第04節
たとえラクローンの親衛隊のみが身につけることを許された銀製の剣の強度をもってしても巨人の黒い甲冑に刃が通るとは考えにくい。
しかし、剣の刃先が何の抵抗もないままに、堅い感触さえも残さない程に巨人に対して食い込んでゆく。
ガイナーの突き入れた剣は巨人の兜の隙間を抜けて、怪しく輝きを放つ右のほうの目に深々と突き刺さっていた。
「グギャァァァッッッ!!!!!!!!」
突然に襲った衝撃からか、巨人の咆哮はこれまでにないものだった。
ガイナーは突き刺したままの剣から手を離し、巨人から大きく距離を取って様子をうかがう。
あまりにもの衝撃からか、巨人は大きく仰け反り激しく頭を振ったことによって装着していた兜が外れ、床に甲高い音を立てながら転がり落ちる。
「…っ!!??」
「これは…!?」
むき出しになったと思われる顔は最早人とは形容し難いものであったことにその顔を見たものは誰もが言葉を失った。
そこにあったのは人のものというよりも、獣の頭部。兜の飾りと思われていた巨大な角は耳のすぐ上から生えているようなであり、左右に広がるように曲線を描いて伸びている。口元も左右に裂け込みその隙間からは巨大な牙が露となっている。
頭部全体を見るに巨人の様相は牛の頭部を象っているかのようだった。
「グゥゥゥ…」
巨人はその場でうずくまるかと思われたが、その場で踏みとどまったままに大きく巨躯を震わせながらも前傾姿勢をとり、ゆっくりと突き刺さったままの剣を左腕で掴むと勢いよく引き抜いた。
剣はそのまま巨人によって片手で捻じ曲げられ床に叩き付けられ、大理石と金属が強い衝撃を受けた音が広間に反響する。
剣には赤みを帯びながらもどす黒い液体が付着しており、大理石の床にぶつかった際にその液体で床の一部を染め上げた。
巨人の傷口からも同じ液体が僅かに噴き出し、兜から甲冑へと滴らせていった。
「テメェ…」
不意を突かれたとはいえ、まさかのダメージを受けたことに巨人は憤りで身体を戦慄かせ、残された眼光を一層怪しく輝かせ、剣を突いた張本人に向けていた。
「・・・・・」
これまで以上の激しい敵意を一身に受けたガイナーにはうっすらとではあるも冷や汗ともいえるものが流れるのを自覚する。
「よくもこの俺様に…」
巨人はその場で天を見上げるように身を反らせ大きく息を吸い込み始めたかと思うと、そのままガイナーに向けて息を吐き出すのと同じように大きく開口する。
しかし、息とともに口から吐き出されたのは魔導師に向けて放たれた衝撃波とほぼ同じ類のものであった。
「っ!!??」
足元を狙って打ち込まれた衝撃波をガイナーは真横に跳んで回避するも、その動きは獣頭の巨人に先読みされているところだった。
「な…!!?」
ガイナーの回避した先に巨人はこれまでとは異なる俊敏さをもって距離をつめ、巨大な鉄塊を横に薙ぐように振り回す。
あわやガイナーの胴を寸断されてしまうかに見えたが、ガイナーは巨人の動きを察知し、すんでのところで身を低くして横薙に襲いくる斬撃をやり過ごした。
「くっ…!!」
ガイナーの身体に鉄塊からくる風圧が襲う。
その姿勢のまま身を滑らせて巨人の背後に回りこむと、床に転がったまま放置された衛兵が手にしていた槍をすばやく手にするとすかさず身構える。
「…ちょこまかと。」
背後に回りこんだガイナーに巨人もゆっくりと向きなおす。
剥き出しの敵意は一層強まるものへとなっていくのがひしひしと伝わってくる。
「ライティン風情が…」
ガイナー自身のみならず、この場にあるものたちは異様なまでの威圧感を肌で感じ取っていた。
「よくも俺様の身体に傷をつけたくれたなぁ!!!!!!!!!」
咆哮が広間に反響しながらも、巨人はガイナーに向けて襲い掛かる。
片目を潰されたことの激昂からか、これまでの想像以上の動きでガイナーを屠ろうと重厚な戦斧を風車の如く振り回してガイナーの身体を食い破ろうとする。
「くぅ…」
ガイナーは剣を得手とするが、槍を不得手とするわけでもない。
メノアの自衛団にいた頃からこれまで数多くの武器を手にしてきた。
たとえ槍以外の得物を手にしていたとしても巨人の鉄塊を防ぐ手立てはあるはずもなく、手にした槍はあくまで牽制する以外に使用目的を狭まれた。
巨人の動向を見計らって動きを見せるものもいた。
「…ガイナーがあいつの注意をひきつけている間に行くわよ。」
僅かずつではあるもゆっくりと女王と侯爵を伴ってこの場を離れるべく図っていたフィレルは巨人への対処をこの場でどうすることも出来ぬ状況において、今は自己のやるべきことを為そうとしなければならないという想いがフィレルの中にはある。
巨人がガイナーに意識を向けている間に女王たちを先導すべく駆け出そうとしていたが、その出足を傍らにいた寡黙な少女に阻まれる。
「え、エティエル!!?」
エティエルはその場でフィレルに覆いかぶさるような形でフィレルの足を止めたその瞬間だった。
ドゴォォン!!!
「これは…!?」
フィレルの行く先で爆発が生じる。
フィレルたちの動きを察知した巨人の手によって放たれた衝撃波によるものだったと知るのにそれほど時間を必要とするものではなかった。
「誰が逃がしてやると言った…」
巨人の言葉にはこの場にあるものたちを決して生きたままにしておくつもりは毛頭無いことを如実に表していた。
「すぐにお前達の番が回ってくる。それまでその場でおとなしくしているのだな!!
どうせ逃げられはしないのだ!!!!」
獣頭の巨人はガイナーを狙いとしていながら、広間の周囲の状況を見極めているかのようにフィレルたちの動きに牽制をかけてきた。
「うぅ…」
巨人の威圧を受けてフィレルたちも動くに動けぬ窮地に立たされていた。
エティエルと繋いだままの手にじっとりとしたものがあることを自覚できる。
「このままでは…」
「・・・・・」
フィレルの背後に立つ女王と侯爵はなす術もなくその場に立ち尽くす。
「陛下…」
「…その声は!?」
いつの間にか女王のすぐ側には黒衣に身を包んだ小柄な姿の人影が立っている。
黒衣から見てもしなやかな曲線を持ち、声色から見ても女性であるということは容易に見て取れる。
「ティリア…なのですね。」
黒衣の少女、ティリアはその場に傅きながら言う。
「はっ、遅くなって申し訳ありません。」
「いえ、それよりも…」
「心得ております。この場に相応しき者とともにあります。」
「相応しき者??」
女王はティリアの言葉の意味をすぐに察することが出来ずにいた。
「まずはこの場で身の安全をお考え頂きますよう。」
再び巨人は目の前に立つガイナーを倒すべく戦斧を振り上げる。
巨人が手にする斧は次第に速度を上げてガイナーを死へと誘うべく風斬りの音を唸らせる。
ガイナーは槍を手にしたまま反撃の機会を窺う。
狙う箇所は兜が外れむき出しになった首より上の部分。そこへの必殺の一撃を加える他にない。
しかし、巨人もむざむざと刃を受けるつもりもないといわんばかりに斧を振り回し反撃の機会を奪い去る。
ガイナーは回避行動をとりながら、じりじりと巨人の右側へと回り込もうとする。
すでに右目を潰していることから巨人にとって右側は死角となる角度が大きいものへとなっている。
一際大振りの攻撃が迫ってきたとき、ガイナーはすばやく巨人の右側へと跳び避け、手にした槍を突き入れる。
「ム…!!?」
鋭い突きこみが巨人に向けられる。あと一歩踏み出せば巨人の咽元を貫くと思われていた。
だが巨人の口元はどこかほころんでいる様子を見てガイナーは一瞬、危機感を覚える。
巨人はガイナーの動きを見越した上で大振りを仕掛けガイナーに頭部への攻撃を誘発させた。それに気付くにはほんの一瞬ではあるも遅かった。
大振りに振りぬいた斧は瞬時に返され槍を弾き飛ばしていった。
「しまっ…!!!」
危機感を感じたことによって僅かに距離をとっていたことが、辛うじて斧の直撃を免れはしたが、結果として次の一撃を呼び込むことになったに過ぎなかった。
大きく振り上げられた鉄塊はガイナーの頭上から今まさに叩き潰さんと唸りをあげて落ちてくる。
「ガイナー!!!」
「っ…!!!!」
ドゴォォン!!!
「…!!???」
ガイナーと鉄塊が接触すると思われたその瞬間、突然目の前で爆発が生じた。
思わず眼を閉じてしまっていたガイナーにとってはこの瞬間に何が起こっていたのか理解することは出来ずにいた。
わかっていたのはまだガイナーはこの場に立っているということだった。
「な…に…!??」
巨人においても突然の爆発に動きを止めてしまう。
振り下ろされた鉄塊はガイナーに届くには至らなかった。
それに気付くのは、爆発の後に巨大な鉄塊が巨人の背後の床に轟音とともに落下した時点でのことだった。
「!!?」
巨人の動きが止まった隙を突くようにガイナーと巨人のあいだに黒い影が割って入ってくる。
影はそのまま巨人に張り付くと、黒い甲冑に手を添える。
「うぬ…!??」
巨人が影の存在を認識した時にはすでに懐深くに潜り込まれたときだった。
「はあぁぁっっ!!!!」
ズドォォン!!!!!
気合の篭る掛け声とともに巨人とガイナーの間で大きな衝撃が走ると、閃光とともに爆発を生み出す。
「うぐ…」
爆発によって巨人はよろめきながら後ずさり、バランスを崩して巨体をよろめかせて膝を折る。
爆発を生じさせた黒い影が次第にガイナーの前に姿を現す。その姿はガイナーのよく知る人物だっただけに次第に表情に笑みがこぼれるものへと変わりつつあった。
「ぐぅぅ…おのれ、今のは…!?」
いまだに状況を掴みきれずにいる獣頭の巨人はガイナーとの間に割って入った人物を見て残った目を見開かせる。
「詰めをあましたな。」
「てめぇ…生きていやがったのか!!」
「ふん、生憎とお前の思う通りにはいかないこともあるということだ。」
目の前にはかつて葬ったと思っていた人物が立っている。
それは鍛え抜かれた体格に黒い髪と鋭く輝く赤い眼をした青年だった。
「今度こそお前を倒すぞ。ドミニーク!!」