第08節
朝早くからラクローンの港に建つ石造りの建物の重厚な扉が開かれる。
普段は夜の営みを主とする建物の中にはいくつかのテーブルと椅子、そしてカウンターが置かれている。カウンターの奥には数多くの瓶とグラス、地面には樽を寝かせた状態で置かれており、その場は強めのアルコール臭が強く残り香として漂っていた。
「いらっしゃい…おや?」
突然の来訪者に酒場の主は珍しいものを見るかのように声を上ずらせていた。
酒場の主の名は客の間からはドルクと呼ばれている。歳の程は30過ぎではあるも頭髪は綺麗に剃り上げており、地肌が露になっている。そして目の下に大きな傷痕があるような強面ゆえに実年齢以上に高く見られる場合もある。
そんな強面であっても、店に入ってくる者に愛想良く迎え入れる。たとえその客がどのようなものであったとしても。
「あんたかい、よく無事に戻ってきたものだ。」
ドルクの姿を捉えた客はそのまま主の立つカウンターの前に腰掛け、主に顔を向ける。
「…傭兵崩れの奴らに襲われた。」
酒場に訪れた客、赤眼の傭兵ライサークは先日起こったことをドルクに告げる。
「ほぅ…そいつは災難だったな。」
さほど驚くことはないままに、ドルクは言葉を返す。
ドルクが言った“災難”とはライサークに向けられたものであったが、同時にライサークを相手にした傭兵に向けられたものであったのかもしれない。
そう言ってドルクは手にしていた食器を磨き始める作業に戻る。
「別に同情する必要はないさ。それが傭兵だ。仕事において命を落とすことに関して恨み言はするべきではない。」
「そうかい…」
「ああ、それをあんたが斡旋した仕事であったとしてもな。」
ライサークが訪れた建物は外部に大量の酒樽が転がっていることから、そこが酒場であることを容易に量ることの出来るものではあった。
しかしそれは表向きのものであって、傭兵達においては仕事を仲介してもらうためのギルドとしての顔を備えていた。
ドルクも以前はそれなりに名の通った傭兵ではあった。しかし、己の力を過信することなく、ある程度の財を築いた時点で傭兵の職から足を洗っていた。傭兵の時期においてはライサークとも肩を並べて戦った時期も幾度かはあっただけにライサークにとっては顔なじみといったものでもある。
しかし、新たに就いた仕事先が傭兵を斡旋するギルドであったということは未だに血なまぐさい世界に身を置くほかは無いという皮肉であったのかもしれない。
「おっと、わかってはいるとは思うが俺に恨み言を言うこともするべきではないぜ。」
ギルドは各地に散らばる傭兵を生業とするものたちに仕事を斡旋するためにある。
昨日まで共に戦った仲間であったとしても、明日になれば敵同士となって戦いあうこともある。無論、仕事の内容によって是非を決めるのは傭兵達である。
いわばギルドは中立的立場にある。どのようなことがあったとしてもギルドは傭兵達に肩入れすることもなく、仕事を仲介することに努める。
「別にそんな愚痴を言うために戻ってきたわけじゃない。
ここに来た新しい情報が欲しいだけだ。」
「情報ねぇ…」
ライサークの要請にドルクは自身の太目の人差し指でカウンターを軽く叩く。
傭兵ギルドは傭兵達から依頼を受ければ情報を提供する仕事も請け負う。依頼内容における情報は無償で提供するであろうが、私的な情報の場合、当然ながら報酬が発生する。
ライサークはカウンターの前に口のあけた小袋を乱暴に放り投げる。カウンターにはラウナローアの通貨であるラルク金貨と銀貨が袋の口からこぼれるように飛び出していた。
ドルクは散らばったラルク金貨と銀貨の数を目で数えるもそれらをかき集めることなく、ライサークに顔を向ける。
「話せ。この王都で何が起ころうとしているのかを。」
ラクローンの宿屋に滞在するガイナーの七日目の朝は宿屋の主人の慌てふためいた声によってはじまった。
「お客さん、大変ですよ。」
「ふあぁ…おはよう。こんなに朝早くから一体どうしたんだよ。」
未だに眠気と格闘中といった様子のガイナーは主人の呼びながらドアを叩く姿によって中断され、渋々ドアを開けて応対する。
「お客さん、サレス伯爵様のことなんですが…」
「!?
サレス伯のところから連絡があったのかい!?」
「いえ、それが大変なことになってしまったんです。」
「大変なこと…??」
今一つ要点が得られないガイナーだったが、宿屋の主の次の言葉に眠気は一気に吹き飛んで行ってしまった。
「どういうことよ!?
サレス伯爵が亡くなったっていうのは!!??」
主人の声でガイナー同様に起こされたフィレルも、全く同じ反応を返してしまっていた。
思わず大声を張り上げてしまうも、この宿屋にはガイナーたちの他に客の姿はなく、今も食堂に集まって主の話を聞いていた。
「サレス伯爵っていう人はそんなにもご老人で、明日をも知れない身体だったってわけなの?」
「いえ、とんでもない。まだまだお若いお方でいらっしゃいましたよ。」
宿屋の老主人からすれば、サレス伯爵は若年となるのだろう。しかし実際にガイナーたちからすれば年上ではあることは当然のことながら、何十件もあるラクローンの貴族の中においてもサレスティン伯爵といえば若年の部類に数えられるものではあった。
ガイナーたちは食堂のテーブルに腰掛け、主が皆に用意してくれた果実の絞り汁の入ったグラスと同様のものに手を伸ばし、口に入れる。
「実は伯爵様だけではなくて、伯爵様の私邸にいた全員が亡くなっていたという話なんです。」
「!?
どういうこと!??」
「私もそこまで詳しくはなんとも。しかし、伯爵様の私邸の中はとても地獄のような光景だったという話で、この近所ではこの話でもちきりですよ。」
宿屋の主も早朝から飛び交っていたこの報せを耳にして、いてもたってもいられなくなってしまったのだろう。
「随分と物騒な話よね。でもそうなってくると、サレス伯爵って人はやっぱり自然死じゃないということになるわけで。それじゃつまり…」
「おいおい、誰がそんなことをして得をするって言うんだよ…?」
「そんなの私に訊かれてもね…」
ガイナーの問いには答えられないという意味でフィレルは掌を上に持ち上げる仕草を見せる。
「そういえば…」
ふと何かを思い出したかのように宿屋の主人は口を開く。
「先のサーノイドの軍勢がやってきた時の騎士団の出撃が中止になったことに憤りを感じていて、勅命に対して不服を言っていたという噂でしたよ。」
「どういうこと?」
「サレス伯爵といえば、この国では騎士団長でした。本来であれば有事の際には率先して事に当たられる方なのですが、今回は勅命が下ったことによって騎士団は王都に待機を命じられてしまったそうです。」
主人の言葉にガイナーとフィレルはふと王都郊外で聞いたことを思い出す。
「あ、それって、カストさんとの連携が出来なくなってしまったってことと何か関係あるってことなんじゃないの!?」
実際にサーノイドの軍勢を相手に王城の郊外にて奮戦したのが元騎士団長だったカストであった。フィレルもまたカスト達の中でサーノイドの軍勢と戦ってきた一人でもある。
そして勅命によってカストは労に対して報いられることもなく郊外に退去せざるを得なかった。
フィレルの中では未だにそのことには納得しがたい部分も残っていた。
「それと、これも噂なんですがね。
今の王城においては国王ではなく、摂政の任にあるゴルドール侯爵だと言われているんです…」
「ゴルドール侯爵?」
「ええ、先代の王より仕えられているお方なのですがね。今の若い国王を補佐するという名目で、国王の意見も聞くことなく、政治を推し進めているという話があるんですよ。」
「それじゃ、サレス伯はゴルドール侯爵って人にものすごく怒っていたと?」
「共に先王からお仕えされるお方ではありますが、今は相当険悪な状態らしいです。」
主人が言う噂話を聞いてフィレルは顎に手を当てて唸り声を小さくこぼしながら思考を巡らす。
一通り考え抜いた末に何か閃いたような面持ちをみせる。
「あ、もしかして…
ゴルドール侯爵って人が勅命に逆らったということを口実にして伯爵を抹殺しようとしたってことかしら!?」
「おいおい、フィレル、いくらなんでもそれは考えすぎだろう。」
何を言い出してくるかと思わんばかりの呆れ気味の表情でガイナーは言い返す。
「むぅ…それでもさ、ゴルドール侯爵って人のせいで私たちはここまで苦労させられた。ということは間違いないじゃないの!?」
「はぁ…それがいったいどうやってサレス伯が殺されたことと繋がるんだよ?」
「むぅ~」
単なる私怨が含まれているに過ぎない言動であることはフィレル自身、自覚は出来ている。しかし、なまじ自覚できるだけにどうにも接点のまとまらないことにやや苛立ちを募らせてしまって、余計に頭の中で綺麗にまとまらないことにもどかしさを感じてしまっていた。
結局何らかの手がかりがガイナーたちにもたらされているわけでもなく、推論だけの飛び交う論議はまとまりを見せることはなかった。
それ以上にサレス伯の訃報はガイナーにとってラクローンにやって来て城に入るための手段とも言うべきものだった。その頼みの綱がここにきてぷつりと途切れてしまったことがガイナーにはショックが大きいものだった。
「けど、随分と血なまぐさい話になってしまったわね…」
ひととおりの議論を重ね終えたフィレルはため息を一つこぼしながらグラスを傾ける。
王都に入った時はこのような事態になろうとは誰もが思いも寄らなかったことだろう。
未だ日が昇って間もないことで人通りのまばらな状態のラクローン市街であった。しかし、サレス伯爵の訃報の知らせが建物から建物へ飛び火しているかのように伝い続けていることであろう。
そんなざわつきの起こる街中から宿屋の扉が開く音を耳にする。
扉を叩く音は荒々しいもので、このまま叩き続けるのであれば扉が破られてしまうのではないかという思いにかられるほどだった。
「はい、ようこそお越しください…?」
宿屋の主としてはややあわてて早朝からの来客を迎える姿勢でロビーに向かったが、そこに立っていたのは剣を携えた3人の男の姿だったことにそこで言葉を止めてやや眉をひそめてしまっていた。
ひとりはくすんだ茶色の髪にやや細面の長身の男、もう一人はやや小柄で中肉中背の赤みを帯びた髪の男。あと一人は金に近いこれも長身のブロンドの髪をした男で、その手には刃先のついていない竿状の得物を手にしていた。
いずれの男も瞳の色はライティン特有の茶色の瞳をしているが、どこかぎらついた感じのする輝きを見せていた。