第三部
赤根病院は大学病院ほどの大きさはなく、診療院などの小規模な病院だ。一般の人間ならば素通りしてしまうような場所にあるが、ここには連日多くの客が足を運ぶ。その理由は院長である不知火 総司が、どんな難病でも治してしまうからである。他の病院で治療不可能と下した病であっても総司の手にかかれば、すぐに回復するのだ。
三島が聞いたのは、総司が治せる病気は己で手術し、癌などの回復にドナーが必要になった患者はギフトを扱うだとか。
実際には極一部の人間にしかギフトは見せていないらしいが、限界を迎えた民間人には惜しみなく使うようだ。
客が押し寄せる赤根病院を目尻に、路上に車を停車させた三島は列の合間を掻き分けて、診療所に入った。
「列を崩されては他のお客様に……って待ってください!」
受付の若い女の子が三島を止める。だが、三島は止まることなく、診療室の扉を開いた。
中には白髪の男、総司が患者に親身になって話を聞いている様子だ。
総司がギロリと三島を睨みつける。
「君、いきなり入ってくるとは失礼じゃないか」
息を切らした三島は総司に、いきなり頭を下げた。直角のお辞儀に総司は目を見開き、三島から視線を逸らす。
三島を驚いて見ていた患者の肩を叩き、総司は柔らかく言った。
「ごめんね、ちょっと急患のようだから、少しだけ席を外してもらってもいいかな?」
「あ、はい」
頭を上げると、若い女性は頷いて席を立つ。とくに邪険な顔もせずに女性は部屋を出た。
「で、何の用かね。これでも僕は忙しいんだが」
三島を見てどう判断したのか不明だったが、そんなの気にせずに三島は単刀直入に言い放つ。
「すいません、実は冬香さんと兵藤主任と連絡が取れなくなりまして……」
「なるほど。それで春樹君に頼りにきたわけか」
総司は肩の力を抜いて、三島を見据えた。
最初、三島を知らない様子だったが、すぐに白花警察署の関係者だったことを理解する。
部屋の扉がノックされ、楓が入ってきた。
「お父さん、春樹君は眠ったまま? ……って失礼しました」
楓は三島を見て患者だと思ったようだ。
だが、総司は首を横に振り、三島にキツく言い放った。
「……僕は昔っから思っていたが、君は一警官なのだろう? なのに民間人であり、なおかつまだ高校生の春樹君や中学生の冬香ちゃんに頼りっぱなしなのは、どうなんだ」
「は、はい……」
総司の厳しい口調に、楓も肩に力を入れる。
「今がどういう事態であれ、春樹君に会わせるわけにはいかない。彼にも休養は必要なんだ。悪いが、自分で解決できぬようでは、君を一人の警部として認めない。帰ってくれ」
「で、ですがッ!」
だが今のこの状況で三島は、一人では何もすることができない。席を立つ三島。
だが、総司も立ち上がり、叫ぶように言い放った。
「言っただろうッ! 春樹君は高校生だッ! 君は社会人として、帰還者として情けなくないのかッ! 強いとは言え、まだ未成年の力を借りるということが、どういうことかわかってるのかッ!」
診療所全体に響くのではないかと思うほどの怒気の満ちた声。三島の身体全体が震え、ようやく自分が、いや自分達が未成年の力を酷使していたことを実感したのか、俯いた。
再びノックされ、扉が開けられる。
そこには老婆が立っていた。
「どうしたのかね、不知火君」
「あ、すいません」
総司はニコリと老婆に微笑むと、三島の耳元で言い放つ。
「……私は忙しい。悪いが他をあたってくれ」
「すいませんでした……」
三島は診療所を後にして、車に乗り込んだ。
運転席に腰をかけると、一人で思考に走った。
当初、春樹達を目にしたときは、こんな高校生に使われることを思い出したら、ただの遊びじゃないんだぞ、と言いたかったのだ。それが今は、自分達がそんな春樹達の力を借りるはめになっている。これは警察全体の失態だ。
三島は考え直し、一刻も早く解決する為に動き出そうと決心した。
一先ず、もう一度倉庫街の調査をする為に車を走らせる。
三島の車が過ぎ去り、午前中最後の患者を見た総司は溜息を深く吐いた。
すると楓が心配そうな顔をして近づいてくる。
「お父さん、あの人は何なの?」
「……楓、知らない方がいいこともある。僕は君に酷い生活を送ってもらいたくはない。これ以上聞かないでくれるかな」
「だけど、春樹君は……」
暗い顔をした楓は言い渋った。
春樹は未だ眠ったままだ。原因は非常に強い睡眠魔法がかけられている為である。どんな魔法であれ、総司には解く自信があったのだが、今回ばかりはお手上げだった。
他の人間が近づかないようにしてあるのだが、春樹に近づいた中で総司以上の魔法を使えるのは一人しか思い当たらない。
そして、それが行方不明となると胸が騒つく。
何もなければいいが……。
総司は春樹の病室に足を向かせた。
室内にてただ一人、静かに寝息を立てる春樹がベットで横たわる。
遅れて楓が部屋に入ってきた。
「お父さん……。春樹君、この前までは元気だったのに、なんで寝たきりなの」
悲しそうに言った楓。息や脈があることから、脳などに影響があるわけではない。無論、身体機能は停止していないのだ。
総司は冬香が何かをしたのだと思っているが、悪意があって寝たきりにしたわけではない筈だ。
だが、渋谷の爆破事件を知った今、三島だけで解決できるとは思っていなかった。それに冬香や亜希子の身にも何かあったのだとすれば、事件は解決どころか最悪のシナリオに進んでいるとさえ思える。
総司は片手を春樹の額にかざした。
緑色の光が総司の手を包み込む。やがて、光は春樹の額から体内へと吸い込まれるように入っていく。
「お、お父さん……?」
「楓。今は春樹君の面倒は見なくていい。楓は楓のすべきことをしなさい」
「私の、すべきこと?」
「ああ」
春樹が心配で看病をする楓に、総司は言った。心配なのはわかるが、つきっきりでは楓の生活にも支障が出るのだ。親として、総司は楓に言い切った。
すると、楓は力強く頷く。
「わかった」
それだけ言い残し、楓は病室を出た。その表情はとても力強いものだ。
総司は楓が出たのを確認し、春樹に向き直った。
回復系ギフトでもってしても、春樹の眠りは解けない。
溜息を深く吐き、総司は独り言を呟いた。
「……やはり僕もまた、君に頼ろうとしている大人の一人なのか。申し訳ない……」
赤根診療所には、総司の呟きが響く。
静まり返った診療所で、ただ一人総司は自分の不甲斐なさに拳を震わせていた。
アキュラは白花警察署に出向いていた。
夕方にもなると、警察は入れ替わりなのか。多くの人間が挨拶をしながら出たり入ったりしていた。
ありふれた光景の中で、一際目立つ美少女が警察ともめているのを発見する。赤毛の髪の毛をした、愛嬌のある可愛らしい顔の女の子だ。
彼女はなにやら入り口で訴えているようだった。アキュラは聞き耳をたてて、会話を聞き取る。
「なんで、入れてくれないんですか! 私は三島っていう人に用事があるだけなんですっ!」
「そうは言っても、今はうちも非常事態で一般人を入れるわけにはいかないんだ」
「連絡先だけでも教えてくれないんですか!」
「警官も人間だ。プライバシーの一つや二つある。君にそんな彼の私生活を邪魔する権利などない。帰るんだ!」
警官に肩を突き飛ばされる女の子。
彼女は尻餅を着いたが、負けじと警官を睨みつける。
勇ましい姿にアキュラは益々惹かれていった。そんな彼が彼女の為に何かをしようとするのは、人間として男として至極当然のことだ。
アキュラは黒いパーカーのフードを被り、ポケットに両手を突っ込んだまま入り口に向かった。
すると、今の今まで女の子を説得していた警官はアキュラを視界に入れると、険しい顔つきになる。
「そこの君。一体うちに何の用だ」
アキュラは呼び止められるが、歩行を止めない。まっすぐにただ歩き、警官の前へとたどり着くと、足を止めた。
警官の方が身長はやや高め。アキュラは静かに警官を睨みつける。
「何の用か。女の子を助けようとするのに、一体何の理由がいる」
「助ける? 君、何言ってるんだ? 今、一般人を署に出入りさせる余裕などないことは知ってるだろッ! 世間でのできごとを知らないわけじゃあるまいし」
「世間での出来事?」
アキュラはフードを降ろし、警官にその容姿を露わにさせた。
手元に青い炎を灯し、アキュラは警官の顔を鷲掴みにする。
「それは俺が行った正義の鉄槌のことか? そんなことで出入り禁止にするとは、よっぽどお前ら警察のセキュリティが甘いと見える」
静かに囁き、アキュラは警官の顔を掴む力を強めた。
警官は目を剥き、驚きのあまり声が出ないようだ。
女の子は腰を抜かし、怯えていた。
女の子には申し訳ないが、アキュラには最早関係ない。正義の鉄槌を悪の仕業と言いたげな警官を許すわけにはいかなかった。
アキュラは力を強め、叫んだ。
「消えろ、ゴミがッ!」
「ひ、ひぃっ……」
瞬間、男の顔が吹き飛ぶ。
血飛沫が署の入り口に噴水のように飛び上がる。
頭部の失った遺体はゆっくりと後方に倒れ、動くことはない。
女の子は全身を震わせ、やがてあまりのショックに意識を失ったようだ。
アキュラはカッとなってしまった自分に、情けないと思いながらも、女の子が意識を失ったのは良かったと思っていた。
この子をどうするか。アキュラは亜希子、冬香の二人を拉致し、いずれかは無理矢理犯そうと考えていた。
それにストックしてもアキュラの性欲は尽きない。そう思うと笑みが零れる。
女の子を連れ帰ろうとした時、発砲音が響いた。
そちらに視線を向けると、そこには三島が拳銃を向けて、存在していた。
アキュラの身体を銃弾はすり抜ける。
「その子を離せ」
三島は冷静に言い放った。アキュラが抱えている女の子は、総司の娘である楓だと三島は気付いたのだ。
だが、アキュラは微笑みながら近づいてくる。
「この女が欲しいのか? お前らも随分溜まってるんだな。生憎だが、渡しはしない」
「お前のものじゃない。その子は僕の知り合いなんだ。それがなくたってこのまま逃すわけにはいかない」
「そうか」
ニヤリとアキュラは微笑んだ。
地面を片足で踏む。
地割れが起き、コンクリートの床が簡単に割れる。
三島は後方に飛び、ヒビを避けた。
「拳銃一丁で俺に勝てると思ってるのか?」
三島はアキュラに言われ、拳銃を手放す。
先刻、総司に言われたことを思い出したのだ。子供に頼ってはいられない。自分の力で戦わなければ警官として、職務を全うできていないことを意味するのだ。
静かに拳を構え、三島は息を整えた。
「……僕を甘く見ていたら、後悔するぞ!」
三島は走り出す。
勢い良く飛び出し、拳を放つ。
だが、アキュラ目の前から消えた。
「そんなショボいパンチに当たる奴はいないぞ」
三島は後方から攻撃が来るのを感じる。
その瞬間に、ギフトを発動させた。
するとアキュラの攻撃も空振りに終わる。
目を丸くしたアキュラは周囲に気配を研ぎ覚ませた。
すると、そこには多勢の警官が拳銃を構えているのを目にする。
いつの間にか増援を呼ばれたようだった。
「どこに消えたぁッ!」
「ここだッ!」
三島はアキュラの真下から現れる。
素早い動きではない。だが、気配も姿も捉えられなかったのだ。
アキュラは奥歯を噛み締めた。
「食らうかッ!」
するとふわりとアキュラの顔を拳はすり抜ける。
まるで雲のように手応えがない。
しかし、三島は数少ない手合わせでアキュラがどういうタイプのギフトを持っているか理解していたのだ。
身体の一部から青い炎を扱うのではなく、アキュラは身体全体を青い炎で、作っている。
では実体に触れるにはどうしたらいいか。
アキュラは三島の手を鷲掴みにした。
こめかみがアキュラの握力によって痛めつけられる。
「死ね! 悪の根源めッ!」
三島は痛みに耐えながら、アキュラの手首を掴んだ。
その時、三島は力強く叫ぶ。
「ミニマムッ!」
アキュラの身体が一瞬にして子供のように小さくなった。
小さいアキュラの手首を力強く握り締め、三島は背負い投げを放つ。
宙に浮くアキュラ。
「な、なんだとッ!?」
「セェェェェェェイッ!」
アキュラは背中からコンクリートに叩きつけられた。
「ぐはああああっ!」
「まだだッ!」
三島は再び、アキュラの手首を握ろうとしたが、すり抜ける。
アキュラは鬼のような顔して、立ち上がった。




