ある魔人の死9
……エリザ……
あの日以来毎晩ように兄の声が耳元で囁く。
しかし、これは兄ではない。
「でも、もしかしたら本当にジャメルかもしれないわよ。行ってみないと分からないじゃない」
レナの言う通り、本当のところエリザにも真偽はわかない。本当は今直ぐにでも飛んで行って、兄の無事を確かめたい。もし、死んでしまっているのなら遺体を城へ連れ帰りたい。
ジャメルとエリザにとって戻るべき場所は産まれた村ではなく、長い時間を過ごしたこの城だった。
ジャメルに何が起きたのだろうか。ここのところ、不審な事が起きすぎる。
まさか信じてはいなかったが、アミラの言った事は本当だったのかも知れない。
ベルは、ジャメルの死の可能性を真っ向から否定した。
「あの子が、そんな簡単に、私よりも先に死ぬもんですか!」
「そうですよね」
ベルの言葉に何の根拠もなかったが、エリザはそう答えた。
そうだ、兄はマルグリットと二人幸せに暮らしているのだ。
そう、思う事にしでもしければエリザは自責の念に押し潰されそうだった。
ムートルのハンスから、コサムドラへ来たいので、ジャメルかエリザをムートルへ寄越して欲しいと連絡があった。
「こんな時に、間が悪いわよハンス」
レナはため息をついたが、エリザは冷静だった。
「直ぐにムートルへ向かいます」
「ジャメルが死んだかも知れないのよ?」
レナは今にも泣きそうだ。
「本当に死んだのかも分かりません。それいに、ベル様の言う通り、あの兄がそんな簡単に死ぬとは思えません」
そうだ、あのジャメルが簡単に死ぬわけがない。
レナもアンドレもそう思った。いや、思いたかった。
「では、頼んだよエリザ」
「はい」
エリザはムートルに向かう道中で、マルグリットの家の前を通った。
どういう事?
マルグリットは家に居た。
兄さんと一緒じゃなかったの?
今直ぐにでも家に飛び込んで、マルグリットを問い詰めたい衝動に駆られたが、馬車はあっという間にマルグリットの家から遠ざかってしまった。
やはり馬車を止めるべきだったか……。そうすれば、何か少しでも分かったかもしれない。
しかし、今マルグリットの顔を見て冷静でいられるだろうか。
考えのまとまらないエリザを乗せた馬車は、ムートルへと急いだ。
マルグリットも、エリザの気配を感じていた。
ジャメルに何かあったのだろうか。いえ、もうジャメルと私は何の関係も無いの。
それに、私にあんな酷い仕打ちをしたのだ。少しくらいジャメルが苦しむのは当然よ。
マルグリットは心に住み着こうとする罪悪感を上手く追い払う事ができた。
そう、私は何も悪くない。全ては王のなさっている事よ。私には関係ない。
「何故、人間の世界を選ぶのだ」
ジャメルはまだ死んではいなかった。しかし、身体は視線一つ自分の意思で動かす事は出来なかった。
微かに息のある身体で、意識だけは自由だった。
エリーに憧れた幸せな日々。
少年だったアンドレと城で過ごした日々。ベルは本当の母の様に厳しく優しく育ててくれた。
せめて、別れの言葉を伝えたかった。
エリザ、城と姫君を頼む。
様々な想いが意識の中でふわふわと飛び交っていた。
「ほう、レナはあまり勉強が得意ではないのだな」
ジャメルの今にも消えそうな意識に、王が入り込んで来た。ジャメルの記憶が最も簡単に王に吸い取られて行く。
……やめろ……。
弱り切ったジャメルに王は油断していた。
王の中に吸い込まれたジャメルの記憶と、王の記憶が結びつきジャメルはにも、王の記憶が見えた。
……あの襲撃は、王が仕組んだ事だったのか……
「まだそんな力が残っていたのか」
これ以上、自分の記憶を奪われたくない。
ジャメルは、王の腰の剣に手を伸ばした。
「!」
ジャメルは王の剣を握り迷う事なく、その剣を自らの首に突き立てた。
自らの溢れ出る血を見た瞬間気付いた。
王は、他の住民同様、実態のない魂だけのはずだ。
「王、貴方は生きているのか……」
しかし、ジャメルの最後の言葉は、溢れ出る血に阻まれゴボゴボと音を立てただけだった。




