第13節
「フフ…どうやら近づいたようですね。」
血の付着したままの短剣を手にしたまま佇んでいた仮面の男ネヴィリスは感じ取った魔力を受けて短剣は返した手のひらのすぐ上で宙に浮かぶ。
短剣は魔力によって淡い光を帯びていた。
「その場所にいるというのだな!?」
ネヴィリスの他に姿は見えることはないものの、はっきりとした声でネヴィリスに問いかけてくる。
「ええ、稀に見る強力な結界が張られていたので私としてもなかなか近づけずにいましたが…フフフこれでようやく魔力の筋道が完成したというもの。」
仮面の下にこぼれる冷笑を抑えぬままにネヴィリスは短剣に魔力を注ぎ込むのか、短剣からこぼれる魔力の光は強みを増し、ネヴィリス全身に魔力の光が包み込む。
「ネヴィリス、始めろ。」
「心得ました。ドミニーク王子。ではこれより先のことはお任せいたします。」
ネヴィリスの背後から聞こえてくる声に呼応して魔力の光は巨大な球状となってネヴィリスの後方に立つであろう姿の見えぬものを包み込み、一瞬の閃光の後、収縮してゆく。
「私としては少々分の悪いものではあったのですが…フフフ、なんともよい時に良いものが現れたものです。」
光が消滅するのを確認してから、ネヴィリスは口元を綻ばせて冷笑する。
その視線の先には巨大な王城が映し出されていた。
「あなたがラクローン国王…?」
あまりにも突然の国王の名前の登場にガイナーとしても驚愕の表情を見せるほかになく、言葉を失いかけた。
目の前に立つ者が国王であるという事実に驚くというその前にラクローンの国王が女性であったことの事実のほうが驚かされるものだったかもしれない。
ましてやガイナーともそれほど歳の離れた感じも見られない。国王と名乗る目の前の女性は華やかなドレスを身に纏い、それでいて気品を損なうことのない容姿をガイナーの前に見せてはいる。
しかし即位して間がなかったから故なのかもしれない。ガイナーの中にはどこか国王としての風格に欠けるような部分があったことも確かである。
「ゴルドール候の言われるとおり…
私はこの国において王と呼ばれている者です。
アファよりの使者、メノアのガイナー殿。」
反面、国王と呼ばれた女性はやや控えめな感じでガイナーに名乗りを上げる。
「ゴルドール侯爵…」
その名前に聞き覚えがあった。しかしガイナー以上に過剰にその名前に反応を示した者もいる。フィレルである。
女性の口にした人物の名前はフィレルの中で過剰なまでに反応を示し、老貴族に鋭い視線を向ける。
「ゴルドール侯爵ですって!!??」
その名前を聞いてやや興奮気味にフィレルは一際大きな声を張り上げていた。
ゴルドール侯爵。その名前に間違いが無ければ、フィレルたちにとっては因縁の深い人物の名前に相当する。
この国において即位したばかりの国王に代わり、すべての政務を摂り仕切ってきた人物の名前である。
巷の噂においては侯爵という人物像は凡庸なものであるという感じのものでしかない。
一部の貴族においては王国開闢以来の門地を受け継いでいるほかにないとまでも囁かれる。
しかし、国王の傍にあって権力の全てを掌握している人物であることに変わりはなく、侯爵のみせるやや強引な政治手腕がみられることも多々あり、賛否は両論されている。
そして今回のサーノイドの侵略においても騎士団を出撃させることなく、王都の守備に回らせた張本人でもあった。そのことがクリーヤでともに戦ってきた者達にとっては指導者の労に報いることもなく、あまつさえ王都より郊外へと追いやったものとしての悔恨の念を残す形となってしまった。フィレルたちとしてはいかなる理由であれ、ゴルドールという名前は忘れがたい人物となっている。
それが思わぬ形で出会ったことによってフィレル自身感情のコントロールが叶わぬほどに興奮してしまう要因を作り上げてしまっていた。
「おい、フィレル!!」
フィレルを嗜めようとするが、タイミングを逸してしまっていた。ガイナーの懸念を尻目にさらに声を張り上げる。
「あなたがゴルドーク候だというのなら、あなたがカストさんたちを…」
ゴルドール候はフィレルの激昂を静かに見据えたまま同じ場所に立っている。それが余計にフィレルには憤りを高めた。
「よせ、フィレル!!」
これ以上フィレルの昂ぶりを見過ごしているわけにもいかず、ガイナーもフィレルを抑えるよう促す。
「だって、この人のせいでカストさんは…」
「フィレル!」
こうなってしまうとフィレルとしても最早意固地になってしまっている部分もあり、気持ちの昂ぶりが抑えられずにいた。
「…
そうか…その方ら確かカストゥールの許にいたのだな。」
フィレルの沈着を見届けてからゴルドール候と呼ばれた老貴族は確認するかのように呟く。
「お待ちください。ゴルドール候は…」
「陛下。」
女王はフィレルの激昂に対して沈静を試みる言葉を投げかけようと試みた。
しかし、女王の言葉は矛先を向けられた当事者である老貴族に遮られる。
最終的にフィレルの激昂に押さえを施したのは傍らに立つ少女であった。
「エティエル…
あなただって言いたいはずでしょ!?」
実際にクリーヤに住んでいたエティエルにこそゴルドール候に非難を浴びせる資格があるとばかりにフィレルは声を荒げたまま腕を掴む少女に顔を向ける。
それでもエティエルは首を左右に振りながら、フィレルの腕をしっかりと離さないように両腕で掴んで動きを抑えることに専念する。
「…わかったわよ。」
さすがのフィレルも傍らに立つ少女には何も言えることも出来ないのか、燻るような感情を残したまま納得がいったわけではないという表情をみせながらも、ひとまずの落ち着きを見せる。
フィレルの様子にガイナーも胸を撫で下ろした。
「ご無礼をお許しいただきますよう。」
他の誰であれ、貴族、何よりも国王の目の前での行いとしては本来であれば不敬に該当しうることは歴然である。そのことを承知するだけに、ひとまずこの場での行為に謝意を見せる。
「いえ、構いません。あなたがたの言い分も数多おありと存じます。それよりもまずは頭をお上げになってください。」
女王はガイナーの低頭の姿勢を直すよう促すと、再び3人と向き合う形で対峙する。
「恐縮です。」
「カストゥール卿やサレスティン伯爵に関してもそうですが、あなたがたそして全てのラクローンの民に対してお詫びしなければならない者は他ならない私なのですから…」
「陛下、そのことは。」
「よいのです、ゴルドール候。これ以上あなたに責めを負わせるわけにはいきません。」
「…どういうこと??」
女王の言動に訝しげな気持ちになりながらも、フィレルは先ほどまでの老貴族に向けた視線を女王に顔を向けなおす。
「事は全て王家から起こったものから始まったのかもしれません…」
そう言った女王の表情はどこか自責の念が強いものへと変貌していった。
「!?」
そんな中、不意にエティエルの表情が強張ったものとなってゆき、そのままエティエルは周囲を見回すような素振りを見せ始めていた。
「エティエル!?
一体何が…!!?」
エティエルの様子を不思議に思ったガイナーであったが、ガイナー自身エティエルが感じ取ったものと同じ気配を感じ取る。
「これは…!?」
「ガイナー?エティエル??」
「どうされたのですか?」
未だ気配を感じ取るに至らぬフィレルたちはガイナーの挙動に不審に思うも、それがただならぬ事態が迫りつつあるということを悟るにそれほど時間を要することはなかった。
「どこからか奇妙な気配が近づいているような気がします。」
「妙な気配…!?」
言葉を持たないエティエルは気配の出所を特定し得たのか、ただ何もない空間を見据える。
「莫迦な。ここは、この北の離宮に許可なく進入できる者などあろうはずが…」
老貴族の言葉を他所にエティエルの視線の先、何もない空間は穏やかな水面に波紋を生み出していくように徐々に歪みを露にする。
歪みは波状に拡がりをみせ、矢を番えた弓の弦が引っ張られていくかのようなきりきりとした音を震わせ、一際大きな音によって一気に弾かれて歪みそのものが元に戻ろうとした力が作用したかのように空間を逆に捻じ曲げる。
それを複数回繰り返しながら布が引き裂かれた音とともに、空間に大きく裂け目が縦に一筋生まれ、そこからどす黒い霧が周囲に充満する勢いで噴き出された。
「!!?
これは…!?」
どす黒い霧を見て思わず口元を押さえながらガイナーは霧の出所を凝視する。
霧の濃い部分にはいつの間にか一際大きな人影らしきものが霧に隠れて映し出されていた。
その人影の高い位置には二つの赤い光がガイナーたちやこの場にいる者たちを捉えているかのように怪しく光る。
それはどこまでも禍々しく、狂気に満ちたかのような眼光だった。