06 安易な覚悟
澄んだ瞳にコスモスの姿は映らない。けれど彼女がコスモスを認識しているのは分かる。
穴が開くくらいに見つめられ、嬉しそうに手を合わせて小さく声を上げる姫は年相応の少女らしくて可愛らしい。
同性だが、流石にこんな美少女に見つめられると照れるとコスモスは恥ずかしそうに目を逸らした。
「ごめんね。高尚な精霊じゃなくて」
「いいえ。マザーの娘さんですもの! 高尚でないわけがありません!」
娘と言ってもマザーが勝手にそう呼んでいるだけで実際の親子関係はない。それでも、使い魔よりはマシなのかとコスモスは首を傾げた。
本当は召喚失敗された人魂だなんて口が裂けても言えない。
「悪いけどマザーからの説明通り、精霊としての力はないので。あんまり期待されても困るというか…」
「大丈夫です! 私とこうして会話もできているんですもの。何とかなりますよ」
その自信はどこから出てくるのだろうと思うくらい元気な姫は、周囲が驚くくらい明るくなっていた。
成人の儀が無事に行われるというのがとても嬉しいのだろう。
「何とか、しなきゃいけないからねぇ」
ケサランを枕がわりにしながらコスモスはこれからのことを想像する。
マザーから、守護精霊の加護を得たことを披露しなければいけないと言われたからだ。
守護精霊の加護を得たというのは何を指してか、とコスモスの疑問にマザーは精霊魔法ことだと説明した。
しかし、コスモスは人魂なので精霊魔法など扱えない。
精霊魔法に似たものを取得しなければいけないらしいが、そんな都合のいいものなんてあるだろうかとコスモスは疑問に思っていた。
「儀式の日まで時間もないし、無茶振りすぎだわ」
「何かおっしゃいましたか?」
「ううん、いい天気だなって」
「はい。とってもいいお天気です」
コスモスがマザーの指示でやっている事と言えば本を読むことくらいである。
色々な種類の本を読んで、分からない単語は辞書を引くかマザーに聞く。
なんとか分厚く古い本を読了したと思えば、新たな本が積み重ねられていくという繰り返しだ。
嫌だと投げたしたくなる時もあるコスモスだが、ソフィーア姫のことを考えれば耐えられる。彼女を不幸にしないためにも、と意気込むコスモスはとにかく読了しろとのマザーの言いつけを守って本と向き合っていた。
読んだところで内容を理解しているわけではない。心配そうなコスモスを察するようにマザーは自分の言う通りにしていれば大丈夫だと言っていた。
「コスモス様がいてくださって本当に良かった。神に感謝しても足りません」
「……ソフィーア姫の祈りのお陰、じゃない?」
正直、想像もできない重圧に押しつぶされてしまいそうだがそれは目の前の少女も同じだろうとコスモスは深呼吸をする。
なるようにしかならないのは分かっている。ならば、出来る限りの努力をするだけだ。
一人大きく頷いて、彼女は今朝マザーに言われた事を思い出した。
「力を制御して魔法を使えるようにする、なんて簡単に言われたけど何をすればいいのか……」
ソフィーア姫には聞こえぬよう小声て呟いたコスモスは、溜息をついて落ちている葉に目を留めた。
風が巻き起こるように念じてみれば、落ちている葉がヒラヒラと舞い上がる。
十五cmほどの小さな竜巻の上部でヒラヒラと踊る葉に、意外と何とかなるかもしれないと思ったコスモスは同じ行動を繰り返した。
まぐれだったら意味がないからだ。
「まぁ、凄い!」
ソフィーア姫の声にコスモスがハッと気づけば、彼女の周囲はその場で留まり続ける小さな竜巻が十個近くできていた。
安定して作れるかどうか試していた彼女は、量産していることに気づいていなかったらしい。
「コスモス様がおやりになられたのですね!」
「みたいですね。量産するつもりはなかったんだけど」
こんなに簡単に上手くいっていいのかと不安になりながらコスモスは歯切れ悪く返事をする。そんな彼女の気持ちなど知らず、ソフィーアは胸の前で手を組み合わせながら綺麗に並んだ十数個のミニ竜巻を見つめる。
その瞳は好奇心に満ちていてキラキラと輝いていた。
このままにしておくのは危ないので、どうやって消そうかとコスモスが悩めば一瞬で竜巻が消える。
一体どんな仕組みになっているんだろうと更に疑問が増えて、コスモスはケサランをぽんぽんと叩く。もぞもぞ、と動いたケサランはそのまま彼女を押しのけて飛び出た。
その場でクルクルと回りながらピョンと跳ねたりして、時折コスモスの様子を窺っているような態度を取る。
何をして欲しいんだと考えていると姫が両手を握って大きく頷いた。
「私も儀式に向けてより一層頑張ります!」
「あまり、無理しないようにね? ご家族も心配してるでしょうし」
「いいえ。これは姫として生まれた責務ですもの。きちんと全うできる事がとても嬉しく、辛い事などありません」
「でもねぇ、ご両親とかは不安でしょうがないと思うよ?」
可能性は低くても、その万が一にかけて色々な事を試したと聞く。その中には少女が行うにはあまりにも辛い修行があったとマザーも言っていた。
それでも一向に改善しなかったのだから、親心を想像するだけでコスモスの胃と心が痛くなってくる。
姫はたくさんの愛情を注がれていると聞いている。
だから例え精霊が降りてこなくとも王家はソフィーア姫を守るためにありとあらゆる手段を取る事だろう。病死にして遠くへ逃がし穏やかに暮させるというのも当然のように案として出ているらしい。
両陛下も自分の娘のように姫を可愛がっており、現状をハラハラしながら見守っているらしいので実の親となれば尚更だろう。
「そうですね。私がこうしてここに在るのは周囲の方々の深い愛情のお陰だと日々感じております。普通ならば、もう幽閉されるか処分されるかでしょうから」
「……」
「お父様やお兄様たちからも、毎日のように手紙が来るのです。ここから屋敷がある王都までは目と鼻の先だというのに」
ふふふ、と鈴を転がしたように笑う姫にコスモスは言葉が出なかった。
どんな言葉をかければいいのか、彼女の倍近く生きていながらさっぱり分からない自分が悔しくて情けない。
安易な慰めや、同情は彼女に失礼だろう。しかし、それくらいしか思い浮かばなくて結局何も言うことができなかった。
「ん? お母さんは?」
「……母は私を産んで亡くなりました」
「そっか、ごめん」
父親と兄の手紙があって母親からの手紙がないなら、大体の想像はつくのに一体自分は何を言っているんだろうとコスモスは頭を叩く。
「いいえ、お気になさらず。お父様が言うには、私はお母様に良く似ているのだそうです」
「あら、じゃあ余計に心配されてるんじゃない?」
「はい。精霊の加護を受けやすいようにとこの教会で過ごすようになってもう五年ですが、公務の合間だと言っては顔を出すんですよ? 忙しくてそんな事をしている場合ではないでしょうに」
もうっ、と小さく頬を膨らませ怒る姿もまた可愛らしい。
しかしそれよりも気になるのは彼女の発言だ。
成人の儀はソフィーア姫の十五歳の誕生日なので、教会で暮らすようになってから五年も経つということは十歳でここに来たということだ。
十歳で親元から離れ、ここでずっと祈っていたんだろうかと想像したコスモスはぞっとした。
恐らく加護が得られないのを知っていたマザーが早いうちからソフィーア姫を保護するために教会へ招いたんだろう。
それにしても毎日毎日、加護が得られるようにと祈る日々はどれだけ辛いものだっただろう。
いつかは加護を得られると信じていたんだろうかとその時のソフィーア姫の気持ちを想像したコスモスは眉を寄せた。
「それは、姫が可愛くて仕方ないからじゃないかな。家族の中の紅一点で末娘だもの。可愛くないわけがないよ」
加護が受けられないと判明してからもずっと心配して愛してきた彼女の家族。
儀式すら恨んだことがあるんじゃないだろうかと思いながら、コスモスは自分の家族のことを思い出した。
両親と妹弟というごく普通の家庭に育った自分がいきなり消えて、残った家族はどうなっているんだろうかと。
それよりも、腐る前に肉体を発見してくれただろうかと心配になる。
病院行きではなく火葬されたりしていないだろうなと新たな不安が増えて、戻れる算段がついても日常を取り戻せるのか怖くなった。
「コスモス様?」
「あぁ、ごめんね。姫は可愛いなぁと思って」
「もうっ! そんな事ばかり言われては照れてしまいます」
年頃の少女らしく柳眉を寄せて軽く睨みつけるように告げる姫は本当に可愛い。
「……」
適当に儀式さえ乗り越えれば後は自由だと思っていたコスモスだが、ソフィーア姫を前にしてその気持ちを改めた。
彼女のためにも絶対に儀式を成功させなければ、と強く頷く。
「竜巻はできた。じゃあ、他もできるのかしら」
そう思ったコスモスは燃え盛る炎を頭に描いてみるが何も起こらない。
竜巻が作れたのは恐ろしい偶然だったのかと周囲を見回すと、ソフィーア姫は少し離れた所で花を摘んでいる。花畑に美少女なんて絵になるわ、と癒されながらコスモスはもう一度小さな竜巻を想像した。
「……?」
ビュンという音と共に目の前に現れた小さな竜巻。恐ろしい偶然なのか確かめるように個数を増やしてゆく。
「竜巻の行列、変な光景だわ」
等間隔に並んでその場で回転し続ける竜巻を眺めながらコスモスが眉を寄せていれば、その上をぴょんぴょんとケサランが飛び跳ねて遊ぶ。
いいアトラクションだ、と溜息をついて首を傾げた。
「ケサラン、貴方って風の精霊よね?」
ぴたり、と動きを止めたケサランが竜巻の上でぐるんぐるんと回転し続ける。見ているこっちが酔いそうだと思いながらコスモスは言葉を続けた。
「この竜巻って、貴方が作ってたりする?」
まともな会話ができないからこの精霊が何を考えているのかコスモスにはさっぱり判らない。何となくの雰囲気でそうじゃないかなと勝手に思っているだけだ。
だからこそ、こういう時に会話ができないのはもどかしいと思う。
「精霊との会話法、か」
コスモスがマザーに後で聞いておかないとなと思っていると、鳩尾に強い衝撃を受けた。
一瞬呼吸ができなくなり、死ぬと思ってから「あ、死んでるんだっけ?」と人魂である現状を思い出す。
背中を何かに打ち付けて胃液が出そうだったが、残念ながら何も吐き出すことはできなかった。
「……」
情けなく地面に倒れ伏したコスモスの視界にふわふわとした物体がゆっくり近づいてくる。一瞬ケサランかと思ったが、どうやら違うようだ。
精霊なんて、多少大きさの違いはあれど似たようなものばかりで見分けるのが難しい。コスモスもケサランと会うまでは全て同じに見えていたのだから。
けれども不思議な事に、ケサランだけはどこにいてもケサランだと見分ける事ができる。
似たような大きさのふわふわした物はたくさんあるというのに、一発で判るのが不思議で気味が悪かった。
「……ゲホッ」
土の感触を味わいながらコスモスは呼吸を整える。
敵襲か、と眉間に皺を寄せながら彼女が体を起こすと十体ほどの精霊に囲まれていた。
微妙な距離感を保ちながらゆらゆらと揺れ、コスモスの様子を窺うようにしている精霊たちが攻撃を仕掛けてくる気配はない。
「なにか、用かな?」
返事があるとは思わないが、幼子に話しかけるようにできるだけやさしく話しかけるコスモス。
すると、揺れていた精霊たちが揃ってピョンと跳ね不規則な動きをとり始めた。
まるで顔を見合わせ何かを相談しているようだ。
キュルキュルと風が鳴くような音が聞こえ、これが精霊の声かと驚きながらコスモスは立ち上がるのをやめてその場に座る。
騒がしい音がやんだと思えば、一体の精霊がコスモスへと近づいてきた。
「……」
その精霊はキュルキュルと鳴くのだがコスモスにはさっぱり分からない。
通じていないのが分かったのか、その精霊は必死に体を揺らしながら何かを伝えようとする。
「ごめん、わからないです」
コスモスの言葉に精霊はがっかりした様子で動きを止めた。
どうしたものかと思っていると、遊んでいたはずのケサランが彼女に近づいてキュルと鳴く。
「ごめんね。精霊の言葉は分からないんだよ」
困ったなとコスモスが呟けば、ケサランがキュルキュルと鳴き始めた。
その声に反応したのは彼女を囲むようにしていた精霊たち。
コスモスに一番近い場所にいた精霊も跳ね起きるようにその身を軽く浮かせた。
「キュル?」
「キュルル、キュ、キュ」
「キュルー」
精霊たちの会話を聞きながらコスモスは腕を組む。
他の精霊が何を言っているのかは知らないが、ケサランが言っていることは大体分かった。
彼らはソフィーア姫に守護精霊がついたのかと心配しているらしい。
そしてコスモスに体当たりしたのは、彼女の存在が分からなかったからと言っているようだ。
「精霊にすら認識されない私って、何?」
もしそこにいたとしても、すり抜けると思っていたらしい精霊に謝罪を受けてコスモスは小さく笑いながら首を横に振った。
気にしていないと告げると嬉しそうな声で鳴く。
「ねえケサラン。彼らに協力してもらえないかな? ソフィーア姫の為に」
「キュル?」
「そうそう。儀式のための。彼らの協力があれば、精霊魔法っぽいものはできるんじゃないかと思って」
「キュルル」
姫の周囲に多数の精霊を配置させれば成功率は上がるような気がして、コスモスは自分を囲む精霊たちをぐるりと見回した。
お願いしますと頭を下げるコスモスに、ケサランが彼女の言葉を通訳する。
大きく飛び跳ねてキュルキュル鳴く精霊たちが快く了承してくれたのをケサランから聞いて、コスモスはほっと胸を撫でおろした。
「コスモス様ー!綺麗にできましたわー!」
「ん?」
花畑の方からソフィーアが大声で呼びかけてくる。大きく手を振るその頭と手には花輪のようなものがあった。
お世辞にも綺麗だとは言えないぐちゃぐちゃとした花輪に、何と言って褒めるべきかと思いつつ少女らしい笑みを浮かべる彼女にコスモスの頬も緩む。
「幼い頃にアル兄様が花輪を作ってくれたんです。その頃の私は部屋から外に出た事が無かったので、とっても嬉しかったんです」
「出た事が無かった?」
「はい。幼い頃の私の一日は、ベッドから始まりベッドで終わっていましたから」
そんなに病弱だったのかと驚くコスモスに、体調がいい日というのが珍しいくらいだったと笑って話すソフィーア。
生まれた時は、成人すらできるかどうかと医者に言われたくらいだと何でもない事のように告げる。
「随分と、元気になったね」
「はい。私も驚いています。神のおかげでしょうか」
「神様の?」
「はい。今こうして元気で過ごせるのは、この教会に来てからだと思いますから」
毎日欠かさず祈りを捧げていることが良かったんじゃないかと言うソフィーアに、コスモスは眉を寄せて首を傾げた。
彼女の信心を否定するわけではないが、コスモスにとっての神とは自分の都合のいい時だけ感謝するような存在だからかもしれない。
「ここに来てからって、いつから?」
「十歳の誕生日にここへ来たので五年前ですね」
「……十歳まで、ずっと家のベッドの上?」
「はい。こちらに来てからも暫くは部屋から出られないような状態でした」
手にしていた花輪を笑顔で渡されたコスモスは、それを見つめながら目の前の少女にかける言葉を失ってしまう。
とりあえず花輪を頭に乗せれば「お似合いです」と嬉しそうにソフィーアは微笑んだ。
「環境かな?」
「それもあるかもしれませんね。過保護な家族とも離れましたから」
「あ、そうなんだ。あー、でも分かる気がするわ」
こんな妹がいたら可愛がる自信がある、と大きく頷いたコスモスにソフィーアは驚いた様子で軽く目を見開いてから笑みを浮かべた。
「コスモス様にそう言っていただて、嬉しいです」
「ははは。ソフィーア姫はお兄さんが三人、いるんだっけ?」
「はい。父と兄が三人おります」
それは可愛がられて当然だとコスモスは大きく頷いた。
ソフィーアがこれだけの美少女なら三人の兄も美形に違いないとコスモスは想像する。
眼福な家族じゃないかと一人満足していると、ケサランが羨ましそうに花輪を見つめていた。
「先ほど話に出たアルヴィ兄様は、長兄です。優しくて頼りになる兄なんです」
「あらあら」
「次兄のイスト兄様は、心配性すぎて困ってしまいます。私が教会に行くことも最後まで反対していたくらいですから」
次兄は重いシスコンかと思いながら、困った顔をするソフィーアにコスモスは苦笑した。
それもまた、妹のことを愛しているからだろうと言えば「それにしても、他の方の迷惑も考えていただきたいものです」と小さく頬を膨らませてソフィーアは怒る。
「三番目のお兄さんは?」
「ウルマス兄様ですね。私とも歳が近いですし、イスト兄様の暴走を止めたりしてくださる良い兄様です」
儀式の時に会えるのを楽しみにしているねとコスモスが言えば、ソフィーアは両手を合わせ「是非、紹介させてください」と笑顔になった。
「本当に、私は幸せ者ですね。こうして健康に動き回れて色々な物を見ることができます。そして、何よりコスモス様と出会うことができました」
「いや、私はそんな大したものじゃ……」
「いいえ。コスモス様がいらっしゃるからこそ、私は役目を果たせるのです」
可愛らしい笑顔でそう告げるソフィーアを見てコスモスはぞわりと身を震わせた。
こうして動き回れる事が、生き長らえて国や家族の役に立てる事が何よりも嬉しいのだと彼女は言う。
自分の幸せはいいのかと聞けば「皆が喜んでくれることが、私の幸せです」との模範解答。
上辺だけではなく、心からの言葉にコスモスは恐ろしいと素直に思った。
「まだ油断は出来ないから慎重にいきましょう。儀式が成功するまでは、安心できないからね」
「はい。仰るとおりですね。コスモス様がついていてくださると思うだけで嬉しくて」
こんな人魂でしかない変な存在に、これほど喜んでくれる人がいる。
何も出来ない凡人だとの思いは未だに変わらないコスモスだが、ここまで頼られてしまえば何とかしたいと思ってしまう。
できれば早く元の日常に戻りたいけれど、目の前の少女を無視することはできない。
適当にすれば何とか成功するんじゃないかと思っていたコスモスは、意識を改めるのだった。