約束2
レオン経由で頼まれた菓子が焼き上がったのは、深夜遅くになってからだった。
エヴァとアルセンは、店の二階で暮らしていたが、客達が想像する様な仲では、まだなかった。
「お疲れ様ジャン」
「お疲れ様エヴァ」
二人は二つの扉の前で唇を重ねて、それぞれの部屋へと入って行った。
エヴァが耳を澄ますと、隣の部屋でアルセンが服を脱ぎベッドへと向かう音が聞こえた。今日は随分と遅くまで仕事して疲れたのか、直ぐに物音がしなくなった。
「もう寝てしまったのね」
エヴァはくすりと笑って、自分も寝る準備を始めた。
アルセンは、まだ眠ってはいなかった。毎晩、自室へ戻るとエヴァがこちらの様子を気にしているにで、エヴァが遅くならない様に寝たふりをしていたのだ。
隣室が気になっているのエヴァだけではない。アルセンも、エヴァの一挙手一投足が気になって仕方がなかった。
エヴァは仕事が終わると、次の新メニューを考えたり、店の帳簿をつけたり遅くまで良く働いていた。定休日ですら、朝早くから市場に行って食材の調達や研究に余念がない。
「少しは休まないと、本当に倒れてしまうよ」
アルセンが他人の健康を気遣うなど、生まれて初めてだった。
まだ何か仕事の続きをしているらしいエヴァの様子を壁越しに感じながら、アルセンはルイーズが生まれた朝の事を思い出していた。
エヴァは報われない日々だった過去を、ゆっくりと静かにアルセンの話した。
アルセンは、魔力を存分に使い思うがままの生活をしていた事を、そして両親を殺した事を包み隠さず話した。
流石に両親の話にはエヴァも驚きを隠せなかったようだが、少し考えて言った。
「その事は、後悔しているの?」
「とても」
「昔の私だったら、絶対に受け入れらないけれど、今は違うわ」
ムートルのナナの元には、様々な人達が集まっていた。所謂ならず者もいた。しかし、彼等も彼等なりの事情があってそうなってしまったのだ。
「いつか、御両親の事をゆっくり聞かせて」
「分かった」
二人は、いつの間にかお互いの手を強く握っていた。
その時だった。
扉の向こうからエリザの声がした。
「アルセン様、エヴァ、まもなくですよ!」
エリザは、声をかけると直ぐに立ち去ってしまった。
「いよいよなのね!」
二人の強く握った腕に思わず力が入った。
アルセンの方が力が強かったのか、アルセンがエヴァを引き寄せ胸に抱きしめる格好になった。
「あ、申し訳ない……」
リエーキで好きに暮らしていた頃では考えられないが、アルセンは自分の胸に抵抗なく来たエヴァに照れてしまった。
アルセンがエヴァの手を離そうとしたが、今度はエヴァがアルセンを離さず、アルセンの顔を見上げると静かに瞳を閉じた。
エヴァの唇にアルセンの唇が重なった。
閉じていた目を開けたエヴァが微笑んだ。
「さ、行きましょう!」
二人は手を固く握ったまま、部屋を出た。
いつの間にかエヴァの部屋から物音がしなくなっていた。
やっと眠ったのか。
キス以上は進まない。
アルセンが決めた事だった。
まだ自分の身は不安定だ。このままコサムドラの菓子職人として生きるのか、リエーキを奪還するのか。どうするべきかなのかも決められずにいる。
このままコサムドラで、エヴァの夫になってしまえば良いのかもしれない。
しかし、リエーキのジョアンはまだ自分を追っている。今は何とかやり過ごしているが、エヴァを巻き込むような事態だって考えられる。
これ以上エヴァを辛い目に合わせたくない。
エヴァがメイドをしてた屋敷で主人に襲われそうになった話を聞いた時には、怒りで危うく大声を出しそうになった。
しかし、自分もリエーキの城でメイドを弄んだ事がある。消してしまった事さえある。
この全てに決着をつけてからだ。
自分の過去を帳消しには出来ない。
思い付きでムートルに侵攻して、無駄に命を落とさせた罪もある。
考えれば考える程アルセンは自分の過去を呪い、恐れ、朝まで眠れない日もあった。
そんなアルセンを救ったのは、やはりエヴァだった。
「一国の長でいるという事の責任とか判断とか、私には分からないわ。でも誰かを苦しめてしまった事を後悔しているなら、謝れば良いの。許して貰える何て思わずただ謝るの。そして美味しいお菓子で、別の誰かを幸せにしようよ。虫の良い話かもしれないけれど、今できる事をするしかないもの。私待ってるから。ジャンが納得行くまで、待ってる。だって私まだ十九歳だもの」
アルセンはエヴァと出会えた事を、心から感謝した。
次話も、よろしくお願いします。
(エヴァとアルセン、上手くいくといいな。でもアルセンの過去が重すぎる)




