第02節
ラクローン王城のさらに北には荘厳な建物が存在する。
「北の離宮」と呼ばれる建物は王城の敷地内に建つ施設と比べるとそれほど華やかさは見られるというわけでもなく、どこか一線を引いたような印象がある。
それはひとえにその建物の中に「預言者」と呼ばれる者がいるということに他ならない。
ラクローンにおいて国王と同じ、あるいはそれ以上に重要な存在として畏敬の念をもって奉られてきた存在。
王城は南側において門が開かれており、北からの侵入は不可能とされている。それは王城の北側は断崖絶壁の上に位置することに要因がある。その王城の裏側に位置するということも相まってか、北の離宮がどのようなものであるというものなのか、その概要を知るものは、ラクローン国民はおろか王城にて勤めを果たす者達でさえ知ることは適わないものであるということが現実である。
存在することは周知しているものではあってもそこに手が届く者は誰もいない。ラクローンの人々はまるで、この国の沖において稀に生じることのある蜃気楼の現象を北の離宮と掛け合わせて思うこともしばしばである。
北の離宮には北の離宮のみで働く者達がいる。しかし彼等は王城で勤めを果たす者達とは趣がやや異なる。
その最たるものとして北の離宮において勤めを果たすものは生きて外に出ることはないことである。いわゆる滅私奉公というものであって、北の離宮の門を潜り抜ければ最後、二度とその門を越えることは許されない。
許されることがあるとするならば、その者がこの世のものではなくなったときのみである。
当然ながら帰省を許されることもなく、家族からの便りを受け取ることは許されるものの、便りを出すことさえ出来なくなる。
そうした罪人にも似たものを思わされるほどの境遇に立たされるものではあるが、罪人のそれとは大きく異なることもある。
まず何よりも待遇が他の奉仕者と比べても恩給の類が破格のものであることが挙げられる。そして残された家族においてもそれは謝恩金として割り当てられることになる。
文字通り生涯を通じて奉仕する身である以上の何ものでもない。
それほどまでにラクローン王家はこの北の離宮においての機密性を重要視してきたことは、預言者の力というものがあまりにも大きすぎたものであることの何よりの証であることに他ならない。
預言者が言葉を発した時、常にその事象を言い当ててきたが故である。
そのために出入り出来るものは限られた人数のみであって、何者にも遮られることなく通り抜けることが出来るのは唯一人、ラクローン国王のみであった。
ここまで秘匿性を保ち続けてきた北の離宮ではあったが、遥々南方より預言者に会うべく使命を帯びて旅を続けてきた少年によって、その慣例が過去のものへと変わろうとしていた。同時に招かれざる者の侵入を許してしまうという不名誉な記録と共に。
「な…!?」
突如として現れた侵入者は何もない場所からどす黒い霧とともにガイナーたちやラクローン女王らの前に姿を表した。
窓の無い特殊な空間とも言うべき広間は柱ごとに小さな明りが灯されているに過ぎず、外が夜であるかのような錯覚にも捕らわれてしまう。当然ながら部屋全体を見渡せるほどに明るいものではなく、侵入者の全体像を掴むには未だに至っていない。
しかし、どす黒い霧の中に浮かぶ影ではあるとはいえ、ガイナーたちよりも頭一つ、二つ分も抜きん出た巨大な姿を見せようとしていた。
「…くっ。」
ズシン、ズシンと一歩一歩踏み出す毎に巨大な影からは広間の床面を小刻みに揺らし、金属の擦れ合うような音とともに感じられた。
「こ、これは一体何だというのだ!!?」
この状況においてはじめに声を荒げたのは常に女王の傍らに立っていたゴルドール候と呼ばれる老人だった。
どす黒い霧を抜け、巨大な姿が露になったとき、目の当たりにしたものはとても人とは形容しがたいものだっただけに、皆が言葉を失ってしまいそうになっていた。
天井に頭が届きそうなほどの巨大な姿を見せる。その手にはその巨体でさえも手に余るかのような巨大な鉄塊と形容するしかないほどの刃を有した斧が長尺の柄に付けられている。
これまでに戦ってきたガイナーの感覚の中で一つ結論付けられてそれを言葉にして表していた。
「…サーノイド。」
「な、あ、あれがサーノイドだと!!?」
この国において国王の補佐たる任にあって現時点において政務の一切を執り仕切る身であるも、その存在を見ることはなかっただけに驚愕を覚えずにはいられない。
「けど、どう見たって普通じゃないわよ!?」
サーノイドとの戦いを経験しているフィレルでさえ、目の前に現れた異形の姿に戸惑いを覚えてしまっていた。
「信じられません…
ここは転移魔法でさえも通り抜けることの出来ないほどの強力な結界が施されているのに…」
「結界…」
女王の言葉でガイナーがこの広間、「北の離宮」と呼ばれる空間に足を踏み入れたときに感じた違和感のことをふと思い出した。
しかし、目の前の巨大な姿はその結界を異ともすることなく侵入を果たしてきた。
「くっ…」
黒髪の少年ガイナーの包帯が巻かれた腕に痛みが込み上げてくる。
強く巻かれた包帯からはうっすらと赤い染みが浮き上がってきていた。
同様にガイナーの中では危険を知らせる鐘のようなものが脳内に響き渡っているかのような感覚をめぐらせている。
「グゥゥゥ…」
獣のような唸り声と共に踏み込まれてゆっくりと迫ってくる一歩一歩がガイナーたちを更に窮地に陥れようと迫ってくる。
「そこなる者、ここを預言者や王のおわす神聖な場と知ってのことか!!?」
迫りくる巨人にゴルドール候は声を張り上げる。
その声に巨人は一度足を止めたことにこの場にいた全員が眉をひそめる。
「預言者…王…」
「…っ!?」
初めて言葉を発した巨人に驚きを見せるも、その地獄の底から湧き出てくるような不気味な声色に身震いを感じてしまいそうになる。
「…その力…貰い受ける。」
「!!?」
「くっ…
衛兵!!親衛隊はどこか!!?ただちに出会え!!!」
サーノイドの巨人の狙いが国王と預言者にあると認識するや、ゴルドール候はすぐさま広間の外において控えているであろう衛兵達に向けて声を張り上げる。
ガイナーたちを招き入れるためにあえて人払いしたことがこのときは仇となってしまった。
広間からは距離があったものの、ゴルドール候の声に呼応してすぐに十数人の衛兵が駆け寄る。
「!!?これは…」
「一体何処から現れた!!?」
ガイナーたちと同じような反応を見せながらも衛兵達は王を護衛するように巨人の前に立ちはだかり、幾人かは巨人を取り囲むように立つ。
「…なんだ!?
こいつらは…??」
衛兵達に取り囲まれた巨人はしばらくその場で立ち止まりながら衛兵達の姿をゆっくりと品定めするように見回して、不敵な笑みをこぼしているような雰囲気を見せていた。
「動くなよ、曲者め…」
衛兵達は手にした剣や槍の刃先を巨人に向けたまま身構えている。
不意にガイナーの中に不快ともいえる臭いを感じ取る。
微かではあるも感じ取るにおいは紛れも無い生々しいまでの鉄の含む臭い。身体全体に血を浴びたものでしか感じ得ない不快なものだった。
「気をつけてくれ。
こいつ、これまで何人も斬ってきたことのある臭いがする!!」
「む…!?」
これまで多くの鍛錬を行い手練の騎士達の中から選ばれてきた衛兵達である。
ガイナーに言われるまでもなく、目の前の異様な侵入者に対して油断など見せるつもりは毛頭無い。
「!?」
しかし、巨人の手にした巨大な斧がやや腕から下がった様子を見た時、巨人の背後に立つ衛兵は隙ありといわんばかりに手にした短槍を投擲する。
短槍の刃にはこの地方で採掘され加工された銀でのこしらえとなっている。
その銀は鋼よりも硬く、並みの鎧程度であれば貫くことも難しいものではない。
しかしそれほど多く採掘されるものというわけでもなく、銀製の武具を身につけること叶うのは王の傍にある親衛隊のみに限られるものではあった。
衛兵の渾身の力を込めて擲った短槍は、巨人の黒い甲冑に刺さるものと思われていた。
しかしその刃先は巨人の甲冑に届くことはなく、その手前で巨人の腕によって阻まれた。
「な、何だと!!?」
槍を弾いた巨人は投擲した衛兵に向けて不気味な表情を作っているように見えた。
少なくとも衛兵にはそれがさらに不気味なものへと映っていた。
「…少しは…楽しませてくれる…んだろうな!?」
「…っ!?」
巨人は取り囲む衛兵達を個々に睨み付けるように見回す。
その相貌を見た衛兵達がどこか背筋に凍りつくような感覚を覚えたその刹那のことだった。
黒い甲冑の巨人は槍を擲った衛兵に向けて巨大な戦斧を振りかざす。
その巨躯に似合わぬ凄まじい速さで斧は衛兵の胴体を捕らえていた。
「…
!!!?ぁ…」
何かを言うことも出来ぬままに衛兵の一人は巨大な戦斧によって肉片と化した。
「!!!?」
それを皮切りにして、この広間は阿鼻叫喚の状態へと変わろうとしていた。