その① 前置き的な
一つ前提として断っておきたいのは、ここでいう『釣り』とは、「よく飽きないもんだねえ」と常々周りから少々の呆れ顔を伴って言われる類の『釣り』である。
そういう『釣り』をする人物は、体が少なくとも半分以上『釣り』で出来上がってしまっている。
「行きつけの店は?」と聞かれると最初に釣具屋が思い浮かぶ。書店に行けば100パーセントの確率で釣り雑誌コーナーへ向かう。釣り動画サイトをお気に入りに登録し、衛星放送は釣り番組を見たいが為に加入した。フェイスブックを開けば、友達の約80パーセントが魚を誇らしげに掲げた写真をプロフに使用しており、一人でいる時にふと気がつくと『合わせのタイミング』をシュミレーションしてしまっている。
あえて言おう「病気である」と。
おそらくは一生覚める事の無い『熱病』である。
この病気にかかる経緯は、親からの遺伝、友人からの伝染、漫画やアニメからの洗脳等、人それぞれであるが、共通して言えるのが、『欲深い』という基本体質の持ち主であるという事だ。
言い換えれば『満足しない』性質である。
病魔はこの性質を持つ人物を絡め取るように蝕み、そして骨の髄まで入り込む。
例えば、「今日は50アップのバスを釣りたい」と意気込んで野池に行ったとしよう。
朝靄が立ち込める水面は、いかにも釣れそうな雰囲気を醸し出している。この日の為に、昨日釣具屋で2時間以上悩んで選び抜いたルアーを投入する。一緒に買ってしまったDVDで見た某プロの映像を思い出しながら、神経を研ぎ澄ましてルアーにアクションを入れる。
はたして、「ここだ」と踏んでいたポイントにルアーが差し掛かった時、引っ手繰る様なバイトが竿を握る手に伝わり、反射的に入れた完璧なフッキングが決まって、自慢のロッドが大きく孤を描く。
糸鳴りが耳を突き、アドレナリンが平常時の数倍分泌される。「おっしゃ!」と誰もいないのに叫び、心臓が高鳴るのを必死で抑えて冷静を装ってやり取りを続ける。
そしていくばくかの攻防の後、その手にしたのは『50アップのバス』である。また誰もいないのに「おっしゃあ」とガッツポーズを入れ、ドラマチックな一匹に酔いしれる。
写真を撮り、フェイスブックで仲間に報告を入れ、無事リリースを済ます。
だがここで、この『夢にまで見たような出来すぎた一匹』はあっさり『リセット』されてしまう。
フックやラインをチェックする人もいるだろう。愛煙者なら一服を決めるかも知れない。
しかしこの時すでに頭の中は、『次の一匹』に大方を支配されている。
もしこれで満足して帰ってしまう釣り人は、時間がなくて実はやせ我慢をしているか、もしくはものすごくお腹の調子が悪くてぎりぎりだった、かのどちらかだろう。
普通に病気にかかっている釣り人の場合は、ここからがまさに『真骨頂』なのである。
同じパターンでもう一匹、いやさらなる大物を・・・釣れない。
ならばルアーを変えてアプローチも変化をつけて・・・釣れない。
少しポイントを変えてみよう。池を見回し、似たようなポイントを責めるも・・・また駄目。
まだまだ、池を半周もしてないじゃないか・・・徒労に終わる。
よし、ランガンだ。この近くにも池はいっぱいある・・・こうして、日は暮れて行く。
結局疲れきった体で家路に着き、そしてまた翌日から仕事場や教室で、次の釣行に向けた不毛なシュミレーションを繰り返していく。
ここで始末に終えないのは、『上手くいって次が釣れちゃった時』も同じ経緯を辿ってしまう事である。最後の最後で祈るように投じたルアーに釣れたりすると、それはもう次の釣行までの妄想をさらに大きく膨らませる要因にしかならない。
結局、『満足しない釣り人』の戦いは延々と続いていく。
そして一生を終えるその瞬間にも「ああ、もっと釣りたかった」と後悔することになるだろう。
それでもきっと、『釣りを好きだった』事には、満足して笑うのだろうけど。