浸入1
昨夜はいつもより多くの酒を飲んでしまった。
霧がかかったような頭を抱えて、台所へ行くと母からの書き置きがあった。
『少し旅に出ます。四日ほどで帰ります』
ファビオは、書き置きを握ったまま何時間もそこにいた。
この音は、なんだったか。
子供の頃から何度も聞いた、間抜けな音だ。
カランカランカラン……。
玄関の呼び鈴だ。母さんが帰ってきたのか。
ファビオは急いで玄関を開けた。
「何だ。この酒臭い家は」
そこに立っていたのは、母ではなくハンスだった。
母のようにうまく煎れられたかは分らないが、はっきりしない頭のまま何とかお茶らしき物をハンスに出した。
「で、何のご用でしょう。母でしたら行方不明ですが」
「え?」
「用がないならレナ姫様の元に戻られては」
「ファビオ、だったな。頼みたい事がある」
「この酔っ払いにですか」
ファビオが更に酒お煽ろうとした時、全身が硬直したように動かなくなった。
「なっ……」
「これが魔力だ」
「!!」
「あの時は、申し訳なかった」
「……」
「私の話を聞いて欲しい」
ファビオは身体を動かそうと、躍起になるも、動く気配は微塵もない。
「身体を動かそうとするな。私の魔力を解こうとするのだ」
ファビオにはハンスの言う事が頭では全く理解できなかったが、身体が反応した。
身体を包み込み固めている何からヴェールの様な物をするりと脱ぐ、そんなイメージだった。
「!」
突然身体が自由に動き始めた。
「それが魔力だ。ファビオ、私もお前も魔人だ」
ファビオは身体中から酒が一気に抜けて行く気がした。
さっきまでハンスが座っていた場所を、ただぼんやりと見ていた。
俺が魔人だと?
しかし、あの感覚。初めてじゃなかった。ベナエシでレナを守ろうと、エミリオを殺してしまったあの時も、自分でも何が起きたのか分からない、あの感覚だった。
あれも魔力だったのか。自分が魔力を使える魔人だとするなら、両親とも魔人だったと言う事なのか。もし、本当に自分が魔人だったら、何もレナ姫を恐れる必要もない。
しかし、母はどう思うだろうか。母も魔人なのだろうか。このコサムドラに魔人はどのくらいいるのだろうか。
レナ姫が魔人だとしたら、国王も魔人なのか?
ファビオの思考は落ち着こうとせず、いっちこっちへふらふとしていた。
落ち着かせようと手にした酒は、一口飲んで吐いた。こんなにまずかっただろうか……。
『もし、魔人である事を受け入れ、魔人として生きる覚悟があるなら、ムートルで魔人として宮殿で働いて欲しい。返事は三日後、ムートルへ帰る際に立ち寄るので聞かせてくれ』
ハンスが言い残した言葉が、頭から離れなかった。
姿を消したジャメルとマルグリットは、一緒に居た。小さな馬車を用意し、二人で魔人の村に向かっていた。
「止まる事なく走り続ければ、三日で行って帰れるはず」
コサムドラは、レナとハンスの魔力があれば十分守れる。自分が居ないと分かれば、あの二人は自分達のすべき事に直ぐ気付くだろう。
馬が疲れると、宿場町で馬を購入し、疲れた馬は預けて休養させた。
近付いている。マルグリットの言う通り、あの日死んだはずの人達の気配がに近付いている。身体中を何かが這いずり回ってる様な奇妙な感覚に襲われた。
「ジャメル?」
「近付いてきましたな」
「そうね」
村で何が待っているのだ。消滅したと思っていた村は、実は存在していて知らなかったのは自分達だけではないのか……。
村の外れに馬車を停めた。ここは、ジャメルが父から教わった罠のポイントだった。父と二人で罠にかかったウサギを回収するのが好きだった。
馬車から降りると、死んだ筈の父がそこにいた。




