第12節
馬車はゆっくりとした速度で本城への道を進んでゆく。道の両脇には人の手が入った木々が立ち並び、木の葉一枚はおろか塵一つさえ見出すこともないほどに手入れが行き届いている。
王城の敷地面積は貴族の邸宅が並ぶ第1区をそのまま収まるほどの広大さを有している。
中央に位置するのが巨大な塔が並んだようなラクローンの象徴ともいうべき本城たる中央天守が存在する。
遠くから見ると中央の塔が目立つことは否めないが、近くまで来るとそれを中心に建物が広がっていることがわかる。ここはラクローンにおいて最も重要な拠点でもあり、最後の砦でもあるのだ。
天守に国王が居住するというわけではなく、あくまでそこは実質的なものとして、国王の謁見と公式の式典を執り行うための場としてのみ存在している。
中央の宮廷の門を抜けるとそこは国賓を迎えるための荘厳な宮廷が存在する。
そこから西に政務の中枢であり、会議などを行う「西宮」、東には国王の一家の生活の場として用意された「東宮」がある。
そして北に抜ければ預言者が存在していると言われている「北の離宮」回廊を隔ててある。
しかし、王都の誰もが北の離宮に足を運ぶことは許されてはいない。
北の離宮に足を踏み入れることが出来るのはただ一人、この国の国王のみだった。
「随分ゆっくりね…」
「そうだな。」
本城までの敷地内の道をゆっくりとした速度で進んでいる馬車にフィレルは焦れた様子を見せていた。それだけにガイナーの相槌を打ったような返答にややムッとした表情を浮かべる。
ゆっくりと走ってはいるが、本来徒歩で本城へ移動となればそれ以上の時間を費やすことになるのだが。
その傍らにあるエティエルとしては馬車の窓から移る王城の手入れの行き渡った庭園に目を輝かせている。
「けど、どういうことなのかしら!?
あの人…ティリアって人の言うとおりになっている。」
「うん…」
「余裕ね。何かあるかも知れないって思っていないの!?」
「お、俺だって何が何だかわからないさ。
だけど、今は信じるしかないんだから。」
馬車の中で詰め寄るフィレルにややたじろぐ姿勢のガイナーではあるが、ガイナーとしても余裕があって黙っているわけではない。
フィレルの言い分において反論する材料が見出せているわけではなく、閉口する以外になかった。
ただガイナーとしてはじっと動静を見極めて動きたいと思っていたいという慎重性もあったことも事実である。
すでに何が起こるのかもわからない場所に足を踏み入れているのだから。
そういったやり取りをしながらもやがて馬車は巨大な建造物の目の前で止まり、御者はガイナーたちに降りるように促し、ガイナーたちもそれに従う。
「わぁ…」
眼前に立てば城の巨大さがより一層増して見えてくるようになる。
丁度日が天頂に達し陽の光を浴びた白い巨城は神々しさをも加わった壮麗な姿を3人に見せていた。
フィレルのみならず、ガイナーもエティエルもライティンの手による最大の建造物であるであろう城を前に驚嘆するばかりでしかなかった。
「こちらへ。ご案内つかまつる。」
外部の衛兵と代わり、様相の異なる衛兵、おそらく城内において役を担う近衛兵の様相をした兵士がガイナーたちを出迎え、城内へと案内する。
「噂には聞いていたけど、凄いわね…」
「これがラクローンの王城か…」
大理石の床に赤い絨毯の敷かれた長い廊下をひたすら歩いてゆく。
壁には均等に彫刻などが施された柱が立ち並び、辺境での生活を当たり前のようにして過ごしてきたガイナーにとっては王都の城内というものはどこまでも未知の空間ともいえるものだった。
ガイナーたちは王城の外周を歩く形で渡り廊下を進んでゆく。馬車からの景色にも映っていたが、横目に見える庭園には腕利きの庭師の手によって綺麗に手入れが行き届いていて、色とりどりの花を垣根に咲かせていた。
「こちらでございます。」
近衛兵の案内のままに進んではいたが、王城を離れてさらに長い石畳がつづく長い渡り廊下を歩き、いつしか王城を背にして歩いている様子だった。
「…??
俺達を一体何処へ…?」
「私どもは“北の離宮”へとお連れするように仰せつかっております。」
「北の離宮…」
その言葉を宿屋でも聞いていた。
あの時、ティリアという女性はガイナーたちを北の離宮へ導くために来たと言っていた。
もうすぐ自身の目指すべきものである預言者と対面することが叶う。
そのことがガイナーにどのようなことをもたらすのか。
それを聞いたことによってガイナーの運命がいかなものへと変わってゆくことになるのか。
石畳はガイナーの複雑な思いを噛み締めているかのように小気味良い音を響かせていた。
「これより先はご自身でどうぞ。」
北の離宮へと通じると思われる扉を前に近衛兵は脇に逸れてガイナーに先へと進ませるよう促す。
「・・・・・」
近衛兵の言うとおりにガイナーたちは開かれた分厚い扉くぐりぬけて離宮の内部へと足を踏み入れる。
先ほど進んできた王城内部とも遜色の無い荘厳な雰囲気を漂わせる大理石の床に赤い絨毯が敷かれた長い廊下。そのさらに向こうにある扉の前には先ほどと同じ様相の近衛兵が立っている。
ガイナーの姿を確認すると、近衛兵は重厚な扉を開いて通ることを示唆するように両側につく。まるでガイナーたちを待っているかのように見えた。
「…!?
何だろう…この感じは?」
ふと離宮に入った瞬間からガイナーの中にわずかではあるも違和感を感じ取っていた。
王城にある荘厳なまでの雰囲気というものとはまた異なる。寧ろここはまた全くの別の世界にいるかのような感覚がガイナーにはあった。
「さあ、行きましょ。」
「うん…。」
違和感を取り払えぬままフィレルに促され、立ち止まっていたガイナーは離宮の廊下を進む。
王城には衛兵を含めて2000もの人が常駐しているという。
にもかかわらずこの「北の離宮」に入ってからは誰一人見かけることは無いこともまたガイナーが感じる違和感の一つでもあった。
廊下はガイナーたちの靴の音が甲高く響き渡る。
扉の向こうは王城にあるものと同じ謁見の間として使用される部屋がいくつも存在しているらしく、重厚な扉が左右に点在する。
その中の一つの扉が大きく開け放たれている。そこがガイナーの進むべき道であるかのように。
扉を抜けるとそこには一人の姿が見て取れる。
「これより先はお手の物をこちらにお預けいただきますよう。」
扉の前に控えていた城の従者である男性が頭を垂れながらガイナーたちの前に両手を差し出す。
この先の人物と会うためには手にしたままの武器の類を預ける必要があることを示す姿を見たガイナーは言葉に従い、手にしていた剣を男性に預け、フィレルもまた短剣と弩を手渡した。
「…どうぞ奥へ。」
従者が流れるように手を扉に向けると、扉はゆっくりと開かれ、その奥の間の容貌を現し始める。
「…どうぞ。」
今一度前へ進むように従者は手を旨に添えて会釈をしたままガイナーに促す。
それを見てガイナーたちもおそるおそる扉を抜けて奥の間へと足を踏み入れた。
扉をくぐるとそこは途方も無いほどの大きさを有する広間が眼前にはあった。
彫刻を施されたいくつかの白い柱に、黒く輝くほどに磨き抜かれた黒曜石の床。その床には天井に描かれた絵画がうっすらと映し出されている。両脇には巨大な窓がいくつも並び、外の光を目一杯に取り込むように作られてはいるのだろう。しかしその窓には分厚いカーテンが掛けられたままで部屋はどこか薄暗い。
窓からの光を存分に取り込むことが出来たのであれば、この部屋は何とも言い難いほどの神秘的な雰囲気をガイナーたちに見せていたことであろう。
それでもガイナーたちはその広間を見て息を呑む。
これまで見たこともなかった絢爛な世界であることに変わりは無く、そしてどこか神掛かったものをガイナーたちには感じ取れていた。
その部屋の中心を奔る赤い絨毯の道を進む先にまた人影がうかがえる。
窓を閉め切ったままの薄暗い場所において取手のついた燭台を手にしたままガイナーを待っていた人物は、光沢のある生地を使用した貴族特有の衣を羽織るやや老齢の男性である。
ガイナーたちはその貴族衣装の老齢の男性の前まで近付くと、男は燭台をガイナーたちに向けて睨み付けるような形相を向ける。
「その方らがガイナーと申すもので相違ないか!?」
やや威圧めいた口調を持って老齢の貴族装束の男性はガイナーたちに向けて言葉を発する。
ここまで来ていて当事者の確認を要することにガイナーは違和感を覚えながらも自ら名乗りを上げる。
男はガイナーの姿を燭台に照らしながら覗き込む。
どこか疑いの眼差しというよりは身分の隔たりを意識しているかのような視線を感じながらも、ガイナーたちはただじっと老人の行動をうかがう。
「よかろう。こちらへ参られよ。」
一通り目を向けた老貴族はガイナーに背を向けて絨毯の道の先へと歩き始める。
「随分なお出迎えよね。」
ひとり不満げな表情で言葉を漏らすフィレルを他所にして、ガイナーは燭台の光に導かれるままに後に従うことにする。
赤い絨毯は広間の端から端を一直線に横切るように伸びている。その終着点らしき場所はその先にある数段ほどの階段の先にあった。
階段の手前においてもう一人の姿がある。
老齢の貴族装束の男性とは対照的に、華やかではあるも決して品格を損なうことの無いドレスを纏う女性の姿。
ガイナーはその姿を見てやや驚きを見せるも、その人物こそがガイナーがこれまで旅において目的としてきたものであると確信していた。
男性はその女性の前まで来ると絨毯の脇に逸れ、このときガイナーと女性の間に遮るものは何もなかった。
「・・・・・」
部屋の奥、床より幾段か高い位置には窓に掛けられているものと同様のカーテンが掛けられており、その先に何があるのかは分からなくなっている。裾は空気に撫でられて揺らめくようなこともないまま、ただじっとあるがままの姿を見せる。それがこれ以上の進む道がないということでもある。
「…
この方がガイナー殿なのですね…?」
「…そのようです。」
はじめに口を開いたのは女性のほうだった。
女性は老貴族向けて問いかけ、男性も先ほどと変わらぬ態度のまま簡潔に応え、老貴族は女性の言葉に恭しく頭を傾けた。
「…」
似たようなことがアファにおいてでもあった。
アファの樹海を抜けて遺跡を抜けた先にいた人物もその娘たる者も同様にガイナーと出会う前から知っていた。
アファでのことに関して言えば、今は行方の知れない幼馴染のファーレルの青年がいたことで頷ける。しかし、ラウナローアの辺境ともいう地、メノアという島の住人でしかないガイナーという人物を何故誰もが知っているというのだろうか。
「あなたのことはティリアから聞いています。
何より…預言者様のおっしゃられていたことでしたから。」
「預言者様…」
「ええ、この混乱した状況の中にクリーヤを抜けてくる者が現れると示されていました。」
「・・・・・」
疑問の回答は女性から答えを口にされ、ガイナーもまたわずかなものではあるが、自己の中で何か合点がいったような気がした。
この国の事情を詳しく知るものではないが、ラクローンにおいて預言者の言葉というものが重要なものを占めているのはその的中さに要因があるのであろう。
同時に女性の言葉は自身が預言者ではないと言うことを示すものでもあった。
「ではあなたは…?」
「私は…」
「その方ら、陛下の御前なるぞ。」
「陛下?」
老齢の男性からの突然の怒声にガイナーたちは息を呑む。
目の前に立つ女性を陛下と老齢の男性は言った。
ラクローンにおいて陛下と呼ばれる人物はただ一人。この国の王をおいて他にはない。
「ではこの方はもしや…!?」
「こちらにおわしまするは、恐れ多くもラクローン87代国王、ティスホーン・シンクレア・フォン・エールハルト・メルク・ラクローンであらせられる。」
女王の傍らに立つ老齢の男性はガイナーたちに国王の名を高らかに唱えてみせた。