第08節
荘厳なまでの神秘性に包まれていた預言者の間はたった一人の招かれざる者によってそこはすでに幾重にも死臭の漂う無残な場所へと変貌してしまっていた。
磨きぬかれた大理石の床や彫刻を施された柱といったところはことごとく傷つき、床面は赤黒いものに染め上げられてすでに異臭も放っていた。
女王の命によって北の離宮に従事する者達が広間に駆けつけると、誰もが例外なく広間の惨状に顔を顰め、視線を逸らした。
城に従事するものたちにとって北の離宮に侵入者を許したことも、その大広間の変貌振りを目の当たりにしたショックは大きかったが、城にある人たちにとってそれほど大きなものであったというわけではない。
この騒動で最も衝撃を受けてしまったことは、北の離宮の主ともいうべき者はすでにいないという事実を突きつけられたことにあるだろう。
預言者は広間の垂れ幕の奥において屍として姿を露にした。
今のところは城内の者達の間で話は止まってはいるものの、もはや市井にこれらの事実が流れることは誰にも止めることが出来ないものとなるだろう。
市井はおろか、北の離宮において従事する者達でさえ預言者の存在を確認できずにいたことによる疑念が生まれている者も少なからずあったほどである。
これまで謎に包まれていた存在でもあった預言者ではあるが、その存在は既に無いということはラクローンにとってどれほどの衝撃を与えることになるということは城内に従事する者たちには想像することも恐ろしいものとなっていた。
されど城内の者たちに知れ渡ってしまった以上、かつて厳戒に秘匿され続けていた北の離宮は今回の騒動によってその様子を大きく世に晒すことになることも最早時間の問題ともいえる状況となりつつあった。
そしてその話題が波及する速さも凄まじいものであろうということも。
預言者がすでに死していたという事実はこれまでそれを目的として旅を続けていたガイナーにとっても大きな衝撃としてのしかかって来てはいたものの、ガイナーの心情はそれよりも大きなショックを受けてしまっていた。
広間での騒動の後、ガイナーたちは一旦離宮を離れ本城の客間へと案内されることとなった。
そこは国内外での要人や有力な諸侯に宛がわれる部屋であり、室内においても豪華な装飾が施されたものであった。
同様に細部にまで彫刻や装飾のなされた扉をノックして入ったその一室でフィレルは力なく項垂れるガイナーの様子を見てとれた。
「エティエルの様子はどう…?」
フィレルの問いにガイナーは力なく首を振る。
ガイナーの様子を見てからベッドに横たわるアクアマリンの髪の少女に目を向ける。
ベッドには今も目を覚ますことなくエティエルは眠っていた。
「そっか…」
ややため息混じりに言葉を出すとフィレルはもう一度ガイナーの様子に視線を戻す。
あのとき、ガイナーを庇うようにドミニークに取り込まれていった少女であったが、ドミニークは少女を取り込むと、その直後から突如としてその身体を肥大させてそのまま四散させていった。
これまで縦横無尽に暴れつくした化け物がなぜ消滅していったのかを疑問視するも、爆散する中で少女エティエルは一人両腕を広げ静かに眼を閉じたまま立っていた姿を垣間見たとき、広間にいた者たちは皆ドミニークの消滅よりも、ドミニークを消滅させるに至った少女の力に驚きを覚えずにはいられなかった。
少女の着衣はドミニークの体液によってボロ布に近いものへと変わり果ててはいた。
そしてその身なりのまま、床に崩れ落ちていった。
「エティエル。
エティエル!!?」
広間の惨状に呆然とした様子で見るものもあるが、その中で悲痛なまでの叫びを繰り返す。
慌ててエティエルを抱きとめたガイナーは少女の鼓動を聞いてやや安堵するも、エティエルはすぐに意識を取り戻すことはなかった。ガイナーはエティエルの身体を揺さぶるも、眼を覚ますことはなく、ただ力なく項垂れていた。
ある程度の事態の収拾を見せた北の離宮より本城の客間へと案内されたガイナーたちだった。エティエルも同様に運ばれたものの、女王のはからいによって城に常駐する医師に診てもらうことが出来たのは幸いだった。
「エティエルの様子はどうなの!?」
フィレルはエティエルを診察する医師に向かって声を荒げて問いかける。
「フィレル。」
この時点においてガイナーは未だに冷静な姿勢であり、やや熱を帯びたフィレルを嗜めるといった姿を見せてはいた。
ある程度エティエルを診察した医師はややお手上げといった具合なのか、淡々とした様子で状況を説明する。
「そのときの状況がどうであったのかはくわしく存じ上げません。結論から言いますと彼女には全くもって外傷がありません。」
「無傷…?
それじゃ目を覚まさないのは一体どういうことなのよ!?」
淡々と話す医師に苛立ちを募らせながらフィレルは食ってかかるようにまくし立てる。
「こ、これに関しては憶測ではありますが…おそらく異常なまでの魔力の放出からの精神の疲労によるものでしょう。」
「魔力の放出!?」
「左様。私めもこれほどの魔力を内に秘めた者は見たことがございませんが…」
「・・・・・」
王城に常駐する医師は医術のみならず魔法に関してもそれなりに博識でなければならない。
元来、この世界の人類には個人差というものはあるものの、少なからず魔力というものが備わっている。
この世界の総てのものに魔力というものが備わっている。自然界はもとより、動物、人類、そして魔物とて例外ではない。
しかし、魔力があるからといって全てのものが魔法を具現化することが可能というわけでもない。
多くの魔力を有し、尚且つ具現化させるための理を身につけたものだけが初めて魔導師となることが出来るのである。
医師においても初歩の回復魔法には精通している。
魔力を放出するという行為はそれだけで精神的な疲労と時には苦痛を伴うこともある。
それはもはや魔法を使役する者として逃れることのできないものなのである。
「こればかりは医術をもってしてもどうにもなるというわけではございません。とりあえずはしばらく安静に身体を休ませることこそ肝要なことと存じます。」
「・・・・・・」
少なくとも医師の見立てにはそれ以上の結論を出すことが出来ないものであった。
一通りの診察を終えると医師は王の客人であるガイナーたちに深々と会釈を交わし部屋をあとにした。
「エティエル…」
ガイナーの目の前には静かに眠り続ける少女の姿がある。
ガイナーとフィレルはベッドに眠ったままの少女の傍らに立ち尽くしていた。
「俺が…
俺がもう少し速く動いていれれば…」
あの時、ドミニークの攻撃を受けた時、僅かな隙を突かれてガイナーがドミニークの中へと取り込まれようとしていた。
それにいち早く気づいたのがエティエルであり、彼女はガイナーを庇うような形でドミニークの中へと取り込まれていった。
結果的にエティエルを飲み込んだことでドミニークは取り込めきれないほどの膨大な魔力を受けて膨れ上がり、その身体を四散させていった。
あまりにもの魔力の放出によるものなのかははっきりとしたことは不明ではある。
だがエティエルはそのまま意識を閉ざしたままの状態ですでに3日が経とうとしていた。
「そんなことないわよ!!
ガイナーだってあんな化け物相手によく戦えたわよ。」
フィレルの言うことに誰もが反論することはありえない。
しかし、ガイナーは自らの行為によって目の前に眠る少女を危険に晒してしまったことに憤りを覚えずにはいられなかった。
「…大丈夫よ、医者だって魔力の消費ってやつ?…疲労によるものだって言っていたんだから。」
「ああ…」
「…でも驚きよね。エティエルにこれほどの魔力があっただなんて。」
フィレルは今回のことでエティエルの魔力の片鱗を垣間見ることは初めてのことだっただけにフィレル自身衝撃的なことだった。
「…ああ。」
対照的に先程からガイナーはエティエルの方に目を向けたまま力なく頷くのみだった。
「もう、それよりもガイナーの方こそ休んでおきなさいよね。」
「・・・・・」
医師の言葉を疑うわけではないにせよ、ガイナーの表情は未だに曇ったままだった。
エティエルの意識が戻らないままの間、ただじっとガイナーは部屋でエティエルの様子を伺うだけだった。
「…はぁ…仕方ないわね。」
ガイナーの様子を見ながらフィレルは半ば諦めがちに部屋をあとにする。
“もしかしてエティエルより重症じゃないかしら?”
不意にガイナーの様子を見て思ってしまう自身にやや呆れがちに溜息を吐く。
「…これは早くお姫様にお目覚めになっていただかないと、駄目みたいね…」
誰に言うわけでもなく、フィレルは城の高い天井を仰ぎながら一人呟いて長い廊下を歩き始めた。
すでに城の外は闇夜に包まれ北の離宮での騒動などなかったかのように静寂に包まれていた。
それは北の離宮での騒動が市井に波及する前触れのようなものに思えたのかもしれない。
夜の空気は昼間の血生臭い空気をかき消していったかのように澄み渡り、空を覆っていた雲は何処かへと流れ、空には煌々とした月が輝きつづけていた。
月は穏やかな光を地上へと降り注ぎ、白く映えるラクローンの本城を一層美しく際立つものとなっている。
この時期のラクローン地方一帯は北の海から湧き出でくる寒気を帯びた分厚い雲に覆われる日が多く、このような星空と月の輝く夜は実に珍しいものでもあった。
本城にはラクローンの港から海原を一望することができる巨大なテラスがいくつも存在する。
何事もないのであれば幾人かは久しぶりに顔をのぞかせる月と星空に目を向け、その神秘さに思いを馳せることだろう。しかし、現状の城の人々には空一面に輝く月と星空を愛でる余裕など到底あろうはずもなかったが、月明かりの中にやや肌寒さを残すテラスの柵に身を預けて佇む人影が映し出されている。
人影は長身ではあるも遠目から見てもはっきりと確認できる鍛え上げられた腕を晒している。
やや長く感じられる髪は黒く夜風に靡いていた。
何よりもその人物の特徴づける赤い瞳は耳を傾ければ聞こえてくる波音を響かせる海へと向けられていた。
あるいはもっと先の何かに向けられていたのかもしれなかった。
テラスに佇む傭兵を見たものは誰もがそう思ったことだろう。
その姿をテラスへと続く廊下から確認したフィレルは足早にテラスに出ようとしたのだが、ふともう一方の道から来る人影に足を止める。
「あれは…!?」
もう一方の廊下からくる人影もまたテラスに佇む赤目の青年ライサークの方へゆっくりとした歩みで近づいていた。
「女王陛下…?」
思わず柱の影に身を隠してしまいながらフィレルはこっそりと様子を伺うように覗き込む。
二人の声はうっすらとではあるが夜風に乗ってフィレルの方へと流れてくる。
我ながら野暮なことをしていると自覚しつつある。余計な詮索はするべきでもなかったのだが、彼女の性格上それもまた難しいことではあった。
わずかな罪悪感を他所にフィレルもまたその声に聞き耳を立てる。
「…
え…!!??」
二人の声に思わず耳を疑いたくなるような面持ちで咄嗟に口をつぐみ慌てて身を隠す。
「…どういうことなの?」
二人の言葉の全てを把握したわけではないにせよ、会話の内容はフィレルにとっては衝撃的過ぎものであったことは疑いようもなかった。




