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第一部

 スーパーは平日の夕方くらいだからか、客は多く主婦達で賑わっていた。

 冬香もその中に混じり、キノコを探し続けている。だが、どんなキノコも時期ではないからか、値段が高めで、冬香の表情を曇らせていた。


「こ、これは高過ぎじゃないですか」


 種類豊富なキノコが盛りだくさんに詰め込まれたパックが三百円だ。他のキノコも同じくらいか、少々高めである。これではキノコ鍋自体を諦めなければいけなくなりほうだ。

 そんな中、冷凍食品に目が行った。

 春樹は今年から高校生であるため、弁当を持たせなくてはならない。であれば弁当のオカズも見ておかなくては、と冬香は思った。

 スーパーの冷凍庫のガラス扉を引く。冷気が冬香の身体に触れる。身震いするほどでもないが、寒過ぎではないかと顔をしかめた。

 すると、周囲の人々が凍え始めているのを目に入れる。冬香が冷凍庫を開けたからではない。この寒さは、非日常的なものだ。


「ギフト、オールアップ、ボディガード」


 冬香は口早に呟き、身体を守るギフトを発動させた。なんの影響であれ、ボディガードというギフトは、身体のバランスを整える守備系ギフトである。

 誰もが寒さに震え、倒れている中。

 コツコツと床を一定のリズムで踏む、ハイヒールの音がした。

 視線を音のする方へと向けると、真っ赤なドレスを着た女が冬香を見つめている。顔が整っていて、胸もあるような容姿端麗な女だ。

 着る洋服にはセンスがないものの、他は抜群な女である。


「……あなたが、日下部 冬香かしら」

「そうですが、何の用ですか」


 冬香はなるべく事を大きくしたくなかった。この女が帰還者であることは確実であり、もし戦闘になれば一般人を巻き込むことになる。

 静かに冬香は相手を睨みつけた。


「怖い怖い。そんな顔して睨まないでよ。私は別にあなたを殺しに来たわけでもないわ」

「では、なぜこのようなことを?」


 冬香の視線は周囲の倒れている人に向いている。

 相手の女は周囲を見渡して、クスリと微笑んだ。


「ああ、そういえば、ここの世界の人間って寒さにも暑さにも弱いのよねぇ。情けないったらありゃぁしないわね」

「話はそれだけですか」


 女は何かを思い出したかのように、微笑んで冬香に近づいた。


「あなたのお兄さん、もう死んでるかもねぇ」


 冬香の耳元で囁く。

 嫌味ったらしく、汚らわしい声だ。

 通り過ぎた女を睨みつけ、冬香は耳を洋服の袖で拭いた。


「あら、失礼ね。丁寧に教えてあげたというのに」

「そうですか。春樹が殺されたと」


 意外にも冷静な冬香に、女は苛立ちを感じたように表情を変える。

 どうも、冬香は春樹のことは気にせずに、ひたすら耳元だけを拭いていた。


「あなた、実の兄が殺されて何とも思わないの?」


 冬香は瞳を細めて唇を動かす。


「殺される? 春樹が? あなた、中身が空っぽな人形じゃないですよね? あの男、春樹はきっと、世界征服するより倒すのが難しい相手だと思いますよ」

「世界征服より、ねぇ」


 女は笑いながら両手を広げた。

 その瞬間、強烈な寒波が店内を襲い、壁や棚などが凍りつき始める。まるで、冷凍庫そのものだ。

 倒れていた人々のうち、一人の女性を冬香は見つめた。その女性の見た目は若く、二十代くらいだ。大きいお腹を抱えながら、必死に意識を保とうとしている。

 冬香は女性に、そっと着ていた上着をかけた。

 その動作を見ていた女が、冬香に問いかける。


「あら、この寒さでその人をまもれると思っているの? 時間的には10分くらいで死ぬのよ」


 何がおかしいのか、女は口元に手を当てて笑っていた。まるで人の命などオモチャに過ぎない。言葉では表してないが、表情で考えていることが丸わかりだ。

 そんな女を前に、冬香は冷静に聞いた。


「……帰還者は、あなた一人ですか?」

「もちろん。あんたみたいな毛も生えてないガキなんざ、あたしだけで充分よ」

「そうですか」


 冬香はニコリと笑うと、片手を女に向けて掲げる。


「あなた一人なら、1分もかからなそうですね」


 女の眉根がピクリと動いた。


「なんだと?」

「今すぐに楽にしてあげますよ」


 冬香はオールアップを発動させる。右手には魔力が灯り、青い光が店内に散らばった。その光が冬香の左手に灯る。


「ギフトオールアップ・水龍逆鱗」


 ギフトの詠唱により、店内の氷が一瞬にして溶け、蛇のように長い水の塊となった。集まった水分は全て竜の形を成し、水竜は大地が震えるほどの咆哮を放つ。

 女は逃げるわけでも、怯えるわけでもなく、ただ突っ立っている。


「……同じく魔法ってわけね」

「あなたを倒すのには、充分過ぎるギフトです」


 静かに長く睨み合う。だが実際は一秒にも満たない。

 最初に仕掛けたのは、冬香だった。

 左手を女に向けて掲げると、水竜が冬香の指示に従って飛びかかる。

 勢いよく飛びかかった竜に、女も片手を掲げた。


「フリーズ・アイスッ!」


 女の手に触れたもの全てが凍っていく。空気中の酸素すらも凍らせ、まるで女の手から氷が流れてくるようだ。

 水竜が女に襲いかかる。

 女は笑みを溢しながら、水竜の攻撃を避けた。

 水竜は地面に激突するが、バケツをひっくり返したかのような水飛沫を上げ、再び宙に水竜は現れる。

 この水竜は冬香を倒さない限り、消えない魔法だ。戦いで勝つのなら、冬香から倒すのがセオリーである。

 しかし、女は攻撃を避けた今、冬香を襲う気配はない。


「あんたに冥土の土産として教えといてあげるわ。あたしはエリー。この社会の闇を断つ者の名よ!」

「……」


 冬香は無言で、再び水竜に指示を下した。

 社会の闇とか言ったが、なんのことだかわからない。

 だが、今は全力でエリーを倒すことに徹するだけだ。

 水竜がエリーに迫る。まるで滝のような速さで呑み込もうとしていた。

 その水竜にエリーは片手だけ掲げ、微笑んだ。


「フリーズ・アクア!」


 水竜の頭部に、エリーは片手で触れた。水面に手を当てるかのような繊細さだ。

 魔法が唱えられると、水竜の身体が凍てつき、やがて水竜の身体は水素爆発した。

 周囲に煙が舞い上がり、エリーの姿が視界から消える。

 幸い、赤のドレスという派手な服装のおかげで、完全に見逃してはいなかった。

 だが、現れたエリーは全身に氷の鎧を纏い、まるで王国騎士団のような格好をして現れる。

 本当に派手という一言につきる人物だ。


「水を竜にして攻撃する魔法、あたしの世界でも見たわ。氷を操るあたしには効かないのよ。水を氷にしてあげるからね。あんたの水竜も同じ。今はあたしの鎧となってるわ!」

「なるほど。で、それがどうかしましたか?」


 冬香の眼光が鋭くなる。

 エリーは大笑いしながら、冬香をまるで惨めな生き物を見るような目つきで見つめた。


「バカね、あんたみたいな直情型はやりやすくて仕方ないわ! 本当はあんたの可愛いペットちゃんを失って悔しいくせに!」

「悔しい?」


 バカにしてくるエリーに冬香は鼻で笑い、掲げていた左手を下ろす。それは戦意喪失の現れだった。

 だが、冬香の態度、言動には戦意喪失は見られない。


「あなた、もしかして他人の物を奪って喜びを感じるタイプですよね?」

「もちろんよ! 他人の物を奪ったら、欲しい物が手に入る上に、相手の悔しそうな顔が見れるのよッ! 最ッ高じゃないッ!」


 何が最高なのか、全くわからなかった冬香は、潮時だと思い、先ほど上着をかけた女性のもとに近づいた。

 しゃがみ込んで、女の人の口元に耳を当てると、まだ息はある。どうやら時間的にもまだ助かるようだ。

 そんな冬香の行動に、違和感を覚えたエリーは瞳を細くした。


「……なんのつもり。あんた、もう負ける気満々なの? それとも、その女性だけ助けてくださいって、懇願でもするつもり? あんた、余程のお人好しなの?」


 機嫌が悪いのか、エリーの声は低い。

 お人好しと言われて蘇るのは春樹の姿だ。今までの彼の人生はお人好しという以外は表現できない。

 高校入試試験当日に、小学生が転んでるのを見て手当したり、老人の荷物を持ったり、妊婦の介抱をしたりで、二回も試験を受けられない、お人好し過ぎるバカ春樹。

 兄妹だから似てきたのかなと思う反面、それは嫌だなと冬香は感じた。

 ニコリと笑い、冬香はエリーに答える。


「では、あなたはどういうおつもりなんですか?」

「はぁっ!?」


 冬香は微笑みながら、口を動かした。


「あなた、鎧を纏って自信満々なんでしょうけど、そこから動けますか?」

「何をバカな……ッ!?」


 エリーは自身の足が動かないのに、ようやく気がついたようだ。徐々に顔色が悪くなっていく。

 冬香は立ち上がって答えた。


「あなた、ただの水で水竜を召喚したんだと思いましたか? 答えはノーです。水竜には私の魔力が入ってるんですよ。それを体内に入れたら、どうなるか」


 帰還者が現れたことで新たに確認された病。それは魔力膨張。他人の魔力を流されることによって、自分の魔力が安定せず、さらには体内が拒否反応を起こす。

 現在、エリーが動けないのは魔力膨張が原因だからだ。


「あなたは水分に触れることで、凍らせているわせではない。あなたの場合、体内の魔力で、含んだ水分を放出することによって周囲の空気を凍らせている。だとすれば水竜を凍らせるのには、一度水分の所有物をあなたのものにしなければならない。であれば、あなたは水竜に練り込まれてる魔力、水分共に体内に取り込むだろうと、考えていました」

「……く、くそっ……ガキがッ!」


 徐々に周囲の空気が澄み始めた。凍っていた店内の空気の温度が上昇したのだろう。

 エリーに近づき、冬香は微笑んだ。


「じきに言葉も喋れなくなるでしょう。三日は寝たきりになるでしょうから、そのときに詳しいことは聞かせてもらいますよ」


 笑顔で言った冬香は、エリーからは悪魔にしか見えなかった。

 言葉が詰まり、意識が遠のく。

 エリーの纏っていた鎧が音を立てて崩れる。

 そして、エリーの身体が倒れた。

 冬香は一般人に紛れる為に、倒れたフリをして携帯電話を使用し、亜希子にメッセージを残す。

 パトカーが到着したのは、数分後だった。

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