第06節
これまで獣頭の巨人ドミニークの圧倒的な怪力と殺意の前に為す術がないままに幾人もの衛兵が広間を赤く染め上げていった。
だが突如として乱入した赤い眼の傭兵の登場により、広間の空気ががらりと変化を遂げていこうとしていた。
「てめぇ…よくも俺の邪魔をしてくれたな!!」
赤い眼の傭兵、ライサークを凝視してドミニークは怒りの表情をむき出しにする。
「…今度こそあの世へ送ってやるぞ。ライサーク!!!」
「え…?」
巨人が言い放った名前に表情を変えた者もいた。
離れたところにフィレル、エティエルたちと様子を見守っていた女王は巨人の前に立つ青年に目を向ける。
「どうして…?」
女王の手に力が込められているのを自覚しながら赤い眼の傭兵の後姿を見つめ続ける。そこにはどこか複雑な思いが入り混じっているのを感じずにはいられなかった。
「ライサーク…」
「…持っていろ。」
どこか近寄りがたい雰囲気を漂わせている感じのするライサークがそう言って背後のガイナーに投げ渡したのは鞘に納まったままの剣だった。
「俺の剣…」
それはガイナーが広間の入り口において使用人に預けておいたこれまでガイナーが愛用してきた剣である。
鞘に納まったままではあるも、その鞘は剣に合わせたものではなかったのか、鞘の先端は切り取られ、切っ先がむき出しになっているものだった。
「こいつのことを知っているのか!?」
「…こいつはドミニーク。クリーヤの城砦にいた奴だ。」
「クリーヤの城砦!?
…ってことはこいつ、サーズの仲間か?」
「…そういうことだ。
むしろ親玉といってもいいかな。」
「っ!?」
サーズという名詞にガイナーの目に怒りの色がこみ上げる。
以前、瀕死のガイナーを救ってくれた小さな集落を毒というこの上ない卑劣な手段をもって無惨に虐殺した挙句、逃げまどうクリーヤの村々の人々までも手に掛けようとした男。
ガイナーの手によって何とか撃退することが出来たものの、サーズによって奪われた命の多さを見て未だに赦し難い者の名であった。
「こいつが…」
「ほぅ…小僧、サーズを知っているのか。」
「…!?」
二人が身構えた時にはドミニークはゆっくりと立ち上がり二人を見据えていた。
「サーズの奴め、あやつの好きなようにさせてやったものを…」
「なに…」
「たかがライティンのカスどもを根絶やしにすることさえ出来なかったのだからな。」
「お前…」
サーズに行動の自由を許したのが目の前の獣頭の巨人ドニミークによるものであると知ったガイナーの心の内にも小さな変化が生じ始めていた。
「あいつが一体何をしたと…思っている。」
「あ?」
「あいつのせいで…マールの人たちは…エティエルは…」
「ガイナー!!」
「…!?」
「…ともかく今はこいつを倒すぞ。」
「…ああ。」
ライサークの言葉にガイナーは我に返る。
そして鞘から長剣を抜き放つ。
どのような経緯を以ってライサークがこの場にやってきたのかはガイナーにとってはとかく気にするところではなかった。
むしろ、この危機的な状況の中に頼れる存在が駆けつけてきてくれたことが何よりもの救いとなっていた。
「てめぇの親父といい、どこまでも俺の邪魔をしてくれる。」
「・・・・・」
ドミニークの言葉にライサーク自身も黙ったままでいるも、静かな闘気をあらわにする。
「何であれ、お前がここで終わることに変わりはない。」
「ぬかせ!!!!」
ドミニークはこの上ないほどの咆哮とともに力任せに豪腕を二人に向けて叩きつけてくる。
これまで鉄塊を軽々と振り回せたほどの豪腕である。まともに食らえば斧の直撃とさして変わることではなかったが、ガイナーとライサークは左右に分かれて跳び避けて側面に回りこむ。
このとき、ドミニークはライサークに狙いをしぼり、半減した視界に赤眼の傭兵の姿を追う。
「ちょろちょろと…!!!」
巨躯には考え付かないほどの動きを繰り出しながらライサークを執拗に追いかけて拳を繰り出す。
対するライサークのほうもドミニークの動きを把握している様子で動きを先読みしながら回避を続ける。
「たあぁぁっっ!!!」
巨人の背後に回ったガイナーは隙を見てドミニークに向けて斬りかかる。
当然ながら甲冑を狙うわけではなく、むき出しの首から上に剣を振るわせる。
「うぬ…」
ライサークを後一歩のところで追い詰めたと考えていたドミニークにガイナーは絶妙のタイミングをもって斬りかかることによりドニミークの注意を瞬間とはいえガイナーの方に向きなおさせる。ガイナーもドミニークの逆撃を被ることのないように脚を使ってドミニークを翻弄させる。
そのわずかな隙を突いてライサークは懐に潜りこんで黒い甲冑に自身の拳を叩きつける。
ドゴオォン!!!
「ぐっ…」
甲冑に当たる瞬間に拳にこめられた闘気によって閃光とともに小さな爆発を生じさせる。
ライサークの打撃はドミニークの硬い甲冑に小さいながらも亀裂を生み出し始めていた。
「おのれ…」
ドミニークの顔は徐々に苛立ちを募らせていく。
これまでの鋭い戦闘術の冴えを見せていた巨人は次第に豪腕を力任せに振り回すような戦術に変わっていく様子をライサークは見逃さなかった。
単調な動きで豪腕を振りかざす巨人の攻撃を再三回避し続けると、一気に懐に飛び込んで亀裂の入った甲冑に再び打撃を叩き込む。
「ぬぐ…」
拳撃は亀裂の入った甲冑を突き破らん勢いで刺し込まれ、その部分はライサークの打撃に耐え切れず、その一部を砕いていった。
「…なんという奴らだ。」
二人の様子を遠目から伺う周囲の者達は固唾をのんで見守るほかに無かった。
「くそぅ、いちいち癇に障る野郎だ!!」
苛立ちをさらに募らせてドミニークは懐に張り付いたライサークを引き剥がそうと両腕を叩き付けようと振り上げる。
「ガイナー!!」
ドミニークと距離を開けたライサークの言葉を受けてガイナーはドミニークの死角となった右側から一気に距離を詰め、自らもドミニークの懐に飛び込んで剣を突き入れんと左手を剣の柄に添える。
「たあぁぁっっ!!!!」
「ばかが!そう何度も何度も食らうかよ!!!!」
ガイナーの動きを見越していたかのようにドミニークはガイナーの剣にあわせて拳を振りかざす。
最早双方ともに回避不能な状態にありながらも、ガイナーは突きから瞬時に斬撃の体制に身体を捻らせて迫りくる拳に斬りかかる。
ガキィィン!!!!!
「っ!!!!??」
拳と剣が激突したとき、勢いに優る巨人の拳に軍配が上がり、ガイナーは剣もろとも弾き飛ばされていった。
「ぐっ…!!」
床に叩きつけられたガイナーであったが、何よりもダメージの大きかったのはガイナーの剣であるといえる。剣はドミニークによって真ん中から完全に折られてしまっていた。
これまでの多くの激戦をくぐり抜けてきたことも起因するところではある。そこにこれまでに無い大きな負荷がかかったことにより、剣は完全に砕け散った。
だがドミニークの攻撃はこれで終わったわけではない。
ガイナーが折れた剣に意識を向けている隙にガイナーに向けて追い討ちを加えるべく巨躯を突進させてこようとしていた。
「ガイナー!!」
フィレルの叫びにガイナーはドミニークの追撃に気付くが、現状においてガイナーに回避の術は無かった。
「くらえ!!!!」
ドミニークのガイナーへ拳を叩き付けようと振り上げたとき、ドミニークの側面から光弾が両者の間に割って入り込む。
「ぬぅ…!?」
ライサークの放った光弾によってドミニークは動きを止めた。
それはガイナーに反撃の機会をもたらすものへとなっていた。
剣が折られたことによってガイナーの戦意が消失したというわけではない。
すぐさま体制を立ち直らせて折れた剣の柄を握りなおし、ドミニークに向かって斬りかかる。
「うおおおぉぉっっ!!!!!」
「小癪な小僧が!!!」
ドミニークは今度こそガイナーを己の拳で粉砕しようと気合の篭る咆哮とともに腕を伸ばす。
渾身の力を込めてドミニークに向けるも、すでに刃の折れた剣で戦うガイナーがドミニークに屠られると誰もが思っていた。
しかし拳と剣がぶつかり合ったとき、先ほどとは異なる結果を生み出したことに誰もが驚愕した。
「なにぃ!!!!??」
ドミニークの拳を覆う分厚い黒い篭手はガイナーの斬撃によって粉々に砕かれていった。
この結果に誰よりも驚きを覚えたのは攻撃を受けたほうだったことであろう。
篭手を砕かれたことによってドミニークは一歩二歩後ずさり、ガイナーから距離を取る。
距離を取ったことでガイナーの剣に起こった変化を見ることが出来たとき、ドミニークの表情に驚愕を覚えるものが表れていた。
「そんなばかな…」
ガイナーの剣は一度目の衝撃で真ん中辺りから完全に折れてなくなっていた。
にもかかわらず当たり負けたのはドミニークのほうだった。
「ぬぅ…!?」
ドミニークの見たものはガイナーの剣から発せられる青白い光の膜で覆われているような状態であり、それを見たとき、ドミニークの表情はさらに驚きの色を付随させた。
ガイナーの剣から発せられる光はかつて剣の先端が存在していた部分にまで伸びている。
しかし、光が発せられるような事象をガイナー自身においても全く起こりうることがないと考えていなかったわけではない。
ドミニークとサーズに対する憤りによって衝突したことによってガイナーの身体に自覚できるほどの異変が起こりつつあったことにある。
そのとき、ガイナーの身体にざわついたような感じを覚えると、体内の血液が一気に沸きあがってくるようなものがあった。
身体の温度は上昇し、鼓動は一気に速まりをみせる。されどもある一定の線を境にどこか落ち着いたようなものへと変化を遂げた。
そこから先は全身の神経が研ぎ澄まされ、手にした剣においても神経が通っている気がした。
その感覚をもったとき、ガイナーは周りから見れば勝算の無い無謀なものと思われる行動に踏み込んでいた。
「ほぅ…」
以前ガイナーに対してわずかな助言めいたことを言ったことが記憶にあっただけに、ガイナーの剣の現状にライサークは感嘆の声を漏らす。
「たあぁぁっっ!!!!」
剣からは青白い光を放ったままガイナーはドミニークに詰め寄る。
再び迎え撃たんとドミニークは反対の手で光弾を生み出し、ガイナーに放つ。
ザシュッ!!!
「な…」
光弾はガイナーの青白い光を放つ剣によって弾かれていった。
返す刀でそのままの第二撃でドミニークの甲冑に斬りつける。
ジャシュッ!!!!
甲冑はまるで布で出来ているかのようにガイナーの剣によって切り口を残す。
なおも追い討ちをかけるように胴体に向けて斬りかかる。
「おのれ、こんなことが…」
苦痛と屈辱で顔を顰めながらなおもドミニークは闇雲に腕を振ってガイナーを引き離そうとする。
それはドミニークに大きな隙を作ることであったことにドミニーク自身攻撃を受けるまで気付くことはなかった。
ドゴオォン!!!!!
「がっ…!!?」
ガイナーを振り払おうと躍起になっていた隙に赤眼の傭兵によって放たれた光弾は的確にドミニークの頭部に命中する。
不意に生じた爆発による衝撃によってドミニークは前後不覚に陥る。
ガイナー、ライサーク双方の連携によってドミニークは翻弄され続け、膝を折って姿勢を崩す。
ガイナーは再び剣の柄に手を添えてがら空きになった胴体に青白い光を帯びた剣を甲冑の裂け目に突き刺した。
「ぐぁ…」
剣は深々と突き刺さるも、ドミニークの身体に食らいこんだまま根元から折れてしまう。
ガイナーの手に残るのは刃の無い柄のみがあった。
ズドム!!!!
「げぅ…」
追い討ちをかけるように剣の刺さった箇所に鋭く熱い衝撃を受けてドミニークはこれまでにない苦悶の表情を浮べる。
新しい苦痛を味わったのとほぼ同じ間隔でライサークは渾身の闘気を込めて胴体に突き入れていた。それはガイナーの折れた剣の刃先をドミニークのさらに奥深くへと食い込ませるものへとなった。
「だから詰めが甘いと言ったのだ。」
「ぐぅぅ…てめぇ…」
「爆ぜろ!!」
ズドオオォォンッッ!!!!!!
「ぐわあぁぁっっっ!!!!!!!」
ライサークの一喝とともに凄まじい爆発音が響き渡る。
これまでにない衝撃を発生させたライサークの闘気は一気にドミニークの中を駆け巡ってゆき、いかなる攻撃も受け付けなかった黒い甲冑に亀裂を生じさせる。
それはドミニークの身体の内側から大きな爆発を生じているかのようだった。
「こ、この俺が…こんなやつらに…!!!!」
大きな衝撃音とともにドミニークから凄まじい閃光に包まれてゆく。
この場にいた者たちはあまりにもの閃光に眼を覆う。
「どうなったんだ!?」
漸く目が慣れてきて視界が開けてくる。赤眼の傭兵が立っている足元には獣頭の巨人が仰向けに倒れこんでいた。
巨人はピクリとも動くことはなく、残された片目は見開かれたまま天を仰いでいた。
その周囲には黒い甲冑の残骸といえるものが転がっている。
露にされた甲冑の内部も頭部と同じような黒い体毛で覆われていた。
「仕留めたのか…?」
「…手ごたえはあった。」
ライサークは巨人を倒したことを肯定するわけでもなく、じっと巨人を見下ろしている。
赤眼の傭兵のやや曖昧な返答をすることがふと気にはなった。
ガイナーにもドミニークの気配を感じられるものではなかった。
「だけどこいつどうやってここに…??」
巨人が突如として現れたことに未だに釈然としない部分がガイナーには残されている。
「おそらくだが…」
ガイナーの背後で口を開いた者に顔を向ける。
「ティリア…?」
「ガイナー、そいつはお前を目指してきたやも知れないな。」
「俺…が??」
女王の側に立つ黒衣の少女ティリアの言葉にガイナーは戸惑いを覚えるも、彼女の指差すほうを見てハッとなる。
それはガイナーの腕に巻かれている包帯で覆われた傷であった。そこからは激しい動きによって開いてしまったのか、赤黒い染みをさらに拡大させてしまっていた。
「どうやら、傷口が開いちゃったみたいね。すぐに新しいのに取り替えないと。」
「ああ…」
フィレルの言葉に相槌で返しながら、ガイナーは宿において起こった出来事を振り返る。
「まさか、あのときの…??」
あのとき、油断していたとはいえガイナーが不意打ちを受けて襲い掛かる男から深々と短剣を突きつけられ、男はガイナーを刺した凶器を手にしたままいずこかへと走り去っていった。
一見すると普通の短剣による傷でしかない。
だがその短剣に付着するガイナーの血によってガイナーの今いる位置を把握させることが出来るのであれば…
「憶測でしかないが、あのときの短剣を媒体にして転移魔法を行ったからこそ、結界の施されたここに侵入を果たせたのかもしれない。」
「そんなことが…」
「…別に不可能なことではない。」
「「!!!??」」
突然の返答に誰もが凍りつくような感覚を持っていたことだろう。
声の主はすでに倒したと思っていた黒い巨体から発せられていたのだから。