんなのかしら。だとしたら、この家はファビオ様の新しいお宅かもしれないわ。
「あの、私はどうしてここに呼ばれたのでしょうか」
アリサはそう言ったつもりだったが、言葉にはならずそのまま眠ってしまった。
一時間後、アリサの身体は家の庭に全裸にされ横たえられていた。眠っているアリサは今から自分の身に何が起きようとしているのか、知りようもない。
アリサの身体を舐め回す様に見ていたタルメランが、満足そうに微笑んだ。
「さ、大好きなファビオ様の力になるんだ」
そう言って、タルメランはアリサの心臓めがけて単刀を振り下ろした。
次話も、よろしくお願いします。
(嗚呼アリサ……)




