婚約7
「急なお願いを聞いてくださり、有難うございます」
エリザはハンスの出迎えを受けた。
「いえ、お役に立てれば良いのですが」
エリザは妙な気分に襲われていた。
ハンスの目の前のに来るまでは、何かふわふわとしたとても良い心地だった。
が、ハンスの前に立つ突然現実に襲われた。
薄いベールを剥ぎ取られた、そんな感じただ。しかし、これがいつもの自分だ。顔の筋肉に違和感を感じた。どうやら自分は先程まで微笑んでいたらしい。レナ様が見たら「気持ち悪い」と言うかも知れない。
「どうかされましたか?」
急に真顔になったエリザの姿に、ハンスがは不安になった。ここへ来たくなかったのではないだろうか。何か難しい伝言をレナから言付かっているのではないだろうか。
「では、早速仕事をしましょう。代わりの人選は、どうなっていますか?」
「一応、心に決めた人物はいるのですが、まだ依頼はしておりません」
「そうですか、それでは私の任務をについてお教えください」
表情一つ変えずに話すエリザの姿に、レナの言っていたエリザ像そのものだと思った。だとすれば、先程の微笑んでいたエリザは誰なのだろうか。
ハンナが嬉しそうに、レナの新しいドレスの手入れをしているが、レナはそれを着た自分を想像できないでいた。
「どうされました、浮かない顔をして。ミロキオの誓いが叶いましたと言うのに」
ハンナに言われて思い出した。
ベナエシの温室で花に誓った筈なのに、レナの心にはハンスに今はもうなかった。でも、もしかしてファビオの様子が分かれば、ファビオにきちんとお別れを言えれば、何かが変わるかもしれない。
ぼんやりと窓から庭を見つめていると、庭に居たカーラが手を振っているのが見えた。
「レナ様!」
カーラとエリックは魔力が目覚めてから、尚更親密になっていた。
レナの婚約の後、結婚をすると先日報告があった。
カーラの大きな声に、ハンナも窓から庭を覗いた。
「なんでしょうね、もうすぐ花嫁になるって言うのに、あんな大きな声を出して」
レナは思わず吹き出した。
「花嫁になったら大きな声にを出しちゃいけないの?」
「当たり前でございますよ。花嫁はおしとやかに微笑んでいなければ」
レナは窓から顔をだして叫んだ。
「カーラ! 花嫁は、おしとやかに微笑んでなきゃだめなんだって!」
「レナ様! 何て大きな声!」
ハンナはドレスを落としそうになった。
ファビオはずっと海の底で漂っている気分だった。
そろそろ母が食事を持ってくる頃か。このまま消えてしまいたいと思っている心に反して、ファビオの身体は空腹を訴えていた。しかし、指一つ動かすのも重い。
ファビオは這うように自分の部屋から出た。
「母さん、腹減った」
静まり返った家の中にファビオの声が響き渡った。
「母さん?」
突然、ファビオの脳裏に隣家アン親子の最後がよぎった。
「母さん!!!」
思うように動かない身体に苛立ちを感じながら、ファビオは両親の寝室に向かった。
扉を開けようと思うのだが、身体動かない。
もし、母にまで何かあったとしたら、自分のせいだ。何を酒に逃げてるんだ。母を支えなければならないのは自分だ。
もし、この扉を開けて何も起きていなければ、もう逃げたりしない。だから、何も起きないでくれ。
ファビオは扉を開けた。
エリザの訪問は、ドミニクにとっては地獄の日々となってしまった。
「ドミニク様、何でしょうね、その字は」
「ドミニク様、何でしょうね、そのお行儀は」
「ドミニク様、何でしょうね、そのお言葉使いは」
「ドミニク様、お食事の好き嫌いはいけませんよ」
無表情で静かに注意するエリザに、ドミニクは怯え始めた。
しかし、兄ブルーノは大喜びだ。
「エリザさんに来ていただいたおかげで、ドミニクが随分と王子らしく振る舞えるようになった」
「だって、あのおばさん凄く怖いんだ。ニコリともしないんだよ。ハンス兄さん、どうしてあんなおばさんを呼んだんだよ」
ドミニクがエリザから逃げ回る姿が、宮殿内の名物になってしまった。




