お茶しよーよー
イベント終了時間よりもかなり早い時間帯のため更衣室はさほど混んでいなかった。
それでも私が更衣室に入ると着替え中の女性は何人かいて、その中の数名がぎょっとしたような目で私を見た。
私は曖昧に微笑んで着替えスペースをキープするとキャリーから着替えを取り出し、着ていた制服を脱いで圧縮袋に入れた。
ウィッグをネットに包み、ローファーを箱の中に仕舞えばあっというまに着替え完了。
ウィッグ内で汗で濡れぐちゃぐちゃになった髪をさっと手櫛で整えれば冷房の風が熱を取り去って行く。
メイク落としシートで赤みを消しているリップとつり目になるように施したアイメイクだけを落とそうかと思ったがこの肌色を作るために何重にもファンデーションを重ねていることを思い出して勢いよく化粧をすべて落とした。
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薄化粧にメガネをかけ、肩までの髪を左耳の下でシュシュでまとめる。
更衣室を出れば先ほどまでの自信満々な私とはさよなら。
いつもの地味に会社勤めをしている私よこんにちは。
正面から歩いてくる緑髪ツインテールの少女に声をかけようと手をあげるが少女はさらりと私の事を無視して歩き去った。
そりゃあそうだ。
彼女、ミクさんが知っているのは男装コスプレイヤーのアイであって地味な私ではない。
私がむなしくあげた手の行き場を求めていると、遠くからぶんぶんと手を振りながら近づいてくる人影が見えた。
「お疲れさまー、アイちゃん。」
「ありがとうよっちゃん。」
「荷物重いでしょ?持つよー。」
「あ、ありがとう。」
よっちゃんは私の左手からキャリーバッグを引き取るところころと転がしながら出口に進み始めた。
「アイちゃん車できたのー?」
「そうだよ。よっちゃんも?」
「ううんー、僕電車!乗せてもらっていいー?」
「いい、けど。」
「お茶しよーよー。」
「わかった」
マイペースに人を巻き込んでいくよっちゃんは久しぶりに会ったのに何も変わっていなくて、すこし気持ちが落ち着いた。
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イナバコーヒーはコーヒーという名前を掲げている割には紅茶の種類も多く、アフター(イベント後にレイヤーで集まって遊びに行くこと)の集合場所としてよく利用させてもらっている。
「自家製サンドイッチ美味しいねー。」
よっちゃんはハムスターのようにほっぺたいっぱいに野菜サンドイッチを頬張ってにこにこと微笑んだ。
私はサンドイッチに夢中になっている間にオレンジペコのストレートティーを一口飲んでよっちゃんの容姿をすみずみまで観察した。
日に透かせばほんのりと茶色い髪。
猫のように少しだけつり上がったアーモンド形の瞳。
へにゃりと眉尻の下がった細くも太くもない眉。
べっ甲色の縁が太いメガネ。
健康的に焼けているわけでも、真っ白いわけでもない肌。
ピアニストみたいに長くて細い指。
ジーパンに水色のストライプシャツと紺色のジャケット。
一つずつのパーツはいたって平凡なのにそのパーツは恐ろしく丁寧に整えられている。
つまりよっちゃんはかなりのイケメンに変身していたのであった。
そのおかげか近くに座っている女性達がよっちゃんをちらちらと見てはひそひそと黄色い声をあげている。
「よっちゃんよく私って気づいたね。」
「アイちゃん変わってないもん。わかるよー。」
「あー、今はまあちゃんでいいよ。」
私が言うとよっちゃんは嬉しそうににこーっと笑った。
子犬ってこんなかんじかな。と失礼極まりないことを考える。
「久しぶりだよねー。僕が6歳で引っ越したからー、20年ちょっとぶり?」
正確には21年ぶりである。
お隣の家のよっちゃんが引っ越すとわかった日に大泣きして私も一緒に行く!と駄々をこねて母を困らせたのも覚えている。
そしてここで年齢が露呈したので言ってしまうが私は29歳。よっちゃんは2つ下で今年27歳である。
「皆元気?」
「うちは元気よ。弟も3年前に結婚して今は一児のパパ。」
「えー!泣き虫ゆうくんがパパなのー?」
雄哉は私より4歳年下の25歳。
大学卒業とともにでき婚で結婚したやんちゃな弟である。
ちなみや父さんと母さんは弟に全く似ていない天使のような孫娘にデレデレ。
「そっかー。もう僕もいい年だねー。」
へらっと笑う姿はどう見ても大学生、もしくは大学卒業したてにしか見えない若さを保っていた。
羨ましい限りだ。
「まあちゃんは独身?」
「う、ん。まあね。」
よっちゃんは痛い所を直球どストライクでぶっさしてきた。
私の心はもう瀕死だ。
「ちょうどよかった!」
何がちょうど良いのかこんこんと問いつめたい私の口はよっちゃんの次の言葉によって塞がれてしまった。
よっちゃんの容姿の説明をいれました。
ちなみによっちゃんの高校の時のあだなは「ひだまり王子」です。