約束3
温泉街から別荘の村へやって来たファビオが見たのは、多くの人で活気付いた村だった。
村唯一の宿に行ったものの、繁盛期なのか予約客で満室だった。
「申し訳ないねぇ。でも、この季節なら何所か別荘の空き部屋に泊まれるかもしれないから、聞いてあげるよ。ちょっと食堂で、待ってておくれよ」
人の良さそうな宿の女将に案内されて、食堂で少し待つ事にした。宿泊客は観光にでも出かけているのか、食堂は静まり返っていた。
ここに母マルグリットが宿泊していた。この食堂で食事をしたのだろうか。
ふと人の気配を感じキッチンに目をやると、小さな女の子がこちらを見つめていた。
「こんにちは」
ファビオが微笑みかけると、人見知りなのか少女は物陰に隠れてしまった。
「お客さん、いくつか空いてる部屋あったよ。ここに書いておいたから行ってみると良いよ」
女将が賑やかに話しながら戻って来た。
「ありがとうございます」
ファビオは女将から幾つか別荘の名前が書かれたメモ用紙を受け取った。
「さっきキッチンに小さな女の子がいましたが、娘さんですか?」
もしかしたら、孫かもしれないな。女の人の年齢は分からない。
「え? うちに小さな女の子何ていませんよ。子供達も皆大きいですし。宿泊客にも居ないし……」
「え、でも……」
確かにキッチンにいたのだ。
「まぁ、この村は不思議な事が起きる村だからね」
女将は豪快に笑った。
ファビオは女将の脳裏に魔人と言う言葉が浮かんだのを見た。
「もしかし、魔人村の事をご存知ですか?」
女将が少し動揺した。
「何だい、最近若い子の間で魔人村が流行ってるのかい?」
今度はレナの姿が女将の脳裏に浮かんだ。そうか、レナはここに泊まっていたのか。
「実は、レナと言う女の子から聞いて来たんです」
女将の顔がパッと明るくなった。
「あんた、レナの知り合いかい?」
「はい」
「レナは元気かい?」
「子供は無事、女の子が生まれました」
「そうかい。それは良かった。あんな事があったから、どうなったか心配してたんだよ」
「そうですよね。本当に無事で良かったです」
ファビオは、女将の記憶から全てを知った。
そうか、レナもこの村から魔人村に行ったのか。
ファビオは、女将の書いてくれたメモを持って立ち上がった。
「部屋が埋まってしまう前に、別荘を訪ねてみます」
「ああ、そうだね。そうしたほうが良い。レナによろしく言っておいていくれ」
本当に人の良い女将だ。
「はい。必ず伝えます」
ファビオは、宿を後にし別荘へ向かった。
無事に別荘の一室を宿にする事が出来たファビオは、宿のキッチンに居た小さな女の子の事を考えていた。
あの子は誰だったのだろう。村の子供か、別荘に来ている子が食べ物でも盗みに入っていたのだろうか。いや、そんな訳はない。別荘へ来る者は皆富裕層だ。人様のキッチンから食べ物を盗むような子供はいるはずがない。
それに、メイン通りには、美味しそうなので食べ物を売る屋台が所狭しと並んでいた。お金を出せば何でも好きに買えるのだ。
では、あの子は一体……。
宿のキッチンで見た小さな女の子の存在が、ファビオの心を占領し始めていた。
村の外れにある広場にはサーカスが来ており、その夜、別荘のオーナー一家に誘われてファビオは生まれて初めてサーカスを見に出かけた。
プルスの街にも、一年に一度サーカスが興行に来ていたが、母がサーカス嫌いで一度も連れて行って貰った事がなかった。
確か母の友人マリアもサーカスを嫌がっていた気がする。
「子供の頃に、何度か親に連れて行かれた事があるのよ。曲芸何かは本当に素晴らしいと思ったんだけど、道化師がおかしな事をすると人が笑うでしょう? アレが嫌なの。人の失敗を笑っているようで」
マリアの言葉が脳裏に蘇り、テントへ踏み込む足を止めた。母もそうだったのだろうか。
「何だよ、さっさと行けよ」
ファビオが足を止めた事で、後ろの男がファビオにぶつかった。
「申し訳ない」
入場列を外れ、靴紐を結び直すふりをした。
本当にこの中に入って良いのだろうか。子供の頃、どんなに泣いて頼んでも連れて行ってはくれなかったサーカス。これから行くと母が知ったら、どんな顔をするだろうか。
「何を考えてるんだ」
思わず声を出して笑った。
母は死んだのだ。死んだ母がどんな顔をすると言うのだ。
ファビオは、立ち上がり他の客たち同様に笑顔でテントの中に吸い込まれて行った。
次話も、よろしくおねがいします。
(私実はサーカスって一度も生で見た事がありません)




