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210 風の大精霊と人魂の戯れ

 そわそわ、そわそわ、と主の落ち着きのない様子にいち早く気づいたのはアジュールだ。

 本人が何か言わない限りは無視しようと思っていたが、あまりにも落ち着きがないので思わず溜息をついてしまう。

 どうやら周囲の人物は未だ彼女の様子に気づいていないらしい。

「マスター、どうした?」

「えっ」

「え、じゃない。どうかしたのかと聞いている」

「うーん。今後のことを考えてたのよ。大精霊様はまだ神殿にいてほしいみたいだったからお世話になってるけど、プリニウスさんのところに一度戻る約束もしてるし」

「そうだな。神殿を巡っているのは知っているから協力してくれるというあの男のところに戻るのがいいだろうな」

「正直、早くプリニウスさんの別邸に移りたいのよね。ルーチェにもそれとなく言ってるから移動には問題ないと思うんだけど」

 エテジアンでも苦労しないようにとプリニウスが用意してくれた別邸は神殿に来てから一度も行っていない。

 神殿での仕事が忙しくてという報せは受けているから心配はいらないだろうが、どうにも落ち着かなくなっている自分にコスモスは溜息をついた。

「……私のことならば心配いらんぞ?」

「違うわ。アジュールはいざとなれば影に潜ってのんびりしてればいいじゃない」

「そうは言ってもな。こればかりは相性の問題だからしょうがない。それでもマスターの能力が上がってるからこの程度は特に苦痛でもないがな」

 いつものんびりと寝てばかりいるようなアジュールだが神殿では他と違って消耗が激しい為に回復しているだけだ。

(神殿じゃなくても大抵寝てるけど……)

「それで、どうした?」

「大精霊様がちょいちょい顔出すじゃない。私の中にある精霊石と共鳴することもあって、酔うのよね」

 それはまだ完全に制御しきれていないということだろう。

 だが、風の大精霊がそれを分かっている上でちょっかいを出しに来ているという可能性もある。

(寧ろ、あの性格だからその可能性のほうが高いのよね)

「なるほど。それを制御するのに疲れるということか」

「たぶん」

「ははぁ。最近、大精霊相手に対応が雑になってるのはそれが理由だな」

「そうなのかしら? ま、いっかという気持ちにはなってるけど」

「それだな」

 コスモスが風の大精霊に体当たりをしても、頭突きをしても咎めるものはいないに等しい。

 巫女は何事もなかったかのように微笑み、トシュテンのみが渋面になるくらいだ。

「見ていて面白いがな。あの大精霊も楽しんでるだろう」

「あー、やっぱり。相手にされてないか。ま、本気で対応されてたら軽く吹っ飛ぶわよね」

 吹っ飛ばすつもりが吹っ飛んでいたなんてよくあることだ。

 例え大精霊に吹っ飛ばされても死ぬことはないと変な自信だけはあるコスモスだった。

「で、さっきから落ち着きがないのはそれだけじゃないだろう?」

「あぁ……ええと」

「ミストラルか」

「うっ。うん。行くつもりはないと思ってたんだけど、隣国なんだよなと思うとちょっと見てきたいなと思っちゃって」

「そんなのさっさと行って戻ってくればいいだろう」

「うーん」

 もじもじ、としているコスモスを軽く尻尾で叩くとアジュールは溜息をついた。

「行ったらしばらく滞在したくなりそうで」

「なるほど。ソフィーアの様子が気になるが、いなくなった理由が理由だけに顔を合わせづらい。その上、マスターは彼女を気に入っているからなるべく長く一緒にいたくなる、と」

「心読んだ?」

「読まずとも顔に書いてある」

 ハッとしたように慌てて自分の顔に触れたコスモスに、アジュールは呆れた目で彼女を見つめた。

「分かりやすいってことね……」

「気づくのは私やアルズくらいだろうがな」

(気をつけないと)

 やれやれ、と呟いてアジュールは体を起こすとぐぐっと大きく伸びをした。

 ちらりとコスモスを見てから気だるそうに彼女をテーブルへと押しやる。

 ふわふわ、と流れるようにテーブルの上まで来たコスモスは不思議そうな顔をしている。

「手紙を書け。届けてやる」

「あ、そっか。ありがとう、アジュール」

「あれだけ落ち着きのない様子を見ていたら鬱陶しいからな」

「ひどいなぁ」

 紙とペンを見つけたコスモスはさっそく手紙を書き始める。

 何よりも伝えたいのは自分は元気でやっているということだ。

 他は適当にボカして書きながらミストラルに立ち寄れないことを詫びる。

 何かあれば教会に言付けをするようにと書いて、封筒に入れた。

「ふむ、二通か」

「うん。ソフィーア姫とウルマスにね」

「分かった。では行ってくる」

 音もなく影に沈んだアジュールは赤い目をコスモスに向けてそう告げると、預かった手紙と共に消えた。

(あの移動法、私の消耗が激しくなるだけとか言ってたけど、どれだけになるのかしら)

 幸い神殿内でのんびりさせてもらっているので困ることはない。

 コスモスがすることと言えば、大精霊の話し相手をするくらいだ。

 巫女であるイベリスがどうしても外せない仕事がある場合は特に重宝される。

(イベリスさんがいない時の大精霊様の態度と殺伐とした空気はひどいものね)

 それだけコスモスも風の神殿に長居しているということになる。

 これがプリニウスの別邸であればもっと楽になったのだろうかとぼんやり考えた。

「あれー、コスモス一人なんだ?」

「今はそうですね」

「そっか。うーん、アジュールはミストラルか」

「監視ですか? プライベートですよ」

「うわ、コワーイ。一応、形式的に把握しておきたいだけだよ。何もしないって。それにあんな魔獣でもここで過ごしやすいように手加減してあげてるんだけどな」

 言い方に棘があるが、悪気がないのを知っているコスモスは聞かないことにした。

「それで、何用ですか?」

「いやぁ、面白い噂を耳にしてね。他に誰もいなさそうだから丁度いいんだけど」

「面白い噂?」

「魔道具を探してるってウワサ」

 にこにこと笑顔の大精霊だが、コスモスには悪戯を思いついた子供にしか見えない。

「まさか、本当にあんな魔道具探してるとか言わないよね? もう、お腹痛くなるくらいに笑えるから冗談やめてよー」

「笑ってればいいんじゃないですかね」

「えぇー、本当なの。趣味悪いよ、コスモス」

「風の精霊に監視させつつ情報収集もさせてる大精霊様ほどじゃないと思いますぅ」

 誰に何を言われようと、自分の願いを叶えるために必要ならば探さなくてはいけない。

 水の精霊石を得ればまたあの動く鎧が何かしら教えてくれるのだろう。

(本気で集めるとは思わないから情報を小出しにしてるのか、それとも私を試してるのか……まぁ、どっちでもいいけど)

「しょせんは人の子ってことかな。コスモスはもう少し面白いと思ったけど」

「へぇ。じゃあ、欲深いのは人間だけでそれ以外は無欲なんです? 知りませんでした」

「おや、怒ってるのかな?」

「いいえ。人が強欲なのも業が深いのも分かってますから。でも、フェノールを潰した風の大精霊様にそれを言われるなんてちょっと心外だなと思っただけですよ」

 ほんのちょっとだけね。

 そう付け足してコスモスは自分でお茶を入れる。

 風の大精霊が自分の発言で気配を変えたのは知っているが動じない。

「あぁ、すみません。大精霊様はただ唆しただけでしたね。実行したのは欲深い人間ですから、やはり人間は悪と」

 いやぁ、怖いなぁとわざとらしく呟きながらコスモスは温かいお茶を飲んでホッと息を吐いた。

「どこまで知っている?」

「ほんの噂程度ですよ」

「コスモスは僕を怒らせたいの?」

「まさか。貴方を怒らせても得にはなりませんから」

 神殿に納められる良質な茶葉もここでしか飲めないものだ。

 販売してくれたら買うのになと思っていると上から無造作に掴まれる。

「そもそも、怒る理由が分かりません。貴方にとっては、そんなことどうでもいいことでしょう?」

「酷いなぁ。こんなにも人に寄り添う僕がまるで残酷非道みたいじゃないか」

「自分でいい人って言う人ほど信用できないって知ってます?」

 はぁ、とわざとらしく大きな溜息をついてコスモスは大精霊を見上げる。

 何かを探るように見つめていた彼が舌打ちをして片眉を上げた。

「あぁ、いただいた精霊石はすでに吸収済みなのでお返しできないんです。ごめんなさい」

「……分かった。僕が悪かったよ。仲直りしようか、コスモス」

「仲直りも何も、喧嘩すらしてませんよ」

 コスモスがそう言えば風の大精霊は苦虫を噛み潰したような顔になった。

(大精霊なんて人の心が分からないような存在だと思ってたけど、妙に人間臭いというかフランクすぎるのよね、このひとは)

「そうかい。でも、馬鹿にしてるわけじゃない。心配してるから言うんだ」

「あぁ、人は強欲だからですか。でも、私は何と言われようと私の願いを叶えたいんですよね。その為に日々生きてるようなものですから」

 意味も分からず知らない場所に飛ばされて、生身の肉体すらなく漂いながら何とか目的を見つけて必死に生きている。

 この状態が生きていると言っていいのか分からないが、と心の中で呟きながらコスモスは心配だと口にした彼を警戒した。

「コスモスは、この世界が嫌いかな?」

「嫌いじゃないですよ。ただ、私の居場所ではないので」

「……あぁ、そっか」

「そうです。どれだけ滞在して色々な人と会っても異物なんですよ。ああ、でも元の生活の大切さを知ることができて良かったと思いますけど」

 アルズのように転生していたら、元の世界のことは前世として今世を受け入れていたのかもしれない。

 または、メランのようにこうなることをどこかで夢見ていたならテンション高くガッツポーズをしていたのだろう。

 残念ながらそのどちらでもなかったコスモスは、元の世界に五体満足で帰りたいという思いで動いている。

 それがなかったら廃人になっていそうなものだ。

「だけど、あの魔道具は危険だ」

「他に方法あります?」

「ないことは……ないけど、難しいだろうね」

「はぁ……、本当に最悪だわ」

 望んで来たわけではない場所なのに簡単に帰れないなんて勘弁してほしいものだ。

 この怒りは誰にぶつければいいのやらと思いながら、コスモスは盛大な溜息をついた。

(そうしたところでどうにもならないから、帰還する方法を探ることにしたんだけど)

「そもそも、君にそんなことを吹き込んだのはどこの誰なのかな?」

「そこは分からないんですか?」

「ごめんねぇ、流石の僕もそこまで万能じゃないんだよねぇ」

 風の精霊が存在する場所ならば全て把握しているんじゃないのかと思ったコスモスの言葉に、大精霊は苦笑する。

「空の塔にいる動く鎧に聞いたんです」

 他の大精霊もあの存在は知っているようだったので風の大精霊に言っても問題ないだろう。

 そう思ってのことだったが、風の大精霊は不思議そうに首を傾げている。

「空の塔に動く鎧? 動く鎧……どういうことだ」

「大精霊様の間で情報共有とかないんですか?」

「は? 何で僕があいつらと?」

 マジで意味わかんないんだけどとでも言うような顔をされてコスモスは首を傾げた。

 巫女同士は仲が良さそうだが大精霊同士はそうでもないのだろうか。

「チッ、あぁ、そういうことかよ」

「やだー、大精霊様ったらお顔と言葉が怖いー」

「はぁ。本当に面白いよねコスモスって」

 深い溜息と共に吐き出された言葉は褒め言葉として受け取ることにしてコスモスは「えへへ」と笑う。

 力強く揉まれたり引っ張られたりしているが、柔軟性があるのかよく伸びる。

 そしてあまり痛くないのは痛みを和らげるような防御膜を重ねているお陰だろう。

 風の大精霊は、破壊するそばから再生していく防御膜を観察しながら周囲に近づいてきた風の精霊に耳を傾けた。

「邪魔をするわけじゃないけど、他の方法をオススメするなぁ」

「代替案は?」

「動く鎧とやらに提案されたなら、そいつが代替案を出すさ」

(押し付けるのか……でも、随分と余裕が戻ったみたいだけど)

 さすがのコスモスも神殿内で大精霊とのスキンシップという名のバトルは避けたい。

「反撃とかひどくない?」

「大精霊様こそ、私に痛覚が無いと勘違いされているのでは?」

「遮断できるくせによく言うよ」

「それを言うなら大精霊様だって」

 アハハハ、オホホホホと二人の笑い声が部屋から響き渡って近くを通りかかった神官はひどく怯えたという。




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