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05 美少女と人魂

 艶やかな銀髪に澄んだ翠玉の瞳。お伽噺の中から出てきたような美しさは見飽きることがない。

 美少女だと喜怒哀楽も変わらず美しいものだなぁと思いながら、コスモスは空中で一回転をした。

 そのままスルリ、と少女の体をすり抜けて反応を窺い溜息をつく。

「やっぱり反応はなし、と」

 何度試しても彼女だけは何も反応を示さなかった。

 彼女の周囲にいる護衛や侍女たちは、面白いくらい反応をしてくれるというのに。

 これはどうしたものかな、と思いながら姫の周りをくるくると回る。

「……ふーむ」

 意識を集中させて、ドアをノックした時やパイプオルガンを鳴らして遊んだ時のことを思い浮かべる。それと同じような感覚でコスモスは彼女の背中に触れた。

「あ」

 とん、と軽く触れられた感触に一人感激していればその華奢な体が前のめりになって崩れてゆく。

 周囲にいた護衛が手を伸ばす前に侍女たちの悲鳴が聞こえ、コスモスはとっさに彼女の体をすり抜けて床に伏せた。

 ぽわん、と柔らかで華奢な姫の体が自分の背に当たったのがわかる。

 姫が固い床と衝突せずにすんで安心したコスモスはその場から逃げるようにゆっくりと移動した。

「ソフィーア様!?」

「お怪我はありませんか?」

 ぼんやりとした様子で目の前の床を見つめていた姫は、周囲の呼びかけに慌てて笑顔を浮かべると「ええ、大丈夫です」と答える。

 そして不思議そうに自分が倒れ伏すはずだった床を見つめ、その細く白い手で優しくその場を撫でた。

「如何なされましたか?」

 遠くから姫が倒れる様子を目にしていた神官たちが慌てた様子で近づいてくる。未だ座り込んだままでぼんやりとしていた姫は首を傾げて不思議そうに呟いた。

「何かが、ここにいたのです」

「は?」

「何か、と申しますと?」

 自分たちを心配させぬように大丈夫だと嘘をついているのではないかと不安になる周囲をよそに、姫は何度も目の前の床を撫でたり軽く叩いたりしていた。

「思った以上に騒ぎになってしまった……まずいかなぁ」

 少し離れたところからその様子を見ていたコスモスは、守護精霊の代わりを何とか務められるかもしれないと僅かな自信を抱く。

「でも、マザーには頑張って姫に私の存在を感じさせるようにって言われたから仕方ない」

 厄介ごとには首を突っ込まないと決めたのに、厄介ごとに巻き込まれている現状は笑うしかない。

 コスモスはわざとじゃないと言い訳をしながら溜息をついた。

「性格のいい美少女が困ってる。マザーも困ってる。少しくらい役に立てるなら嬉しいもんなぁ」

 その美少女も姫として生まれなければ“しきたり”に縛られることもなく普通の少女として平凡な生活を送っていたのだろう。

「失敗する者がまずいないとされる“しきたり”を成功させることができないのが気になるけど、それは私が悩むことじゃないし」

 姫を覆っているという膜のこと。精霊ですら弾いてしまうそれは一体なんなのか、と考えながらコスモスは低い唸り声を上げた。

 元々体が弱いから強力な加護を付けすぎて、良いものすら受け付けなくなってしまったんだろうかと考える。

「いやいや、私がそんなに心配することじゃないわ。私は守護精霊のフリを完璧に演じなきゃいけないだけ」

 バレた時のことは考えたくないが、その時はマザーが何とかしてくれるだろうとコスモスはその場でくるりと一回転をする。

「ソフィーア様?」

「私は疲れているのでしょうか。本当に何かがここにいたのです」

「少々お待ちくださいませっ!」

 気のせいかと寂しそうに呟きながらゆっくり立ち上がった姫に、神官が軽く目を見開いて駆け出してゆく。今にも転びそうな勢いで廊下を走ってゆくその姿に護衛の神官兵が渋い顔をしていた。

「お、神官は察したのかな?」

 それを確かめる為にコスモスは走る神官を追いかける。

 辿り着いたのはマザーの執務室で、彼女はノックの音を口にしながらするりと中へと入った。

「なるほど。分かりました」

「はい。私もはっきりと分からないのですが」

「恐らくそうでしょう。喜ばしいことです」

 肩を大きく上下させながら荒い呼吸を繰り返す神官は、マザーの言葉に微笑を浮かべ大きく頷いた。

 マザーが手にしていた書類を机の上に置くと、深呼吸をして落ち着いた神官が一礼をして出て行ってしまう。

 入ってきたばかりなのにもう会話が終ったのかとコスモスが思っていると声がかけられた。

「無事に触れられたようね」

「姫のことですか? そうですね。すり抜けても無反応でしたから不安でしたけど、力を入れ念をこめて体当たりしてみたら上手くいったみたいです」

 精霊は彼女を覆う膜のようなものに邪魔されて近づけないと聞いていたがコスモスは抵抗なくすり抜けることができていた。

 それを不思議に思いながらも、精霊じゃないからかと一人納得するコスモスは周囲を飛ぶ淡い光に眉を寄せる。

「あー、もうしつこいね貴方も」

 マザーの部屋で掴んでから妙に懐かれてしまったらしい風の精霊は、彼女に付きまとっていた。

 最初は鬱陶しいと避けたりしていたコスモスだが、あまりのしつこさに諦めて好きにさせている。攻撃を仕掛けてくる気配もなく、おそらく自分を監視しているマザーの差し金だろう思っていた。

 コスモスがケサランと勝手に名づけたその精霊は本当に弾かれるのだろうかと、姫に向かって投げつけてみたところ、焼け焦げるような音がして凄まじい勢いでケサランが戻ってきたのだ。

 てっきり、ポーンと跳ね返ってくる想像をしていたコスモスは、怒っているケセランにに何度も頭突きされてしまった。

 どうやら精霊にも痛覚はあるらしい、と変なこと思いながらコスモスはケセランを摘む。

「コスモス。精霊をそんな乱暴に扱っては駄目よ。罰が当たる前にやめなさいね」

「じゃあ、お返しします。必要ありませんので」

 どこまでも追いかけてきて鬱陶しいケセランをマザーに向かって放り投げる。

 勢いをつけたケサランを難なくキャッチしながらマザーはにっこりと微笑んだ。

「コスモス」

「いい子がいいなら、そういう子選んでくださいよ」

「選ぶほど選択肢はないのよ。今から姫がここに来るから貴方もいなさいね」

 自分の事を正式に紹介するつもりかと溜息をついていたコスモスは、だらしなく仰向けになって浮かんでいた体勢を元に戻す。真っ直ぐに飛んでくるケサランを避けて、近くにあった本を勝手に読んでいると扉がノックされた。

「いよいよか……。やるって返事しといてなんだけど、気が重いわ」

 マザーの声の後に開かれる扉から姫とその護衛、侍女数名が室内に入ってくる。姫と二人きりで話がしたいとのマザーの言葉に侍女たちは一瞬視線を交わしたが護衛が促すと一礼をして室内から出てゆく。

 すすめられるままソファーに腰を下ろした姫は、僅かに緊張した面持ちをしてマザーの声を待っていた。

「あの、お話というのは何でしょうか」

「そう固くならないでちょうだい。成人の儀が近づいてきたわね、と思って」

「はい」

 アイスブルーのドレスの上で重ねられている手は小さくて細い。羽織っているガウンには王家の紋章らしいものが刺繍してあり、話によると王妃が姫のために仕立てて持たせたものらしい。

 上手くいくかどうか分からない成人の儀を前にして、固くなるなというのも無理な話だとコスモスは少女に同情する。

「マザーお話があります」

「何かしら?」

「私は明日にでも父や陛下の許可をいただいてうつろの塔へ行こうと思います」

 前々から決めていたのだろう。その声に震えはなく、その顔は弱く可愛らしい姫のものではないほど強い意志が現れていた。

 驚いたように息を呑むマザーと姫を見比べながら、コスモスはどこかで覚えのある単語に本のページを捲る。

 空中で勝手に本が捲られている怪奇現象が目立ちそうなものだが、コスモスは二人の邪魔にならないよう部屋の隅で気配を殺し大人しくしているのでばれる心配はないだろう。

 もっとも、姿を隠さずともマザー以外には見えないのだが、本が勝手に動けば不審がらぬ者はいない。マザーの評判を落とすのも忍びないので、コスモスは背の高い観葉植物を数鉢並べ他からの視界を遮るよう勝手にスペースを作っていた。

 本棚と観葉植物の間でいつも読書をしたり就寝するのでもはやコスモスの居場所と言ってもいいくらいだ。

 礼拝堂の方が落ち着くのではないかと思われていたが、あそこには仕方がなくいただけで愛着はないらしい。

「貴方はあそこがどんな場所か理解しているのですか?」

「勿論ですマザー。失敗するはずのない“しきたり”ですら満足に出来ぬ私が、他に役立つ事などありません。塔の管理者はここ数百年不在なのでしょう?私が行くべき場所に相応しいとは思いませんか?」

 その表情は悲哀に満ちてるわけではない。少しでも役に立てるのだと嬉しそうに微笑んで、驚いた表情をしたままのマザーを見つめていた。

「その心がけは立派ですが、貴方のお父様と陛下がお許しになるわけがありませんよ」

「……そうでしょうね。あの方々はこんな役立たずの私にもとても深い愛情を注いでくださっていますから」

 いっそ、望まれぬ子だと思われていれば楽だったのに。

 そんな姫の声が聞こえたような気がしてコスモスは顔を上げるが、マザーは溜息をついて頬に手を当てていた。

「姫、貴方を今日呼んだのは他でもありません」

「はい」

 マザーがあれほど驚いた表情をした空ろの塔という場所が気になって、コスモスは探し当てたページを読む。


うつろの塔》

 オルクス王国に存在する魔の森と呼ばれる場所のほぼ中央に位置する塔。

 天高くそびえ空へ通じる架け橋のような様子から別名《そら梯子はしご》とも呼ばれる。

 魔の森に生息する魔物たちは他地域に比べとても強力だが、塔内部に住み着いている魔物は更に強いもので冒険者が行方不明になるのは珍しくない。

 古代遺跡の一つで教会管理物となっている。

 教会内でも浄化の力の強い者が管理者としてオルクス王国に派遣され、塔の管理を任されている。

 ちなみに、生存率が非常に低いため塔への立ち入りは禁じられている。


「ん? ここに姫が行くって、自殺行為じゃない?」

 最近遊んでいたゲームを思い出してコスモスは描かれている絵を見つめた。雲を突き抜け、真っ直ぐに伸びる塔は本当に《そら梯子はしご》という表現が似合う。

 ここの天辺に登ったら元の世界に帰れるかもしれないが、その前に昇天してしまいそうだ。

「守護精霊がつかないのは貴方のせいではありません。しかし、儀式は滞りなく行わなければならない」

「ですから……」

「つまり、成人の儀さえ成功してしまえば、その後精霊の力がろくに扱えずとも身の保証は約束されるでしょう」

「けれどそれは大罪では?」

 不安な表情をするソフィーア姫にマザーは他言無用ですが、と前置きをして精霊の世界でもこの事が問題になっていると告げた。

 綺麗な瞳を大きく見開いて震えるソフィーアは、唇を噛み締め自分のせいだと呟く。

「貴方が悪いのであれば、精霊は見過ごしません。しかし、精霊は貴方を愛しています」

「そんな、そんなことは」

「本当ですよ。儀式後が心配であれば、教会に残れば良いでしょう。それならば、他国も国内の貴族も下手に手は出せません」

 本を眺め会話を聞きながらコスモスは一人頷く。

 確かに成人の儀の成功は精霊の理解がなければ実行することは不可能だろう。

 観葉植物をすり抜けて顔を出したコスモスは、ソフィーアの周囲に精霊が集まっているのを見て頬を緩めた。

 そんなコスモスの頭上にはケサランが乗っている。

「それは、マザー……でも」

「貴方を妻に求める方々は、貴方が思っている以上に多いのですよ。みな、貴方の精霊使いとしての力も当然期待しているでしょう」

「……」

 ソフィーア姫は見目麗しい上に性格も良い。そして由緒正しい王家の娘ときたら、妻に欲しいと思わぬ男はまずいないだろう。

 王妃や嫁いだ姫たちが加護を受けた精霊の力を借りて、国や民のために尽力しているのはこの世界では当然のことでどの国でも行っている。

 成人の儀さえ済めば大丈夫だというわけにはいかないか、とコスモスが呟くと頭上でケサランが返事をするように揺れた。

 誰かの為に役に立ちたいと心から思うようなソフィーアにとって、姫として生まれたにも関わらずその責務を果たせないことは想像以上の苦痛なんだろうとコスモスは思う。

「今まで本当に、失敗した例はないのかしらね。失敗すらなかったことにするなら、成功したことになるのかな?」

 精霊の加護を受けられない子供が誕生したというのは、国にとっての一大事。災厄の種と言ってもいいくらいだとマザーが言っていたことを思い出す。

 いくらなんでもその程度で言いすぎだろうと呆れたコスモスだが、マザーの表情はとても真剣で嘘を言っているようには思えなかった。

 つまり、成功しないと判断された時点でその存在をなかったことにされるんだろう。

 前例があるかどうか聞いたが分からないと返されたのは、国家の恥だからこそ厳重にその情報を隠すからかもしれない。

「しかし、どうやって儀式を成功させるのですか? 他国からの来賓もたくさんいらっしゃる中で、精霊の貸し借りなんてできませんし……」

「そうでしょうね。王妃様はバレぬようにご自分が操るからとおっしゃっていましたが、無理でしょうね」

 精霊の加護を得て無事成人を迎えることができた証拠に精霊を操りその力を披露するだけなら、何とか誤魔化せるのではないかとはコスモスも思っていた。

 見ている民には判らないだろうし、王族関係者は姫に甘いからばれる真似はしないだろう。

 加護を得られ精霊を認識できるのは王族の姫だけらしいので恐らく貴族も騙せるはず。

 しかし、他国から招待された王族の中には当然“姫”もいる。守護精霊持ちの彼女たちの中には精霊が見える者もいるので、守護精霊がいないとばれてしまう可能性があった。

 それでは人魂だろうと騙せないだろうとコスモスの疑問はマザーに笑顔で流されてしまった。

「大丈夫ですよ、安心なさい。滞りなく式を成功させましょう」

「え?」

「私の“娘”を貴方の守護精霊にすれば良いのですよ」

 そこで私の登場かと笑顔のマザーを見ていたコスモスは深い溜息をつく。

 今までの会話を聞いていて上手くいく気がしないのは何故だろうと彼女は首を傾げた。

 精霊の許可を得ているとは言え、守護精霊なんて素晴らしいものではなくただの人魂だ。

 ちらり、と視線を向けられたコスモスは渋々マザーの傍に近づく。

「心配だなぁ。他国の姫にバレそうで怖いんですけど」

 ぶつぶつと呟きながらコスモスは彼女の周囲を楽しそうに回るケサランを捕まえて、室内にいた精霊にぶつけてゆく。

 ぶつかったケサランに弾かれるようにして精霊が壁に衝突する。ぽよん、とぶつけられた精霊が震えながら跳ね返りコスモスをすり抜ける。

「娘さん……ですか?」

「ええ。貴方は会ったはずですよ。廊下で転びそうになった時に」

「!」

 可愛らしい瞳が大きく見開かれる。白くほっそりとした手が口元に当てられて「まさか」と小さな声が漏れた。

「精霊、なのですか?」

「似たようなもの、ですから心配しなくても大丈夫ですよ」

「精霊ではなく……似たような、もの?」

 人魂と精霊は似ていると言えるんだろうかと疑問に思いながらコスモスはソファーに近づく。

 触れる事ができたあの感覚を思い出して、コスモスは意識を集中させ姫の肩を優しく叩く。

 すり抜けることなく、ちゃんとその小さな肩に触れられたコスモスは安堵してから自分の声が聞こえるようにと念をこめる。

「え!?」

「ええと、お初にお目にかかります……って言っても見えてるかな? 聞こえてるかな?」

 肩に触れたまま言葉遣いに気をつけて、これ以上驚かせぬようゆっくりとできるだけ優しい声でコスモスは笑いかけた。

 綺麗な翠玉の瞳が真ん丸になるのを見つめながら、はははと笑う。

 いつまで経っても無反応なのが気になって不安になったコスモスがマザーを見ると、彼女の表情が一変した。

「ソフィーア姫!」

「うわぁ、気絶しちゃった」

 倒れる姿まで可憐で愛らしいと変なことを思いながら、コスモスは慌てる。マザーの声を聞きつけた護衛や侍女達が駆けつけてきたが、精霊との対面で疲労しただけだと告げれば目を大きく見開いた彼らは泣きながら喜んでいた。

 姫を介抱していた侍女の中には喜びのあまり失神する者もいて、彼女がどれだけ愛されているのかを感じさせられた。



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