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プロローグ

 東京都内北区にある、閑静な住宅街の隅にある小さな公園。夜闇に晒された公園には、一人の小学生がベンチに横たわっていた。

 彼の名前は二階堂(にかいどう) (すばる)。藍色のパーカーに迷彩柄のハーフパンツを履いた小学六年生だ。


 時刻は間も無く二十一時を回るが、三月下旬の寒さに少年は震えていた。

 子供がこの時間に外出しているのは極めて珍しいが、人目につかないこの場所では、その珍しさは相殺されている。

 彼がこの時間に外出しているのは、友達と遊んでいたというわけでも、昆虫採集を一人で楽しんでいたわけでもない。

 昴は涙を浮かべた瞳で、雲の奥で光り続ける月を見つめた。

 離婚の危機。昴の両親は共働きである。それを理由に父は女遊び、母は男遊びと昴のことを放置した教育だ。

 両親が帰宅したことを喜ばしく思った昴だったが、その喜びはすぐに消えることとなる。

 昴の父と母は、帰宅して顔をあわせるなり、この前どこどこで、男と遊んでいただろう。と口論になり、また母も反撃に出た。喧嘩はヒートアップしていき、怒号が飛び散り、手が出る喧嘩にまで発展。

 小学校六年生の昴には止めることもできず、両親のどっちもどっちな素行に呆れて、家を出たのだ。


「人間って勝手だなぁ」


 昴は独り言を呟いた。その声音は、溜息にも似ている。

 家庭環境が悪いのは、昔からではない。それこそ、昴が小さい頃は仲が良かった。だが、何かを境にして二人は急に夜遊び始めたのだ。

 そんな二人に囲まれ、悲しみや憎しみをストレスとして貯めていたら、本来は我慢の限界が来ていても変ではない。

 しかし、昴にはストレス発散方法があった。

 たまたま持ち合わせていた携帯電話を開き、昴は、ある者へと連絡をする。

 数回コール音が響き、彼は出た。


「おぅ、俺だけどよ。今から、いつもの公園に来いよ」


 不良のように尖った声を出し、ある者を現在地へと呼び寄せる。すると、ある者から声が返ってきた。


『……そこに、他の二人はいないの?』

「いたらなんだよ。俺一人だから安心しろよ」


 他の二人とは、昴の同級生である者達のことだ。

 電話の向こう側にいる者は、一秒黙り込み答えた。


『わかった。すぐに行くよ』


 それだけ言い残し、電話は切れる。

 昴は彼が今から来るという報せを受け、ベンチから立ち上がった。そのままファイティングポーズをとり、見えない敵に向かって拳を走らせる。

 ニヤリと口角を釣り上げ、不敵な笑みをこぼす。

 彼は学校で一番の強者だった。教師が子供を拳骨で制圧できなくなってきた昨今、子供同士のイジメが増えている。それを良いことに、昴の憂さ晴らし、もといストレス発散はイジメをすることだった。

 呼び出したのは、同い年の京島(きょうじま) 貴裕(たかひろ)だ。弱々しい体躯をバカにしたところ、反論したのが気に食わなくてイジメの標的にした男だ。

 貴裕の家から公園までは五分とかからない。

 昴は、公園にやってきたらすぐに殴りまくってやると息を巻いていた。ストレスを吐き捨てようとしていた為か、寒さは既に消えている。

 やがて、公園の入り口に足音が聞こえた。


「おぅ、待ってたぜ。(しつけ)の時間だ」


 昴は暴力行為を躾と呼んでいる。

 しかし、昴の前にいる筈の貴裕は、随分と背が高かった。

 こいつは貴裕じゃない。

 多分、貴裕の親だろう。きっと貴裕がビビって親に相談したに違いない。

 そう判断した昴は歯軋りをたて、貴裕の父親と思われる人物を睨んだ。


「……んだよ、親が出てくるとは随分と過保護だな」


 既に戦意は失せていた。負の感情が心を支配している昴にも理性はある。大人と喧嘩しても勝てないし、普通に説教されるのもゴメンだ。

 ここは逃げよう、と考えていた。


「悪かったな」


 それだけ言い残し、昴は踵を返す。

 だが、男は一言だけ呟いた。


「俺は親じゃない。だが、お前に用がある」


 昴は足を止め、もう一度振り返る。

 その時、昴の幼い右腕に何かが触れた。そう思った瞬間、その右腕に激痛が走る。まるで消火器が腕に乗ったかのような痛みだ。

 突然の痛みに喉が詰まり、昴は尻餅をついた。


「う、うわぁぁぁっ!」


 大声をあげ、昴は目の前の男を見上げる。男の手には五十センチほどの長さの棒を握っていた。

 昴はこの棒で右腕を叩かれたのだ。


「叫ぶなよ。これは誰かがお前に対する恨みなんだよ。これしきで終わると思うなよ」

「ひ、ひぃっ!」


 顔面が青ざめた昴。あまりの恐怖に足が震え、立ち上がって逃げることもできなかった。瞳には消えていた筈の涙が浮かぶ。

 男は先刻の昴のように微笑むわけでもなく、ただ無表情に近づく。

 再度叫びをあげようとした。だが、昴の口元は固く閉じていたのだ。まるで幽霊に抑えつけられているかのようである。


「君は今の社会を作り上げた悪の根底。これから先の未来、君のような輩に未来を預けては、摘まれる芽が多過ぎる。引きこもりという言葉を知っているかい? 大抵の引きこもりは君のような人間が、引きこもりになるような繊細な人に暴力を振るい、二度と立ち上がれなくなるまで地位を奪う行為なんだ」


 男は棒を振り上げ、昴の右腕に再び叩きつけた。激痛はピークに達し、声の出ない叫びをあげ、昴はその場で痛みに悶絶する。

 冷ややかな視線を向け、男は昴の頭を踏み、地面に押し付けた。


「未来では国を動かしているかもしれない。その人の運命の人は結婚できずに死ぬかもしれない。もしかしたら、画期的な発明をしたかもしれない。そういう人達の才能を潰すのが君達だ。俺は決して君達のような罪人を許さない」

「む、むぐっ!」


 必死に抵抗しようにも、昴の右腕からは感覚が消えている。幼い骨が折れているのだ。

 男は再び棒を振り上げる。

 昴は瞼を閉じた。

 痛みが身体中に走る。何度も何度も棒で叩かれ、どこが攻撃されているのかも、わからなかった。

 攻撃が一度止むが、昴の意識は朦朧としている。既に逃げる気力はなかった。


「四肢の骨が折れた。これで君は逃げることはできない。さぁ、残す言葉はないか?」


 男の問いに、昴の口から本音が漏れる。


「……た、助けて……く、ください……」


 その言葉を聞き、男は無表情だったが、最高の笑みをこぼした。その笑顔は天使にも似た可愛さがある。


「わかった。助けてやろう」

「っ!」


 昴は目を見開いた。救いの言葉を口にした男。まだ小学生の昴には、正常な思考を保つことができていなかった。

 男が示す、救済。それは――――――――。


「シンセス・ブレイド」


 男の前に現れた剣。ゲームなどで見るような豪華な宝飾の施された剣だ。その柄を握り、男は刃に手を添える。

 すると、刃を青い炎が包む。ガスコンロから出るような綺麗な青に、昴は息を飲み込んだ。


 助けて、もらえ…………る?


 昴の意識が消えそうだった。

 男は微笑みながら、剣を振るう。

 刃は、四肢全てがあらぬ方向に曲がった昴の心臓に向かっている。

 青い炎を纏う刃が迫るのを見て、昴は意識を消した。

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