忍び寄る足音2
ルイーズが産まれた朝、カリナの魂が宿っている小さなクマのぬいぐるみをエリザから受け取ったハンスは、その時初めてカリナの様子がおかしい事に気付いた。
「ハンス、お前には、きちんと別れをしたくてね」
カリナの不吉な物言いに、ハンスは嫌な予感がした。
「やはり、この様な状態で存在し続ける事は、難しかったのでしょうか」
ハンスにとって、森の中で孤児になってしまった自分を助けてくれたカリナは母同然だった。
カリナを裏切り、レナを救った事を後悔した事はなかったが、他にやり方はなかったかと自問自答していた。もし、他のやり方があれば、今もカリナは生きていた筈だ。
「このクマの中で大人しくしていれば良かったのかもしれないけれど、あのマルグリットの件では無理をしたからね」
ハンスはカリナに何か言葉をかけたかったが、今口を開けば、言葉と共に涙も出そうで、黙るしかなかった。
そっと子供部屋の扉を開けると、扉とカーテンは締め切られ薄暗い部屋の中で、もう三日ルイーズに付きっ切りのレナがルイーズのベッドにもたれ掛かかり疲れた様子で眠っていた。
「レナ?」
ハンスは、ルイーズを起こさない様にレナの耳元で囁いた。
「!」
あの花束以降神経質になってしまったレナは、驚いて飛び上がりそうになった。
「もぅ、驚かせないで」
「ごめん、驚かせるつもりはなかったんだけど、昼間なのに部屋をこんな薄暗くしていちゃダメだよ。薄暗い場所には良く無いものが住んでるって言うだろう?」
「そんなの聞いた事がないわ。でも、そうね、カーラに灯りを増やしてもらいましょう」
「そう言う事じゃないよ」
ハンスは、近くのカーテンと窓を開け放してしまった。窓からは庭に植えられた草花の匂いが流れ込んできた。
「ダメよ! タルメランが入ってくるわ!」
慌てて閉めようとするレナを、ハンスは抱き止めた。
「大丈夫だから!」
「ちっとも大丈夫なんかじゃないわ! 前にタルメランが城に忍び込んだ時は、エリザもジャメルも気がつかなったのよ?」
「一生、こうやって怯えて暮らすの?」
「他にどうしようもないじゃない!」
「そんな事ないよ」
ハンスは、クマのぬいぐるみを、両親の騒ぎに起きる事なく気も良さそうに眠っているルイーズの枕元に置いた。
「護ってくれるそうだよ」
「大おば様?」
「カリナ様は、魂の残りをルイーズを守る事に使うと決められた」
「大おば様、どういう事?」
レナの問いに、クマのぬいぐるみが答える事はなかった。
カリナの意識は混沌とした世界を漂っていた。
過去カリナに起きた出来事が断片的にカリナの目の前を通り過ぎて行く。
「これが走馬灯って言うものなのか?」
楽しかった事、苦しかったこと、後悔した事、次々と思い出さされた。
そして、ただ一つの出来事がカリナの目の前で止まり、去ろうとしない。
宿した我が子を、人知れず流した姿だ。
そんな姿が目の前から消えないのは、たった今、レナの出産を目の当たりにしたからに違いない。
そうだ、今なら本心を隠さず口に出来る。
「私はあの子を産むのが怖かった!」
そう恐怖だった。子供を宿す事、産む事、そして父タルメランに差し出す事、全て村で見て来た事だ。恐ろしかった。
でも。
「自分の子供がいれば、と思う事だってあったし、お前の事は忘れた事はないよ……」
若き日の自らの身体から消えようとする生命を受け止めようと、慌てて両手を伸ばした。
ズシリと両腕に重みを感じた。たとえどんな姿でも、受け止め抱きしめる。両腕で受け止めた生命を、恐る恐る見るとそれはレナの産んだ赤ん坊だった。
「エリザ、私をハンスに託しておくれ」
ルイーズが誕生したその日、クマのぬいぐるみはハンスへと手渡された。
「カリナ様はね、もう僕達と関わる事は出来ないんだ」
「そんな、まだタルメランの事だって全ては聞いてないのよ!」
タルメランへの恐怖に支配されたレナは、冷静に話を聞くとが出来なくなっていた。
その時だった。
眠っていた筈のルイーズが、声を出して笑った。
「え……」
驚いたレナがベッドの中を覗くと、ハンスが枕元に置いた筈のクマのぬいぐるみは、ルイーズのお腹の辺りにちょこんと乗っており、ルイーズは今まで見た事がない程上機嫌に笑っていた。
次話も、よろしくお願いします。
(ルイーズ可愛い❤︎)




