ここは宝箱
よっちゃんのお店「シュガーハウス」は赤い屋根の二階建てのお店だった。
ちょっと古めかしい外観だけのクリーム色の壁と絵本から飛び出したような深緑の扉が可愛らしい。
前のオーナーが自らペンキを塗ったり扉を付け替えたりしたそうだ。
二階は製作部屋として与えられており、足踏み式ミシンとコンピュータミシンが揃っている。
「こんにちは渚さん。」
「愛美さん!こんにちはー。」
階段の前で靴を脱ぎスリッパを履き二階にあがると、ショートカットの女性がミシンに向かっていた。
女性の作業が一段落したのを見計らって声をかけると女性はぱっと振り返ってにこっと笑った。
本田 渚さん、(旧姓田中 渚さん)は高校の被服科に進み、服飾学校を卒業し、パターンナーとしても働いたことのある私より断然腕が良くて知識も豊富な女性である。
結婚を機に旦那様の働く県外へと嫁ぐ事が決まった彼女から、私は会社が休みな土日に手ほどきを受けている。
「この生地は生産中止になりかけたんだけど、問い合わせが多くて色数を減らして今も生産されているの。」
真っ白な生地はつるりとしているのに光沢が少なく、指のひっかかりのない上品な不思議な感触だった。
「この生地で自分のドレスを作っているの。外国からアンティークレースも取り寄せたのよ。」
「自分のウエディングドレスを自分で作れるのって素敵ですね。」
「ありがとう。」
はにかんだ笑顔を見せる渚さんは少女のように可憐で軽やかだった。
「初めてこのお部屋に入った時、ここは宝箱だ、って思ったの。」
渚さんは昔の風景を思い出すかのように目を閉じた。
「カラフルな布。アンティークミシン。レースにチュール。生産中止の糸もたくさんあって、本当に素敵だと思ったの。」
渚さんは目を開いてにこっと微笑んだ。
「ここを紹介してくれた藤真くんには本当に感謝しているわ。」
「とまくんが?」
「ええ。藤真くんは私の兄と同級生だったの。よく遊んでもらったし、進路に悩んでいた時に背中を押してくれたのよ。」
「そうなんですか。」
確かにとまくんは親分肌というか、つい頼りたくなるような人だ。
それは昔から変わらないのかと思うと少し微笑んでしまった。
「私、初恋は藤真くんなのよ。」
「え、そうなんですか。」
私は驚きで声がひっくり返ってしまった。
渚さんはくすっと笑ってナイショよ、と唇に人差し指をあてた。
「でも藤真くんには告白できなかったの。」
「どうして?」
「藤真くんの好きな人に気づいてしまったから。」
「とまくんの、好きな人。」
「兄よ。」
私ははっと息を呑んだ。
思春期真っ盛りの初恋の相手が自分の兄を好きだなんてトラウマになっても仕方ないような内容だ。
「すごくショックだったけど、少しだけ嬉しかったの。」
「どうしてですか?」
「藤真くんを他の女に取られることはないんだ、って思えたから。」
渚さんは少しだけ痛そうな顔をして笑った。
その笑顔はタンポポの綿毛みたいに吹いたら消えてしまいそうな儚さがあった。
とまくんの名前と、渚さんが誰か、ということがわかりました。
初恋の人にどうがんばっても振り向いてもらえないのは悲しいですよね。