その② 魚を美味しく食べる方法
さて、前回はバスフィッシングというリリースを前提とした釣りを例にしたが、釣り人は『食べる釣り』を愛好する人数の方が断然多い。
元々『釣り』というものは『漁』を起源としているので、これは当たり前の事だが、この場合さらに事態は複雑なものになる。
だいたいにして、釣りたての魚というのは旨い。
獲られてからの時間経過が販売されている鮮魚とは比べ物にならないので当然である。
しかも『こだわる』という事に『こだわる』釣り人は、どう食べるのが旨いのかその研究に努力を惜しまない。
今日はなかなかに大漁だったな。大物が釣れなかったのは少々残念だったが、それは次の楽しみにとっておこう。それよりもこのイサキをどう料理してくれようか。
煮付けじゃあもう飽きてきたし、刺身じゃあつまらない。なんかすごい料理で日頃釣りにうるさい嫁と娘を見返してやろう。
そんな事を考えながらふとイタリア料理店の看板を目にしてしまう。
こだわりスイッチオン、の瞬間である。
そうだ、『アクアパッツア』
そういえばこの前料理番組でにこやかに笑いながらイケメンシェフが作っていたな。
そのどうしようもなくお洒落なネーミングとイタリアンという都会的な雰囲気、まさに俺が作るにふさわしい料理ではないか。
実際そう珍しい料理ではないのだが、重要なのは『思い込み』である。
さっそくスマホのホーム画面のど真ん中にあるレシピサイトのアプリを立ち上げ、『アクアパ』で検索を開始する。ずらりと並ぶレシピの中から、出来るだけ『簡単・なんちゃって』などの言葉を排除して、『本格派・たまには家でレストラン気分』とか入っているレシピを選び出す。そしてふむふむそうかと熟読すると、そのまま意気揚々とスーパーへと向かう。
まずアサリは外せないだろう。トマトはブランドに限るな。国産車海老、素敵じゃないか。そうだ、エクストラバージンオイルも必要だな。
この際、家の台所に何が在庫されているかはまず考慮されないのが常である。
鮮魚コーナーでふと見つけたイサキが格安の値段で売られていたが、それはあえてスルーするか、鮮度が違うよ、などと自己満足でしかない理由をつけて納得する。
さて会計をしてみると、今日釣りに使った餌代を遥かに超えてしまっているが、『張り切る釣り人』に躊躇の二文字は存在しない。
かくして、ただでさえ帰りが遅くなって夕食が遅れているにも関わらず、手の込んだ料理が開始するのである。
普段奥様はくそ重いので全く使わない、工房の刻印の入った出刃包丁を取り出し、慣れた手つきでさばいていく。もちろん誰も見てはいないのだが基本したり顔である。
材料の下ごしらえを済まし、そこで白ワインが無いことに気付き急いでコンビニに買出しに行く。
なければないで調理用の日本酒で代用できそうなものだが、お洒落なイタリアンに日本酒など言語道断なのである。さすが『こだわる男』はちがうな、と自転車を漕ぎながらほくそ笑んだりするのだが、所詮コンビニで売っている白ワインなど廉価版である。
その間に奥様が調理を進めていることは無い。『余計な手出し』を好まない事を、釣り人の伴侶は賢く認識している。
こうしておよそ二時間もかけて出来上がった『アクアパッツア』は、丁度いい大きさがなくて和柄の大皿に盛られていたりするのだが、新鮮な材料と、高価な食材、きっちりレシピ通りに計られた調味料を擁しているので、味は申し分ない。お腹が空いていればなおさらである。
その結果『釣り人こだわりの新鮮イサキと魚介を使ったアクアパッツア』は嫁と娘から「うん、美味しいね」と社交辞令じみた感想を受けるのだが、それはつまり『絶賛』と捉えるのが正しい勘違いのあり方である事は言うまでもない。
実は今日奥様と娘さんは父親の留守中にショッピングに出かけ、お昼に行列の出来る有名店のイタリアンランチを楽しんでいたのだが、それを全く口にしないあたりが狡猾この上ない。
こうしてイサキは父親の威厳を上げるという最高の役目を果たしたことにされ、釣り人は次の釣行と新たな魚料理の研究に情熱を燃やす結果となる。
ちなみに白ワインとエクストラバージンオイルとハーブ類が大量に残されるため、ここから数週間は食卓のイタリアン率がぐっと高くなるのだが、そこは奥様がちゃんと嫌味を用意しているので、文句は言えないシステムになっている。
まあ、踏ん反り返って何もしないくせに文句だけ言う親父なんかよりは、ずっと素敵だけどね。