第07節
「な…!?」
広間にいた者達の視線が一点に集められる。
動くはずの無いと思われていた黒い巨体は大きく波打ち、赤眼の傭兵が穿った箇所、開いたままの口から赤い液体を湧き水が噴き上がるかのように噴出させていく。
「っ…!?」
噴き出した赤い液体は床に流れ落ち、そのまま巨体を包み込んでゆく。
「な、なんなのよ…これ!?」
フィレルの問いに答えられるものなどいるはずもなく、誰もがただじっと成り行きを見守るほかになかった。
やがて巨体を包み込んだ赤い液体は意思を持っているかのように床を伝って流れて行くと、床に伏したままの衛兵達の亡骸に喰らいつかん勢いで黒い巨体と同様に包み込んでいった。
「!!!??」
衛兵の亡骸を取り込んだ液体は徐々に大きくなり、次第に重力を無視して宙に浮かび上がり、球状に近い形状へと変化を遂げてゆく。
「こ、これは…」
様子を伺おうと衛兵達が球体に近付こうとする。
「迂闊に近付くな!!!下がれ!!!!」
「え!?」
ライサークの一喝で衛兵達はその足を止めるが、すでに衛兵達の命運は定まってしまっていた。
赤い球体は次第に表面に突起がいくつも生じ始め、それらは針のように鋭いものへと変わってゆくことにそれほど時を要することはなかった。
針は瞬間的に伸びて行き、近付いてきた衛兵達を穿ってゆく。
「げぅ…!!」
「ぐぁ!!!」
球体から飛び出した赤い槍によって胸、腹、額を突き刺された衛兵はその場で力なく崩れ去ると、その亡骸は先端が収縮されて球体の中へと飲み込まれていった。
「っ!!!??」
「ひぃ…!!」
辛うじて絶命を免れた衛兵も突き刺さった赤い先端を引き抜こうと試みるもより一層深く突き刺さってゆくだけで、徐々に球体のほうへと引きずり込まれていった。
「や、やめろ!!」
無理やりに傷口を広げたとしても徒労に終わるのみで遂にはその衛兵も球体の中へと飲み込まれようとしていた。
「た、たすけ…」
必死にもがこうとも為す術があるはずもなく、身体は球体の中へと吸い込まれてゆく。
なお何かを掴んでこの場を逃れようと片腕を振るも、力尽きて手の動きは止まる。
そして先ほどの衛兵と同じ運命を辿って行ってしまった。
「…まだだ…まだ足りない…」
「!!?」
赤い球体から発せられる声はどこか声にもならない、むしろ何かが呻いているかのような不気味なものに聞こえてくる。
「まだまだ俺に食らわせろ!!」
その声の主が先ほど暴れまわった獣頭の巨人のものであることは誰も疑いようはなかった。
赤い球体の表面にはうっすらと波打つがごとく波紋が生まれる。それはどこか人の顔のようにも見えなくも無いものだった。
「ドミニーク…」
ライサークには球体の面に浮かぶ面相に見覚えがあった。
名を呼ばれた球体に浮かぶ面相はゆっくりと赤眼の傭兵に向けてくる。
「よくもこんな…テメェのせいで…」
「・・・・・」
「テメェら…今すぐ死にやがれ!!!」
ドミニークらしき面相をうかべた赤い球体の表面が再び波打つ。
「!!!
伏せろ!!!!」
「っ…!?」
赤い球体へと変化させたものの波打った表面からは突如として無数の突起が生じたと思った瞬間、突起の先端は鋭く尖り、その全てが凄まじい速度で撃ち出されてゆく。
「!!??」
「くっ…」
無数の針の応酬は広間全域にまで及び、広間に立ち並ぶ柱、天井に至るまで赤い針の攻撃に瞬く間に削られていった。
広間に立っていた者たちとて例外ではない。
鋭く伸びた槍から逃れた衛兵達もことごとく針を全身で受けてその場に倒れこむ。
ライサークの言葉の反応が早かったガイナーは身を低くして辛うじて針の攻撃を逃れるに至った。
フィレルやエティエルたちもティリアの機転ですぐさま回避することが出来た。
「くぅ…」
フィレルとエティエルを庇う形でティリアは赤い針をその身に受けて苦悶の声を漏らす。
ティリアの背中に赤い染みが滲み出してきていた。
「っ!?
ティリア!!?」
咄嗟にフィレルはティリアのそばに寄ろうと身を起こそうとするが当の本人に手で制される。
「来るな!!
私のことなら問題ない。」
ティリアの苦痛に歪む表情の中に鬼気迫るものがあったのか、フィレルは言葉を飲み込みその場でとどまる。
赤い針を受けたのはティリアだけではなかった。
「っ!?
…ライサーク!!!」
異変を唱えたライサーク自身は無傷というわけにはいかなかった。
本来ならばガイナーのように身を低くして回避することはライサークにとっては容易なことではあった。
しかし、ライサークの背後に立つものたちがあったことがその選択肢を失わせていた。
「ぐぅ…」
「あぁ…」
ライサークの背後、そこには女王と侯爵が為す術なく立ち尽くしている。
いくつかの針は弾き返すことが叶ったものの、その全てに対応できたわけではなく、ライサークの腕、肩にはいくつかの赤い針が突き刺さっていた。
「ライサーク!!!!」
悲痛な叫び声は女王のものだった。
「…
問題ない。急所は外れている。」
辛うじて急所への直撃は免れたのか、ライサークは回りの者達よりはいまだに平静さを保ち続けている。
「ほぉ…かわしやがったか。相変わらず可愛げのない野郎だ。」
「お前のほうは随分と変わり果てたな。
ますます人を捨てたようだ。」
「ああ…この力はいいぜ。
これほどの力があるのならな、別に人であることにこだわる必要なぞねぇんだよ!!!」
「…そうかよ!!!」
そう言い放ってライサークは無傷の腕のほうで闘気を集中させると、ドミニークに向けて気弾を放つ。
気弾は球体のドミニークの顔らしきものが浮かぶ場所に直撃するも、闘気を飲み込んでいくかのように球体の内部へと吸い込まれていった。
「っ!!?」
「ククク…
残念だったな。もう俺にはそんなものは通用しねぇよ。」
気弾を受けて波打った球体に再びドミニークの顔が浮かび上がる。
「くそっ…」
気弾を放った腕を震わせながらライサークは苦虫を噛む。
「この場の魔力は全て貰い受ける。
この俺の力としてな!!」
「何ぃ!?」
そういったドミニークは赤い球体から蔓のようなものが生えてくると、周囲に倒れる衛兵たちの屍体に向けて伸ばす。
「・・・・・」
蔓のような触手は衛兵たちの胴に突き刺し、蠢くと屍は次第に干からびていく様に身体を縮ませてゆく。
「これは…!?
血を吸い取っているのか!?」
残りの屍も例に漏れることなくドミニークから伸びた触手によって血を吸い上げられて干からびていっていた。
全てを吸い取り終えると触手は再び球体の中へと戻っていく。その後の球体は肥大したかのように一回り大きなものへと変化を遂げていた。
「く…こいつ…」
最早これ以上の暴挙ともいえる化け物の存在を許すわけにはいかなかった。
その憤りを露にしてガイナーは床に転がる剣を拾い上げてドミニークに向かう。
「ガイナー!!」
「バカめ!!」
球体はゆっくりとその表面を窪ませると、そこからガイナーに向けて衝撃波を吐き出す。
「っ!!!?」
ガイナーに向けて一直線に放たれた衝撃波を紙一重で身体を捻らせて回避する。
それでもじりじりとした熱気にも似たものを肌に感じ取る。
「いけない!!」
「え??」
ガイナーに回避された衝撃波の行く先にはベルベットの垂れ幕が靡いていた。
バシィィッッ!!!!
「しまった…」
衝撃波は垂れ幕を食い破ろうとした瞬間、爆発する。
爆発により煙が立ちこめ、一時視界を奪っていたが、やがて煙は消えるとボロボロに変わり果てた垂れ幕はその衝撃でそのほとんどを消失し、それによって奥にあるものを曝け出していた。
「預言者様は…!?
ご無事であらせられるか??」
「・・・・・」
「む!?」
数段上に位置する垂れ幕の向こうはやや小ぶりな部屋となっており、その中心には玉座が存在していた。
その玉座には白を基調とした金の刺繍を施された法衣をまとった人物が腰掛けられている姿があった。
「!?
何だ…??」
「何よこれ…!!?」
だが、その姿というものがあまりにも変わり果てたものだったことがフィレルのみならず皆を驚かせた。
法衣をまとって玉座にある者はすでに屍と化していた。
しかし、それは亡骸となったのは今しがたのことでもなく、最近のことという訳でもない様子であるように見える。
もはや肉は腐り落ちて白骨と化している骸は早くとも死してから一年以上は経過したものと見受けられた。
その姿を誰もが初めて見ることだった。
すでに預言者が息絶えていていく久しい事実に言葉を失ったのは他でもないこの城の主、そしてそれを助ける侯爵だっただろう。
「そんな…」
「なんということだ。この方が、預言者様であると言うのか…?」
「これが…預言者だと…」
突然目の前に飛び込んできた預言者の姿を同じように目の当たりにしたドミニークにとっても予想外のことだった。
「奴め…どういうつもりだ!?
よもやこの俺を謀ったというのか!!??」
「奴…?」
不意にドミニークの言い様を聞いたライサークはドミニークに目を向ける。
すでに変わり果てた姿のドミニークの表情を読み取ることは出来ずとも、どこかに動揺する部分が見え隠れしていることをライサークは見逃さなかった。
「おのれ…どいつもこいつもこの俺を虚仮にしおって…」
ドミニークは怒りから球体に浮かぶ表情を歪ませてゆく。
しかし、それ以上に憤りを覚える者もいた。
ガイナーは怒りに任せて赤い球体を斬りつける。
ザシュッ!!
「!?」
「むぅ…」
ガイナーの剣は何の抵抗もなく赤い球体に刃を滑り込ませる。
だが液体に等しい状態の球体はガイナーの斬撃をものともせずに剣は外へと抜け出ていってしまった。
「ガキが…そんなに誰よりも早く死にたいのか!!」
距離を詰めてきたガイナーに対しドミニークは赤い球状の身体を大きくうねらせ、大波が押し寄せて覆いかぶさるようにガイナーに襲い掛かる。
「くっ…」
剣を振り切り身体を硬直させてしまっていたガイナーには単調な攻撃なれども、それを回避するための動きへと転じるには一足遅かった。
ガイナーは為す術が無いままにドミニークの身体の中へと飲み込まれていくかに思われた。
「っ!!?」
だがドミニークはガイナーを取り込むには至らなかった。
ガイナーはその場から一気に距離を取り、襲い来るドミニークから逃れた。正確にはガイナーをその場から突き飛ばす者がいた。その者はガイナーと入れ替わるような形でドミニークの中へと飲み込まれていった。
「エティエル!!!」
突然のことに状況を把握できずにいたガイナーではあったが、フィレルの叫びに現状を瞬時に理解した。
「!!??
くそぅ…!!」
エティエルを飲み込ませまいとガイナーはドミニークに手を伸ばすも、ドミニークは球体から伸ばされた棘状の槍によって行く手を阻まれる。
「グフフフ…これはいい。
このような小娘ならきっと美味かろうて…」
球体に波打つように浮かぶドミニークは悦に浸るかのような下卑た笑いを浮べているようだった。
そのうちに球体は大きく波打ち、微細ながら身体を震わし始める。
「おおぉぉ…
なんだ!?この魔力は…」
エティエルを取り込んだドミニークは取り込む魔力に意外な反応を見せる。
「素晴らしいではないか、これほどの魔力を持っていたとは…これなら預言者の力など取り込むまでも無いわ!!」
当初の目的以上のものを手に入れたかのようなドミニークは声を上ずらせるも、それほど間をおくことなく、その様子は徐々に変化を遂げ始めていた。
「な…これは…」
これまでの嬉々とした表情とは一変してドミニークに苦悶の表情が浮かび始めていた。
それに伴って赤い球体は徐々に肥大を始める。
「こ、この魔力の量…は…」
「!?
なんだ?何があった?」
周囲で様子を伺うライサークもドミニークの異変に顔を顰める。
その間にもドミニークの球状の身体はどんどん膨張し、すでに当初の数倍の大きさに変化している。
「ばかな…この俺が…取り込めない…
…ほどの…魔力…だと…」
ついに膨張の限界に達しようとしているのか、これまで何の抵抗もすることの出来なかった液状ともいえる赤い球体の身体に亀裂のようなものが生まれ始める。
そこからは魔力の光ともいえる筋が幾重にも飛び出そうとしていた。
「ぐぁ…やめろ!!!!
これ以上…は…!!」
苦痛に歪む表情を見せるドミニークだったが、それが断末魔の叫びとなりつつあった。
内側から溢れんばかりの魔力の光はやがてドミニークの身体を突き破り、赤い球状の身体は光によって爆散していった。
「!!??」
突然の大爆発にガイナーたちもドミニークの様子を直視することが出来なかった。
しかし、その爆発の中心にガイナーの良く知る人物がいることを感じると魔力の光の消えないままの中へと駆け込む。
ドミニークがいた場には先ほど取り込まれた筈の少女がアクアマリンの色の髪を大きくなびかせたまま、静かに佇んでいたが、光が弱まるとやがてその場に崩れ落ちる。
「エティエル!!」
床に身体を打ちつける前に受け止めたガイナーは眼を閉じたままの少女に呼びかけるも少女から返答は得られなかった。