07 黒い蝶
ひらり、ひらりと花から花へ甘くて美味しい蜜を求めて黒い羽の蝶が飛ぶ。
ベルベットのような艶やかで滑らかな羽は、孔雀の羽を思わせる鮮やかな模様が描かれていた。
近くにも数匹、蜜を吸う蝶の姿がある。
それを見つけた旅人は、幸福の印だとばかりに微笑んで一匹の蝶を捕まえた。
日向ぼっこをしながらうとうとしていたコスモスだが、いつの間にか眠っていたらしい。
鼻の辺りがむず痒くて目を覚ませば、何かがヒラヒラと動いていた。
蝶か、と呟けば止まっていたそれがふわりと飛ぶ。
「中庭にいた蝶かな?」
大きく欠伸をしているコスモスの前髪に止まった蝶は、そこからゆっくり花輪へと移動した。
様子を見ていたコスモスは逃げる気配のない蝶に苦笑しながら頭上で大人しくしているケサランに触れる。
ふわふわとしていて触り心地の良いケサランは眠っているようだ。
「いけない、いけない。変なものは入ってこられない場所だからと言って気を抜きすぎた」
緊張感が足りないと怒られても仕方がないと溜息をついてコスモスは森の奥へ目をやった。
ソフィーアが身を清めると言って奥の泉へ向かってから一時間くらいにはなるだろうか。
万が一の為にコスモスが周囲を警戒して見張っていたわけだが、結局うたた寝してしまって役に立たなかった。
「教会の敷地内に無断で立ち入るような馬鹿がいるとは思えないけど。いないとは言い切れないのが悲しいわよね」
教会裏の森で修行をして三日目。
精霊魔法に似たようなものを取得しろと言われて頭を抱えたコスモスだが、困難を極めるだろうと思っていたそれもあっさりと終ってしまう。
コスモスが実際に力を得たわけではないが、昨日の報告ではマザーから褒められたので合格なんだろう。
これで後は精霊との連携を確認して当日の動きと照らし合わせ、不自然にならないよう練習しなければいけない。
「精霊たちがついてるから、大丈夫だとは思うけど」
何かあればソフィーアの周囲にいる精霊が騒ぎ立てるだろう、とコスモスは大きな欠伸をした。
身を清めた姫と打ち合わせをしながら、動きの確認を繰り返す。
基本的にコスモスはソフィーアの背後にくっついていればいい。重要な役割を持つケサランもコスモスから離れることはないので問題はない。
「コスモス様は、本当に素晴らしいのですね」
「いや、私じゃなくて精霊が凄くて素晴らしいんだよ」
コスモスの役割はケサランの盾役だ。
膜に覆われているソフィーアに近づけない精霊は、コスモスを挟むことによってソフィーアに接近できることが分かった。
コスモスがソフィーアに触れていれば短時間だが精霊が直接ソフィーアに触れることもできる。
マザーとコスモスが話し合った結果、守護精霊役はケサランが務めることになった。
周囲にいる他の精霊の中で、一番力があり接触にも耐えられるからという理由だ。そして何よりコスモスと意思の疎通ができる。
「確かに、精霊はとても素晴らしい存在ですけれど、それ以上にコスモス様も素晴らしいです」
「そうかなぁ」
「はい。守護精霊を持たず、精霊を使役できる存在が珍しいですから」
精霊の力を借りるには心を通わす必要があるとソフィーアは言った。
マザーくらいの実力者なら守護精霊がいなくても余裕じゃないかとコスモスが言うとソフィーアは笑う。
「マザーの守護精霊が泣いてしまいます。分かっていてそんな事をおっしゃるんですから、コスモス様も意地悪ですね」
「そうかなぁ。マザーならいなくても何とかなると思うんだけど」
それよりもマザーに守護精霊がいたと初めて聞いたコスモスは眉を寄せた。
それらしい姿は見当たらなかったが、自分が見えなかっただけでそこにいたのかもしれない。
相手はマザーだ。そう簡単に自分の守護精霊を見えるようにしておくだろうか。
考えすぎなのかもしれないが、何となくマザーが自分の守護精霊を隠しているように思えてコスモスは首を傾げた。
「精霊の姿が見える人は、魔力が強くても滅多にいないんだっけ?」
「はい。例えどんなに優れた魔術師であろうと、精霊が使役できるわけではありません」
「魔法は魔力と素質に左右されるけど、精霊魔法は精霊との相性が第一、だっけ?」
生まれ持った才能もあるが、勉強すればある程度使える魔法と違い精霊魔法は精霊の力を借りて魔法を使用する。
精霊に好かれた者ならば例え魔力が低かろうと精霊魔法が使用できるのだ。
「そうです。もちろん、強い魔力を持つ人ほどその力は強力になります。魔力が低い人物にとっては毒かもしれませんね」
「毒か。初級魔法程度なら精霊だけで扱えるものね。中級以上となってくると加護を受けた人物の力量も関わってくるから難しくなる、か」
「はい。その通りです」
魔術を勉強する学校があると聞いていたコスモスは、本で読んだ知識とマザーから聞いた情報を思い出しながら笑顔で頷くソフィーアを見つめた。
この世界の住人は、ほぼ全ての人が魔力を持って生まれてくる。
その為、普通の学校でも初級魔法の授業があると言っていた。
それ以上詳しく学びたいというのなら、魔術を勉強する学校に入るということらしい。
「私は魔力持ちではありませんから、良くは知らないのですけど」
「うーん、でも全く無いわけじゃないよね。確かに微量ではあるけど」
「え!」
ケサランや他の精霊たちと一緒にいたコスモスは、気がつけば目視しただけでその対象がどのくらいの魔力を有しているのか分かるようになっていた。
何が原因なのかは本人が一番分かっていないが、それをマザーに報告したところ些細なものでも魔力を測る癖をつけなさいと言われたので言われた通りにしている。
「あの、コスモス様は魔力の有無もお分かりになるのですか?」
「そんな凄いものじゃないけど。生命力と魔力はそれぞれ違う色をしているから、それを見てるだけだよ」
「まあ! コスモス様は、霊的活力も分かるのですね!」
マザーの言いつけを守っていたら種類が判別できるようになった、と素直に言えるわけもなくコスモスは乾いた笑いを浮かべた。
ソフィーアはキラキラと目を輝かせながらコスモスを見つめる。
「頑張れば、出来る人はいるんじゃないかな?」
「そんな! 魔力と霊的活力が目視できる方はいらっしゃるでしょうが、守護精霊を持たずに精霊を従える存在なんて聞いたことがありません。それこそ、物語の世界です!」
それは良いことなのか、悪いことなのか。
嬉しいとは思えないコスモスは複雑な表情をしながら小さく唸った。
「うーん。でも、たまたま気分が乗ったから協力してくれてるだけかも?」
「それでも、精霊が協力してくれること自体が滅多にないことですよ」
「そうなんだ」
「はい。そうなんです」
ケサランを介して協力してくれた精霊たちが友好的なお陰だったのかもしれない。
運がいいんだろう、と呟くコスモスの声が聞こえていないのかソフィーアはうっとりした表情で両手を合わせていた。
魔力と霊的活力にしても、明確に数値化できるわけではないので精度に欠ける。
まだまだ甘い、と思いながらコスモスは溜息をついた。
「さすがはマザーの御息女です」
使い魔のような関係なんですけど、とは言えずコスモスは小さく笑う。
嬉しそうに笑うソフィーアにつられてか、花輪に止まっていた蝶が彼女の方へと移動していった。
しかし、蝶は彼女に触れることなく地面に落ちる。
動かない蝶に気づかないソフィーアは、違う種類の花輪が欲しいと言うコスモスに喜んで花畑へと駆けて行った。
キュル、と鳴くケサランは無駄だと言っているようでコスモスは頷きながら動かない蝶を拾い上げた。